個性[4]~遺伝子が個性を決める?

第1章〈自己〉#04


〈じっと考えてみよう〉

自分の容姿や才能、性格、人生は、いったい何によってつくられるのだろう。
親から受け継いだ遺伝子によって? 環境によって?
それとも、自分の心の持ちかたや行動・努力によって?
下の線上で、あなたが思う度合いのところに〇印を入れてみよう。

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わたしたちはみな、知らないうちに生まれてきます。そして何歳かになると、自分というものを意識するようになります。そして、「ああ自分はこのような家庭で育っているんだな」「このような性格なんだな」「このような顔や体で、このような才能を持っているんだな」と気がつきます。そしてさらに大きくなると、他人と比較して、優越感を持ったり、劣等感を持ったりするようになります。

好きであれ、きらいであれ、自分の容姿や才能、性格は受け入れるしかありません。そこで考えたいのは、容姿や才能、性格がいったい何によって決まるかということです。


さて、〈じっと考えてみよう〉で、あなたはどこに〇印をつけたでしょう……。

「A:親からの遺伝子や生まれた家の環境によってほとんどがつくられる」に近いほう、つまり数値の1や2につけた人は、自分の個性は先天的な要因や環境的な要因に大きく影響を受けると感じた人です。

逆に「B:自分の心の持ちかたや行動・努力によってほとんどがつくられる」の側、つまり4や5のところにつけた人は、自分の個性は後天的、意志的な要因が大きく影響すると感じた人です。数値の3につけた人はその中間の感じ方です。

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もちろん、この問いに正解はありません。感じ方は人それぞれですし、実際、この両方の力が自分に作用しています。ただ、Aの側は「運命や環境によって自分はつくられる」という受動的な意識の表れだといえます。逆にBの側は「自分は自分の意志によって変えることができる」という能動的な意識の表れといえます。

さて、もう少し長い時間のなかで考えてみましょう。人類はこれまでずっと村や社会をつくってきました。そこではたいてい身分制度があって、人は生まれた環境に強く縛られていました。日本でも江戸時代(つい150年くらい前)まで、農家に生まれれば一生農民をし、商家に生まれれば一生商売をやっていました。

いくら音楽や絵の才能があっても武士をやらなければならなかった人がいたり、技術が不得意であっても職人をやることを強いられたりする人がいました。そのように、身分という運命が人の才能を無視し、生きるレールを決めていた時代がありました。むしろそうした時代のほうが、人類史上、圧倒的に長いのです。

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その点、現代のわたしたちは身分から解放され自由です。なりたいものになっていい時代に生きています。これは過去の人びとが苦労して勝ち取ってくれたことです。〈じっと考えてみよう〉の回答においてBのほうの意識を持てることは、じつは幸せなことで、現代の特権といえるのです。

次のような古い言葉があります───

「心が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる」。

 

また、化粧品の世界的ブランド『シャネル』を創業したココ・シャネルはこう言いました───

「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績」。

つまり20歳までの顔だち、顔のつやというものは、親の遺伝子や若さといった影響を直接的に受けるものです。しかし、それ以降は、自分自身の考え方や生き方が顔をつくっていくという考えです。

「しょせん、個性や人生なんて遺伝子や生まれ育った環境で決まるものさ」と考えることは簡単でラクなことです。しかし、そうした姿勢によって、自分を元気づかせることができるでしょうか。たぶん、元気の出ない自分をつくりあげてしまうでしょう。

ところが一方、「自分の個性といい、人生といい、最終的には自分の意志と努力でつくりあげるものなんだ」と決意することは、しんどいけど元気がわいてきます。

さて、あなたは「ラクだけど元気の出ない考え方」を選びますか、それとも、「しんどいけど元気が出る考え方」を選びますか?

