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「働くことを切り拓く力」の脆弱化を考える 〈下〉

8.12



◆キャリアを形成する5つの要素:CROSS
人はどういう意識で職業を選び、どう仕事を発展させ、実績を生み、何を目指して進んで、キャリアを形成していくのだろうか。それにつきひとつの考察を試みたのが図1である。

私はキャリア形成の要素として次の5つをあげる。

1)能力を豊かにする〈CAPABILITY〉
2)ロールモデルを持つ〈ROLE MODEL〉
3)機会を見出す〈OPPOURTUNITY〉
4)意義を与える〈SIGNIFICANCE〉
5)1~4を統合する〈SYNTHESIZE〉


この5つの要素を交差させるところで、私たちは職業選択をし、仕事を発展させ、実績をつくり、方向性を決めてキャリア形成を進めていく。

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次に図2はその5要素を詳しく示したものである。1~4の要素はそれぞれに段階がある。この段階を経て統合されているほどその人は強いキャリア形成を行っていることになる。

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〈1〉能力〈CAPABILITY〉の形成要素
誰しも「能力がある」「適性がある」という分野で職業選択をし、仕事したいと思う。これは第一段階として当然のことだ。しかし、キャリアをつくっていく上でもっと重要なことは、図に第二段階として示してある「能力の展開」が行えるかどうかだ。

これはつまり、環境が変わっても自分の能力を応用展開させて、きちんと成果が出せるかどうかをいう。会社組織で働いていると、人事異動や転勤はつきものだ。そして市場環境の変化にも直面する。そうしたときに、自分のベース能力を変形させる力を持っていないとすぐに行き詰まる。行き詰まったときに、「これは人事配置のミスだ」とか「適性の向かない環境に回されてモチベーションが上がらない」とか不満を漏らして、くさるか、短気を起こして転職するか、これはキャリアを切り拓く力の弱い人の姿である。

また、大学生の就職活動にしても、何かと適性、適性と言う。適性診断やら自己分析やらで被験者の適性をタイプ分けし、そこから選択すべき職業・職種を教える。これは一面、「占い師」の宣告になる危険性があり、学生の思考をいたずらに呪縛するもので、必ずしも有益だとはかぎらない。

以前、元の会社の後輩社員から相談を受けたことがある。彼は大学時代に広告研究会で活躍していた人間である。そのクリエイティブ能力から、長年、広告部に配属されていたのだが、組織の大異動で営業部隊の最前線へ。くさりかけていた彼に私は「営業だから非クリエイティブと決めつけないで、クリエイティブのレンズを通して営業を見たら存外面白いかもしれないよ」と伝えた。

その後1年半ほどして、彼は営業部隊でPOPやリーフレットを作成したり、納入取引先のウェブサイトのデザインを支援したりするクリエイティブチームを起こし、そこのリーダーにおさまったとの連絡を受けた。彼はたくましく新境地を拓いたのだ。

能力は大事だし、適性も大事だ。しかし、キャリア形成にとってもっと大事なことは、能力を展開する力である。

環境への不満を言い出したらきりがない。「自分の居場所はここじゃない」とすぐに逃げ出す人はキャリアを拓けない。そもそも自分に100%フィットする仕事環境などないと心得るべきなのだ。そしてまた、自分の潜在能力や本当の適性はどこにあるか本人も気づいていないときは意外に多い。環境・状況に応じて、能力を変形させる、あるいは自分を変える、逆に、環境や状況を好ましいように変えていく―――そういった意識を上司も組織も、大学の就職支援カウンセラーも伝えていくべきなのだ。


〈2〉ロールモデル〈ROLE MODEL〉の形成要素
私たちはよりよく働くため、そして力強くキャリアを進んでいくために方向性が要る。方向性を持つことの最初のきっかけは「あの人のような仕事がしたい」という模範やあこがれを持つことである。「学ぶ(まなぶ)」という語は、「真似る(まねる)」から来ていると言われるとおり、人を真似ようとすることから方向性が出てくるのである。

強くキャリアを歩んでいる人は、意識するしないに関わらず、必ずどこかの時点で模範やあこがれの人物に出会っていて、その人物の働き方・働き様(ざま)・生き様(ざま)から理想のイメージをつくり出している。

その理想のイメージは、強烈な1人の人間から得ている場合もあれば、複数の人間の合成の場合もある。そしてその理想イメージが十分大きく堅固になったとき、それは「夢・志」と呼ぶべきものになる。

キャリア形成の力が弱い人は、全般的に他の人間の働き様への関心が薄く、そこから何か自分なりの理想イメージを引き出す力も弱い。漫然とイメージ無しに働き過ごしている。せいぜいあこがれるとすれば、「○○の仕事は儲かっていいなぁ」くらいだ。

