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価値[2] ~価値をはかる「ものさし」

第3章〈価値〉#03


〈じっと考えてみよう〉

□Q1:
A山は、高さ3000m。
B山は、高さ1000m。
どちらが「すごい山」だろう?

□Q2:
20万部売れた本と
2000部売れた本と
どちらが「すぐれた本」か?

□Q3:
一個5000円で売っている高級料亭の弁当と
今朝お母さんがつくってくれた弁当(値段はついていない)と
どちらが「おいしい弁当」か?



0303b_2前回、「価値」とは、人がものごとに対して感じる「よい」性質のことであると学んだ。わたしたちはよく、なにか行動するときに「それはやる価値のあることだろうか」と考えたり、二つの物を並べて「こっちのほうがいいよね」とか「あっちはよくないな」とか比べたりする。それはつまり、あるものごとに対し、価値があるかないか、あるいは、価値が高いか低いかを判じているのだ。

そのように価値をはかることを「評価」という。ものごとを評価するときに大事になってくるのは、どんな「ものさし=基準」を使うかである。使う「ものさし」によって、みえてくる価値がちがってくるからだ。

〈Q1〉をみてみよう。3000mのA山と1000mのB山を比べて、どちらが「すごい山」か。この問いで重要なのは、なにをもって「すごい=よい=価値がある」とするかだ。いちばんわかりやすいのは、「標高」というものさしを使うことだ。標高の高い山ほどすごいと決めるなら、3000mのA山のほうがよりすごい山であり、価値がより高いという評価になる。


ところが「ものさし」を変えると、B山のほうがすごいとなる場合もある。たとえば、A山は活火山で溶岩がごつごつしただけの山である。いつ噴火するかもしれないので危険でもある。それに対し、B山は落葉樹におおわれるおだやかな山で、湖や滝もある。野花もたくさん咲いている。もし、「ハイキングでの楽しさ」というものさしを当てるなら、B山のほうがよりすごい山となり、価値もより高くなるだろう。

あるいは、A山はあなたにとって写真でしか見たことのない遠くの山だとしよう。それに比べB山は地元の山で、小さいころから家族や友だちと何度も登っている自分を育ててくれた山である。このとき、「思い出深さ」というものさしを当てるとどうだろう。圧倒的にB山のほうが、自分にとってすごい山であり、価値が高い山ではないだろうか。

このように山を評価するとき、ものさしはいくつもある。言い方を変えると、どんなものさしを使うかで、山はちがった価値をもつ。

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では、このものさしについてもう少し考えを深めてみよう。ものさしには二つの重要な点がある。一つは、それによって「なにを」はかろうとするか。もう一つは、はかった度合いを「どう」示すか。

たとえば、先ほどの「標高」というものさし。これは山の外面的な高さをはかろうとし、その度合いを「メートル」という長さの単位を用いて数値で示すものだ。このものさしはだれにでも明瞭である。測定方法も決まっているし、メートルも世界共通の単位だからだ。3000mの標高の山はだれが測定しても3000mである。また、標高3000mと標高1000mとの比較も容易である。つまり客観的な評価ができるものさしなのだ。

それに比べ、「ハイキングでの楽しさ」や「思い出深さ」といったものさしはどうだろう。これらは山に対していだく情緒的な強さをはかろうとし、その度合いを感覚的に示そうとするものだ。この場合、人それぞれに感覚のちがいがあるし、必ずしも数値によって測定できるものではないために、あいまいな部分が出てくる。これは評価する人の主観的な判断にたよるものさしになる。

わたしたちはふだんの生活のなかで、ついつい、外面的な「多い/少ない」「大きい/小さい」をはかった数値に目を奪われがちになる。そしてそれらの数値によって、「自分はどうだ、他人はどうだ」とか、「勝った、負けた」と気をもむ。けれど、そうした外面の測定値だけでものごとをながめ比較することは、ほんとうに価値をみつめていることにはならない。

たとえば、数学のテストで90点取った生徒と50点取った生徒とがいたとき、90点取った生徒のほうがすごいと思うだろう。一カ月に100万円稼ぐ人と10万円稼ぐ人がいたとき、100万円稼ぐ人のほうがすごいと思うだろう。たしかに一面ではすごいことだ。しかし、それはあくまで人の技能的・経済的な価値しか表わしていない。