[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]


 
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個性[3]~長所も短所もおおらかに受け入れよう

第1章〈自己〉#03


〈じっと考えてみよう〉

自分の性格や容姿(顔だち・体つき)、才能を見つめて、
長所・好きな点はどこだろう? 
短所・きらいな点はどこだろう?
それぞれ3点ずつ書きだしてみよう。

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人はそれぞれに長所や短所があります。そしてこの長所や短所こそ、あなたが「世界で唯一のあなた」であるための個性をかもしだしています。個性は、その人の味わいであり、輝きであり、魅力です。

あなたがいま書きだした長所や短所はさまざまあるでしょう。ふつうに考えれば、長所はよいものだからどんどん増やしたいと思います。また逆に、短所はよくないものだからなくしてしまいたいと思います。

けれど、もう一段深く考えると、長所や短所といってもそれはとらえ方しだいで変わるものです。これから生きていく間には、長所と思っていることが、じつは短所になって、結果的に害になることが起こるかもしれません。また逆に、短所が長所としてはたらいて、益になることもあります。

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たとえば、「いろいろなことに好奇心があり活動的」という長所を持つAさんは、ともかく何にでも手を出しやってみるのはいいけれど、どれもちょっとためしてみるだけで満足し、すぐやめてしまう。そんなAさんは社会に出てからもそんな傾向性が続きました。そのために、ある会社に勤めてはそこをやめ、次の会社に移ってはまたやめることを繰り返し、結果的に安定して職業につけないという人生になってしまいました。

逆に、「人前でしゃべるのが苦手・くよくよ考えすぎる」という短所を持つBさんは、話すことがへたなら、せめて書くことは人よりうまくなろうと決意し、本をたくさん読み、文章力を磨いていきました。また、「くよくよ考える」という傾向性は、いつしか「熟考する・自己分析する」力を強めていった。そのために、Bさんは翻訳家になろうという目標を早くから描くことができました。そして翻訳家となり充実した日々を送ったのでした。

このように自分が長所と思っていることも、逆効果となって悪い結果を生み出すこともあれば、短所としてきらっていることも、実は長い目でみれば良い結果をもたらすことも出てきます。

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大事なことは、長所も短所も、好きな点もきらいな点も、それはいっさいがっさい自分の個性なんだと大きな心で受け入れることです。そしてそれらとうまく付き合い、うまく生かしていくことです。その過程で自分というものがしっかりできてくる。

 

じつは、大人でもよく自己嫌悪におちいります。「自分はこの点がダメだ」「こんな自分はどうしようもない」と、何度も何度も心のなかで自分を責めるのです。たしかに、そうやって落ち込みたいときもあります。しかし、評論家の小林秀雄は次のように書きますーーー

「自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ、最も逆説的な自己陶酔の形式だ」。
(『人生の鍛錬』より)

すなわち、自分がきらいだ、いやだといって落ち込んでいるのは、じつは弱い心の姿勢であって、自分に甘えているだけと言っているのです。

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たしかに、自分がいやになって、元気をなくして得になることはなにもありません。あるとすれば弱い自分に酔って、少しだけ「不幸の主人公」気分にひたれるだけのものです。小説や映画であればそうした不幸の主人公も美化され、人が感動してくれるのかもしれません。ところが現実はそうではなく、自己のなかに陰にこもる人は社会から取り残される危険性があります。

とにかく、現実のあなたはいまここに生きています。

そのような性格・才能を、そのような身体に詰め込んだ生き物は、この地球上(いや、宇宙のなか)にたったひとつしか存在しません。人類の長い歴史のなかでも同じ人間は存在しませんでした。それほどあなたの存在は唯一のものです。だから「これが自分だ」とおおらかにかまえてよいのです。芸術家の岡本太郎はこう言っていますーーー

「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。」「ひとつ、いい提案をしようか。音痴同士の会を作って、そこで、ふんぞりかえって歌うんだよ。それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。得意になってさ。しまいには音痴でないものが、頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ」。 (『強く生きる言葉』より)

[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]


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個性[2]~人はそれぞれに違っているからおもしろい 

第1章〈自己〉#02


〈じっと考えてみよう〉

 8人乗りの船に、8人が乗り込もうとしている。
 下のA・B・Cのうち、もっとも安全な人の配置はどれか?

