結果と過程[1]~結果を出すことが「勝ち」か?
第2章〈成長〉 #05
〈じっと考えてみよう〉
あなたはいま、剣道部のキャプテンをやっていると仮定しよう。
あなたの学校の剣道部には強い伝統があり、毎年の県大会ではベスト4をはずしたことがない。そのためにあなたの学校にはシード権があり、県大会では予選の第1戦と第2戦を免除されている(これは体力を温存するためにも有利な条件だ)。
さて、今年1年間、あなたはキャプテンとしてチームを引っ張ってきた。その成果を示す県大会がもうすぐある。毎日の練習に工夫をこらし、メンバーを励まし、同時に、自分自身も選手として稽古(けいこ)を重ねてきた。
いよいよ、県大会本番。 自分の調子はよかったものの、主力選手の調子が悪かったり、ケガ人が出たりして、チームとしての実力が十分に発揮されなかった。結果はベスト8にも残れない惨敗だった。おおぜいの人が応援にかけつけてくれたが、期待にこたえることができなかった。
今回のチーム成績によって、来年からシード権がなくなり、後輩たちは県大会の予選第1戦から戦わなくてはならなくなった。
□さて、このとき、あなたの気持ちは次のどちらに近いだろう?
【気持ち1】
結果が出なかったことはしょうがない。そのときの運もある。
毎日やってきた厳しい練習は正しかったと思うし、
自分もチームもいい思い出になった。
【気持ち2】
結果は出さなければ意味がない。
運がなかったという理由にすべきでない。
よい結果を出すことで、努力した日々がほんとうによい思い出に変わる。
わたしたちは生活のなかでいろいろ目標を立てて、それを達成しようとがんばります。今度の試験で何点以上を取ろうとか、今度の試合で入賞をめざそうとか、受験で第一志望校に合格しようとか。それで達成できれば「結果を出せた!」とよろびますし、達成できなければ「結果を出せなかった」と落ちこむことになります。
「結果」に対して「過程」(英語ではプロセス)という言葉があります。過程とは、結果を出すために、どんな準備や努力をしてきたかということです。さて、設問をみてみましょう。あなたはどちらの気持ちに近かったでしょう。
〈気持ち1〉は、過程を重視しています。過程において一生懸命努力したんだからそれで悔いはない。結果はその時の運もあるからしょうがない、というとらえ方です。
それに対し、〈気持ち2〉は、結果重視です。いくら過程においてすばらしい努力をしても、結果を出せなければ自分の力を証明できたことにはならない。運のなさを理由にしてはいけない。応援してくれた人にも申し訳ない、というとらえ方です。
実は、「結果と過程、どちらを重視するか」というのは、大人でもおおいに悩む問題です。たとえば勝ち負けを仕事にしているプロスポーツ選手を想像してみてください。野球選手の場合、ヒット率やホームラン数、勝ち星という結果を出さなければ、レギュラーとして試合に出られなくなるので、職業としての野球を続けることはできません。家族もやしなっていけません。彼らは「結果を出すこと」に生活がかかっているのです。だから必死になる。必死になるから感動的なプレーが生まれるわけです。
プロスポーツ選手ほど厳しくはありませんが、一般の会社員や自営で商売をしている人たちも、やはり結果にこだわらなくてはいけないと感じています。仕事でよい成績を上げたり、商売で利益を上げたりという結果なしには、給料がもらえないし、商売が続いていかないからです。
けれど、そうして「結果、結果を出さねば」とあせっても、結果は過程をきちんとつくっておかないと出ません。よい計画を立て、よい準備をし、心と体と能力を目標達成に向けていかねばなりません。そこをなまけてよい結果を望もうとするのは、都合のいい話です。そのように、大人たちは「結果が大事」と「過程が大事」との間で揺れ動きながら働いています。
設問にあげた〈気持ち1〉〈気持ち2〉は、どちらがよいわるいというものではありません。人それぞれに傾向性があります。しかし、次のようなことを留意すべきでしょう。
「練習をきちんとやっていればよい」「準備はちゃんとしたので」という態度、すなわち過程重視の態度は、往々にして、結果を出せなかったときの言いわけになります。やはり挑戦するからには「結果を出してみせるぞ」という執念がないと、過程があまくなるし、挑戦がいいかげんなものになります。また、成し遂げようとする真剣な気迫のなかでこそほんとうによいアイデアが生まれるものです。
ところが「結果を出すこと」が絶対化すると問題も起こります。人を蹴落とそうとしたり、不正をやったり、手段を選ばない心が出てしまいます。
スポーツの世界でよく話題になるドーピング(不正な薬物使用)、議員選挙でたびたび起こるわいろ(投票者に不正に贈り物をすること)、企業の間で行われるカルテル(製品の価格や生産数量を秘密で決めあうこと)などはその典型です。勝利、当選、利益という結果を絶対出さねばならないという気持ちから不正をしてしまうわけです。みぢかな例で言えば、試験でいい点が取りたいあまり、カンニングする誘惑にかられるのと同じです。
プロ野球界で数々の記録を打ち立てるイチロー(本名:鈴木一朗)選手は次のように語っています―――
「結果とプロセス(過程)は優劣つけられるものではない。
結果が大事というのはこの野球を続けるのに必要だから。
プロセスが必要なのは野球選手としてではなく、
人間をつくるうえで必要と思う」。
(『イチロー262のメッセージ』より)
一野球人として結果が大事。一人間としては過程が大事。これはイチロー選手が長年かけてたどりついたひとつの哲学でしょう。最後に、古くからの言葉も紹介しておきます。それは―――「人事(じんじ)をつくして天命を待つ」。自分ができるすべてのことをやりきって、結果は天の意思に任せなさい、という意味です。
人生において、よい結果を出すことが必ずしも「勝ち」とはかぎりません。そのことに「挑戦したこと」がすでに勝ちなのです。なにかに挑戦して、よい結果が出たなら、それは天からのごほうびとして、よろこんで受け取る。わるい結果が出たなら、もう1回挑戦してみなさいという天からの激励ととらえる。そういういさぎよい心でものごとに取り組んでいく人が、おそらく、長い時間をかけて自分の思いどおりの人生を築いていく人なのでしょう。
[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]
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