【信州・小淵沢発】 このころになると私は山に行きたくなってしようがない。 山の空気に身を浸して、そのまま身も心も溶かしてしまいたいと思うのです。 今年は小淵沢と蓼科に拠点を押さえました。 春の沖縄で仕込んだ単行本の企画が進み、 今回はその本文の執筆に勤しみたいと思います。 部屋の中にあふれてくる。 BGMは特に必要ありませんが、私は時々、 PCのハードディスクに落としてあるヨーヨー・マのバッハを流します。 旧ソビエトの指揮者・ロストロポーヴィチは、 「バッハの音楽は、まるで草木をみるようだ」と語りましたが、 まさに今、そのことがよくわかります。 私も会社勤め時代の最後は、 東京の湾岸エリア・豊洲の高層ビルで働いていました。 オフィスフロアからは遠くにレインボーブリッジを見渡すことができ、 また業界特性から最新のIT情報に囲まれながら、 戦略を練り、交渉ゲームをし、数々のパーティーにも顔を出し、 さも、カッコヨク、ビジネスパーソンをしていました。 今では、そんなカッコイイ仕事場環境ではなくなりました。 ちょうど今時期は、カエルの鳴き声とともに仕事をしていますし、 今回のように山に仕事キャンプに出れば、 山の陽射しや雨、枝葉のざわめきとともに仕事をしています。 豊洲にいたころも人財育成分野の仕事ですし、今もその分野の仕事です。 こうして郊外や田舎に仕事場を移してやっているものの 顧客のほとんどは首都圏にいて、営業や研修実施があればそこに出向きます。 仕事の意識も競争の中心地である東京に向いています。 それはそれで、私にとって、緊張感のある気持ちのいいものです。 息が詰まってくる。 一方、田舎(地方)は、 「退屈と自然のリズム」・「思索と耕作」の世界です。 (退屈とはポジティブな意味で使っています) カッコヨクはないけれど、 平静で快活な生活を手にすることができています。 (完成型にはまだほど遠いですが) 私に「複眼」を持たせ、ものが立体的によく観えてくるんだと思います。 だから、山や島にこもって、仕事の思索と耕作をする機会を持つ。 一般的に田舎は、都会で疲れた心身の癒しの場、消費レジャーの場、 あるいはリタイヤ後の安住の場としてみられることが多い。 しかし、私にとっての田舎は、 思考鍛錬の場であり、創造の場であり、 現役の仕事をバリバリやる攻めの拠点でもあります。 田舎のたおやかさ、おおらかさを取り込む生活。 また、田舎の保守風土に引き込まれることなく、 都会の変化刺戟を受け取る生活。 私のハイブリッド・ライフはまだまだ始まったばかりです。
八ヶ岳中央農業実践学校から初夏の八ヶ岳を望む
5月の連休明けから、高原は本格的な緑の季節に入る。
去年は軽井沢に滞在して、いくつかの仕事を片付けましたが、
滞在宿の窓を開けると、新緑薫る爽やかな風と音が遠慮がちに
◆「複眼」を持った生活
しかし、そんな会社人生活をやめ、独立して5年。
自宅オフィスのある東京・調布は、田んぼの中にあり、
しかし、仕事の分野が特段変わったわけではありません。
ただ、それが常態化すると、気持ち悪くなるんでしょうね。
東京(都会)は、「刺戟と効率のスピード」・「処理と競争」の世界です。
今の私は、この2つを適宜組み合わせながら働くことで
「東京で仕事を発散し、田舎で仕事を仕込む」――――この2種類の生活が、
東京だけの生活は単眼的で見失うものが多い。
◆田舎こそ「鍛錬・創造・攻めの場」
喧騒とした都会に縛られることなく、