では、50点取った生徒や10万円稼ぐ人は、価値の低い人だろうか。たとえば50点取った生徒は、テストは苦手だけれども、ふだんから友だちの面倒をよくみて、いつもクラスを明るくしている。10万円稼ぐ人は音楽家で、地元の人たちにボランティアで音楽を教えたり、音楽会を主催したりしている。そうしたとき、もし彼らに「ほかの人や社会への貢献」というものさしを当てればどうなるか。このものさしは、その人の内面ややっている内容にまなざしを向けるもので、評価は必ずしも客観的な数値では表せない。が、彼らの存在の大きさがぐっとみえてくる。

〈Q2〉のように、本などの知的な表現物も評価がむずかしいもののひとつだ。多くの部数が売れていると、わたしたちは自動的に「さぞ、すぐれた本なんだろう」と思う。逆に、数が売れていない本については「あまりよくないのだろう」と思う。テレビ番組にしてもそうだ。視聴率という数値の高い低いによって、その番組の内容を評価しがちになる。

しかし、部数や視聴率の低いもののなかには、ほんとうに深い内容のことを言っているので、多くの人にわかってもらえない場合が起こることを忘れてはいけない。だから、大事なことは、「数が大きいからすごい」とか「みんながいいというから、いい」という安易な評価に流れないことだ。

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最後に〈Q3〉。高級料亭の5000円もする弁当は、たしかに素材も立派で、きれいにつくられている。技術の面でも、味の面でもすぐれているだろう。それに対し、お母さんのお弁当は、見ばえも地味だし、はっきり言って味も薄かったり濃かったりする。でも、よくみると、きのうのおかずの残りをうまく使っていたり、自分の好きなウィンナーを多めに入れておいてくれたりする。そしてなによりも朝早くから起きてつくってくれたものだ。そういう生活の知恵や愛情といったものさしを心のなかから引き出してきて、母の弁当をみつめることができたなら、その弁当はとても価値の輝くものになる。

ものごとの「評価=価値をはかること」はとてもむずかしい。一生をかけて学んでいくテーマといってもよい。豊かにものさしを持った人のみが、豊かにものごとをみつめることができる。そしてやがては、ものごとをあれこれ比較して、気をもむこともやめてしまうだろう。


【味わいたい言葉】
「私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、

厳しい岸壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。
山登りを優劣でみてはいけないと思う。
要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、
登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う」。

             ―――植村直己(冒険家)『青春を山に賭けて』より



[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]


 
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価値[1] ~価値とは何だろう? 

第3章〈価値〉#02


〈じっと考えてみよう〉

各問の①、②、③の空欄に、選択肢a、b、cから適当なものを入れなさい。

〈Q1〉
□日本に住む私たちにとって、コップ1杯の水は「①___」です。
□砂漠を旅する人にとって、コップ1杯の水は「②___」です。
 a)ふつうのもの
 b)貴重なもの

〈Q2〉
□野球部がいま練習で使っている野球ボールは「①___」です。
□その野球ボールの一個に、有名なプロ野球選手がサインをしてくれました。
そのボールは「②___」です。
 a)とんでもない宝もの
 b)なんでもないもの

〈Q3〉
□彼女は大人になって、実は育ての親が実の親でないことを知った。
そして彼女は、実の親を探す旅に出た。
どうしても「①____」を知りたかったのだ。
□F氏が勇気をもって一人抗議したことは、賞賛に値する。
その行動には「②____」がある。
□人はいくつになっても、若さを欲する。
みずみずしい若さには「③____」があるからだ。
 a)正しさ
 b)美しさ
 c)真実

〈Q4〉
ガソリンで走る自動車は、
長い距離を快適に移動でき、物を運べるという「①    」を与えてくれる。
その一方で、自動車からの排出ガスは地球環境や人体に「②    」を与えている。
 a)害
 b)便益