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わたしたちは一人一人、性格もちがうし、容姿もちがう。才能もちがう。そして考え方もちがう。つまり、みなそれぞれに個性を持っています。

ところがわたしたちは、学校や社会で生きていくなかで、人とちがっていることを恥ずかしく思ったり、不安に感じたりします。

たとえば、「まわりと比べて、自分は落ち着きがない」「みんなより背が低い」「ほかの人が持っている物を自分は持っていない(買ってもらえない)」「クラスの会議で自分一人だけ別の意見を言ってしまった」……など。

また同時に、わたしたちはなにか人とちがったことをする人間に対して、「目立ちたがりだ」とか「自分本位だ」「調和をみだすやつだ」とか言って、遠ざけたり、批難したりします。おおぜいで「出る杭(くい)を打ってしまおう」とするわけです。

いろいろな種類のものが広がっていることを「多様性がある」といいます。そしてそれを受け入れる度合いを「多様性への許容度」といいます。

日本は多様性への許容度が低い国で、ほかとちがっていることを避けたがる傾向が強いといわれます。その理由の一つは、日本は古来、単一民族の農耕社会であり、群れのなかで周囲と同じように生きていくことがよいとされてきたからです。

ところが一方、アメリカ合衆国のような他民族的で移住型の社会はまったく逆です。多様性への許容度が高く、人とちがうことはおいにけっこう、個性を強く押し出すことでまわりの人から認めてもらおうといった傾向が強くなります。

みなが、人と同じようにふるまい、人と同じように考える。人とちがっていることをこわがったり攻撃したりする。そうなると個性の多様性が失われます。多様性が失われるとは、種類が減って、どこかに偏(かたよ)ることです。こうした偏りが出ることは、じつは個人にとっても社会にとってもよくない面があります。

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そのよくない面とはどんなことでしょう? 

たとえば、血液型を考えてみましょう。人間の血液型にA、B、O、ABと4種類あることはよく知られています。これはABO式と呼ばれる分類法によるものです。血液はほかにもRh式やMNSS式などさまざまな分類法で型に分けられます。その掛け合わせで考えると、この世の中でまったく同じ血液型を持つ人は、一卵性双生児以外に存在しないと言われるほどです。

生物としての人間は進化してくる過程で、それほど血液型の多様化を進めてきたのです。もし人間に血液型が1種類しかなかったらどうでしょう。その1種類しかない血液型を死なせてしまう強力なウィルスが現れた場合、人類全部が一気に死んでしまう危険性が高まります。しかし、血液型が何種類にも分かれていたら、仮に1種類がやられても他の血液型は生き残ることができます。そうして人類滅亡が防げるわけです。多様に種類をもつことで自分たちを守っているといってもいいでしょう。

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さて、冒頭の船の乗り方についての設問をみてみましょう。

正解は「C」です。乗る人が全体的に広がっているほうが船はバランスを保てるからです。「A」や「B」は人が偏っていてバランスが悪い。その船はバランスをくずしやすいので沈む危険性が高い。人が生活する集団もこれと同じことがいえます。学校という船も、社会という船も、地球という船も、個性が多様に広がっているほうが安全や安定が保ちやすいのです。

世の中に多様な考え方があるから、わたしたちはそれに刺激を受けて学んだり、さらによい考え方を創造したりすることができる。人それぞれがいろいろな強みや興味をもっているから、いろいろな仕事を分担して世の中を発展させていける。

料理だってそうでしょう。街にはハンバーガー店もあればお寿司屋もある。牛丼店もある。中華もあればイタリアンもある。そういった多様な店があるから楽しいんです。同時に、料理する人たちにとっても、そうしたいろいろな料理があることで、そこから学べ、新しい料理を生みだすことができるのです。

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いろんな顔の人がいて、いろんな体格の人がいる。そしていろんな意見を出し合う。それは世の中に多様性があることでよいことなのです。わたしたちは多様性をおおらかに受け入れるために、次のように心を構えていきたいものです───

 ○自分が人とちがっていることを気にかけない
 ○自分が人とちがっているところをおおいに伸ばす
 ○他の人が自分とちがっていることを見守ってあげる
 ○他の人が自分とちがっているところから学ぶ


[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]


 
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個性[1]~世の中は個性が織り成す宇宙  

第1章〈自己〉#01

〈じっと考えてみよう〉

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並びかえの問題を3つ出しました。どうだったでしょう?

