まだ人間が地球が球であることを知らなかった大昔、
水平線の向こうに別の陸地があるかどうかを知らなかった大昔、
そんなころに大海原へと漕ぎ出していくのは、相当な勇気が要ったことだろう。
海の果ては巨大な滝になっているとか、
大蛇が大口を開けて海の水を全部飲み込んでいるとか、
そんな言い伝えに人びとは航海を恐れ、また逆に好奇心も湧かせたりもしたのだろう。
例えば、新天地を探すために、20日間分の食糧・燃料を積んで航海に出たときの、
11日めを迎えるときの気持ちはどんなだろう?
つまり、丸10日経つまでは、いつでも引き返そうと思えば引き返すことができる。
(帰路分の食糧と燃料は足りるから)
しかし、覚悟を決めて未知の陸地に針路を取り続けるとき、
11日めを越えた瞬間から後戻りできなくなる。
この11日めを 「Point of No Return (帰還不能点)」 という。
未知に踏み込む恐怖と、未知を見てみたいという冒険心と、
その狭間に「Point of No Return」はある。
私はサラリーマン生活を止めて、独立しようと思ったときに、
自分自身の「Point of No Return」を越えた。
まぁ、大昔の人の航海とは違い、独立に失敗したからといって、
生命まで落とすわけではないので、後戻りできないときの危険度は小さいのだが。
それでも、大なり小なりこの「Point of No Return」なるものを
人生の中で経験しておくかおかないかは、精神に大きな違いを生むと思う。
「後戻りできない選択を採る」には、世の中にいろいろな表現がある。
●「背水の陣」;
広辞苑によれば、―――[史記淮陰侯伝](漢の韓信が趙を攻めた時、
わざと川を背にして陣取り、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事から)
一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。
失敗すれば再起はできないことを覚悟して全力を尽くして事に当たること。
●「to burn one's boats/to burn one’s bridges」;
英語でのイディオムはこんな感じになる。
これは、引き返すための乗り物をなくすという意味で「自分の船を焼く」、
もしくは退路を断つために「橋を焼き払う」といったことだろう。
●「ルビコン川を渡る」;
政敵ポンペイウスの手に落ちたローマを奪還するために、
いったん野に下ったユリウス・カエサルは自軍を率いてルビコン川の岸に立った。
当時、兵軍を伴ってルビコン川を渡ることは法律で禁じられていた。
国禁を犯して川を渡ることは、カエサルの不退転の覚悟を表していた。
人生、調子のいいときは、
イケイケドンドンで前進のための橋をつくることが簡単なときがある。
しかし、真の勇気は、後戻りできないよう後ろの橋を壊すことにある。
「つくる」より「壊す」ほうが、ある意味、難しいのだ。
You Tubeを探っていたら、懐かしいジャケットに出くわした。
高校生のときにプログレッシブ・ロックというジャンルが流行していて
そのときによく聴いていたKansas『Point of No Return』。