〈Q5〉
山のゴミ拾いボランティアの参加募集があった。
幸介(こうすけ)は、正直、半日かけてのゴミ拾いは「①    」ので、あまり気が進まない。
でも、町の人や登山の人がよろこんでくれる顔を想像すると、「②    」ので、参加することにした。
 a)しんどい
 b)気持ちがいい


*問題の答えは文末にあります

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「価値」とはなんだろう?―――それは簡単に言えば、人がものごとに対して感じる「よい」性質のことだ。「よい」というのは、好ましい、優れている、役に立つ、得になる、ほんとうである、正しい、美しい、などである。わたしたちは、ものごとのなかにこういった「よい」性質を見出すとき、それには「価値がある」と言ったり、また、その度合いに応じて「価値が高い/低い」と言ったりする。

たとえば、コップ一杯の水はわたしたちののどの渇きを癒やしてくれるという「よい」性質がある。だから水には価値がある。ただ、〈Q1〉でみるように、同じコップ一杯の水でも日本の住人と砂漠の旅人とでは価値の度合いが違う。日本では水の価値は低いが、砂漠では価値が高い。その理由は、コップ一杯の水の役に立つ度合いが、砂漠のほうが高いからだ。加えて、砂漠では水が少ないことも水の価値を押し上げている。

〈Q2〉において、同じ野球ボールでも、サイン入りは価値が高くなる。なぜなら、「有名選手がサインした」というみながあこがれる性質が加わったからである。そしてそのボールは多くの人がほしがるので、ひょっとすると高く売れて得をするかもしれない、という理由もある。

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〈Q3〉でみるように、真実や正しさ、美しさは価値である。そして人はそれらを求める。これらはとくに「真・善・美」(しん・ぜん・び)と呼ばれ、価値の代表として知られている。

なぜ彼女は、旅に出るのか。それは、自分を生んだ親についてほんとうのことを知りたいからだ。いまだ自分が知らない真実には価値があり、それを求めずにはいられないのだ。また、F氏の行動がなぜ賞賛されるにふさわしいのか。それは、その行動が正しさという価値を含んでいるからである。また、なぜ人は若さを欲するのか。それは、若さが持っているエネルギーが美しさに通じていて、人はそれを価値とみるからだ。

このように、人はものごとのなかに「よい」性質を見出すとき、それを価値と感じ、価値を求めようとする。逆に、ものごとのなかに「わるい」性質を見出したとき、それは「反価値」としてきらったり、避けようとしたりする。「わるい」性質とは、好ましくない、劣っている、害を及ぼす、損になる、偽りである、悪である、醜い、などだ。

〈Q4〉をみてみよう。ガソリン車は価値のうえで両面性を持っている。つまり、移動や運搬の道具としてはおおいに便益があって価値あるものだ。ところが、排気ガスによって環境に害を与えるという面では、反価値のものである。〈Q5〉も価値と反価値の問題だ。半日のゴミ拾いボランティア活動について、幸介はしんどいという反価値と、人のためになるという価値の両方を感じている。幸介は心のなかで、価値と反価値をてんびんにかけ、いろいろと悩む。それで最終的に人によろこんでもらえるという価値のほうが大きいと思ったので、参加する決意をしたわけである。

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人間はなにかものごとに接するとき、知らずのうちに価値を考えている。たとえば、「今度、保健委員を任された(その役目を引き受けることはどれほど価値のあることだろうか)」。「店でA製品とB製品、二つの物が並んでいる(どっちの価値が高くてお買い得だろう)」。「クラスで目立ちたがり屋のSがなにやら得意げに話をしている(あれは信用できないな。聞く価値のないウソの話だ)」。「一風変わった曲を歌うミュージシャンが出てきたぞ(それは買って聴くほどの価値のある曲かな)」……など。

人間は基本的に、自分に好ましいこと、利益になること、真理であること、正しいこと、美しいことに引かれて行動するようにできている。おそらくそれらのことが自分の命を守る作用があることを生命全体で知っているからだろう。


(問題の答え)
Q1-①:a Q1-②:b
Q2-①:b Q2-②:a
Q3-①:c Q3-②:a  Q3-③:b
Q4-①:b Q4-②:a
Q5-①:a Q5-②:b



[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]


 
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