Q1とQ2は簡単です。数字の大きい/小さいや、面積の大きい/小さいは、明確に比較ができ、順番に並べること(これを「序列化」という)ができます。

ところが、Q3はどうでしょう。「青っぽくにじんだ丸い形」と「赤くぼんやり発色する星のような形」「複数の色が帯になった台形」───この3つを何かの基準で並べられるでしょうか。

これらはうまく序列化できません。なぜなら、これら3つは、単純な色づきではないし、形や輪郭もまちまちなので、なにか基準を当てはめて比べることが難しいからです。

また、赤や青といった色の世界には、そもそも優劣(ゆうれつ)や上下がありません。赤と青を比べて、赤が優(すぐ)れていて青は劣(おと)っているとか、黄が上で緑は下だとか、そういう序列はありません。形も同様です。丸と星形と台形を比べて、どれがよくてどれがわるいかと判じることはできません。

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さて、人の個性をこの「色」や「形」としてとらえたらどうでしょう。

つまり、あなたの性格は色です。そして身体や考え方は形です。もしあなたの性格が、いろんなことに情熱を燃やそうとする快活的なものなら、それは「赤」という色かもしれません。もし性格が冷静で何ごとにも落ち着いているなら、それは「青」かもしれません。

そしてそれら性格という色を発する器(うつわ)のようなものとして身体がある。世の中には、体が太い人/細い人、背の高い人/低い人、などさまざまいますが、それらは形の違いです。さらには、人の考えや行動にも傾向性や様式(英語では「スタイル」と呼ぶ)といったものがあります。それもこの形の違いとしてとらえることができます。

一個一個の人間は、独自の色(=性格)を発して、独自の形(=身体、思考・行動様式)を持つ生きものです。この色と形の組み合わせが、千差万別の個性をつくりだします。この世の中は、個性という名の宝石が天の川のごとくきらめく場所といっていいでしょう。

そのときに、自分の色や形を他人のそれと比べてどうだこうだと神経質に考えてもしょうがありません。自分は自分であればよいと気楽にかまえることです。個性を出さなければ、と気負う必要もありません。笑いたいときはおおいに笑う。考えを言うときは考えたままをほがらかに表明する。なにか一所懸命になれるものを見つけて、それに打ち込む。すると勝手に個性が出てきます。そして、人から「あなたらしいわね」と言われたなら、それは個性の出ている証拠ですから、すなおに喜べばいいのです。

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もし、あえて比べるとすれば、過去の自分と現在の自分です。

自分の個性が赤色とするなら、「きょうの赤は、きのうの赤よりあざやかだろうか」「今年の赤は去年の赤より深くなっているだろうか」という問いを自分に投げかけてみよう。また、赤といっても、朱色(しゅいろ)もあれば、茜(あかね)色もある、臙脂(えんじ)色もある。自分はどういった赤にしていくかを考えてみるのもいいでしょう。

形にしてもそうです。自分は丸なら丸をきわめてやるという意識が大事です。丸は転(ころ)がすことに向いています。だから自分はどんな転がりを追求していくかを考えるのです。

自分は四角でいくぞと思えば、どんな四角で、どうやってその形を精いっぱい生かしていくかを考える。ある人は箱のような入れ物としてがんばろうと思うかもしれないし、ある人は積み木のような建材として我が道を行こうとするかもしれない。

人の個性に上も下もありません。優も劣もありません。ただ自分が自分らしく、どっしり構えられるかどうかが大事な点です。

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学校の成績があまりよくなくて、自分に自信をもてない人がいるかもしれません。しかし、学校の試験は、人間のごく一部の能力だけを取り出して、計算能力が他人と比べて上だとか、運動能力が平均より下だとかをみているだけです。その人のほんとうの個性をみているものではありません。そもそも個性はとても奥深いもので、試験の点数で簡単に表せるものではないのです。

学校の成績に関係なく、あなたという個性は満天に輝く星々の中の一つです。その輝きは他のだれとも違っています。あなたはその個性と死ぬまで付き合っていくことになりますから、ぜひ自分の個性をおおらかに見つめてください。

●「他人の物真似で二流でいるより、自分らしくあることで一流でありたい」。
―――ジュディ・ガーランド(米国女優)

「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ。
平気でへたに、明るく歌を歌ってやればきっとうらやましがられる。
……しまいには音痴(おんち)でないものが、
頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ」。
───岡本太郎(芸術家)

[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]

 


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