「働くことを切り拓く力」を養うために私たち大人ができることは何か。それはロールモデルをたくさん見せることだ。自らの夢や信念に生きた姿をどんどん後進世代に語っていくことだ。ロールモデルならそこかしこにある。図書館には過去の偉人たちの自伝がいくらでも並べてある。

成人になってから再度、野口英世やキュリー夫人、二宮尊徳など学級文庫にラインナップされた人たちの本を読んでみると、子供のころとはまったく違った気づきがあるだろう。そうした気づきを大人は子どもたちにどんどん語るべきだ。難しい話はいらない。―――
「すごいねぇ、こういう生き方」、
「お父さん(お母さん)は、こんな生き方が美しいと思うな」、
「信念を持ち続けることが大事なんだね」、
「こういう状態になったら、あなたならどうしたかな?」
……そんな語りかけでよいと思う。

また、そうした偉人でなくとも、テレビのヒューマンドキュメンタリー番組では、一つの仕事に献身するさまさまな働く姿が紹介されている。新聞や雑誌にもそうした記事はたくさんある。そんなときに「表に見えないところにはこんな仕事もあるんだね、面白いねぇ」、「さすが、第一級のプロの仕事は違うね。感動するね」などと会話を持ちかけてほしい。

親や学校の先生がこうした語りかけをすることこそ、最良のキャリア教育であると思う。「働くことを切り拓く力」を養うのに何か特別な理論やメソドロジーが要るわけではない。働き方、働き様、生き様は、結局のところ、人の生きる姿からしか学べないのだ。

企業組織における人財育成においても同じである。ロールモデルたるべき人物の仕事ぶりから、個々の社員が有形無形に何かを引き出し、組織文化や組織のDNAを継承させていくことに成功しているのが本田技研工業である。

同社の社史『語り継ぎたいこと~チャレンジの50年』(ウェブ上に公開されている)は、会社創業期からの群像物語である。ここには、本田宗一郎や藤沢武夫はもちろんだが、一課長や一技術者の話までふんだんに紹介されている。この社史が社員にとって非常に有益なのは、会社の歴史的出来事が書かれているからではない。スーパーカブの発売にせよ、マン島レースでの優勝にせよ、CVCCエンジンの開発にせよ、そこに関わった人物がどう考え、どう失敗し、どう決断し、どう振舞ったかが肉声を交えて書かれているから有益なのである。

この項目の冒頭で、ロールモデルから得るものは、“方向性”であると書いたが、もうひとつ忘れてならないものがある。―――それは“熱”である。

キャリアをたくましく切り拓いていくためには、心に熱を帯びていなくてはならないのだ。方向性を持ち、熱を帯びたとき、ようやくその先に夢や志は見えはじめてくる。


〈3〉機会〈OPPOURTUNITY〉の形成要素
私たちは環境と時代の中に生きている。だから自分を大きく活かしていくためには、環境が自分に求めるものは何か、時代が要請するものは何かということに常にアンテナを張っておく必要がある。

環境とは、広くは社会全般であり、具体的には自分が働く組織、関わる業界や市場である。時代には、過去はどうなってきた、現在にどんな課題がある、そして未来をどうすべきかという3つのフェーズがある。私たちは、環境や時代に合わせるのが精一杯なところがある。あるいは環境と時代の中に自分の居場所を確保することで満足してしまうこともある。しかしそれはまだ「働くことを切り拓く」姿ではない。

環境や時代といった文脈を感受し順応することから、一歩踏み込んで、「だから次に、ここにはこういうチャンスがあるはずだ!」と、あるリスクを負って未来を自分の意志の方向にもっていくような挑戦姿勢、それこそが切り拓くというキャリア形成のあり方だ。

そうした果敢に機会を創造する精神はどうやれば涵養できるのだろう。私はこれに関しても特別な教育メソドロジーや訓練は必要ないと思っている。これはいわば“精神の習慣”の問題なのだ。精神の習慣は日ごろの積み重ねからつくられる。さきほどロールモデルの箇所で触れたとおり、偉人や第一級の生き方をしている人びとについて、家庭で学校で組織で語り合えばよい。彼(彼女)は、その人生の大きな分岐点に立ったとき、どんな勇気ある行動をしたかを。

また、マスメディアは往々にして、何か突飛で話題性のある結果を出した人をヒーローとしておもしろオカシク紹介するだけであるが、もっと真摯に社会的に意義のある仕事をする人びとの、地味だが腹応えのある奮闘プロセスを(視聴率・閲読率を失わないような)上等な方法を考え紹介する努力もしてほしい。

リスクを取って未知の世界に踏み込み、チャンスをつくり出そうとする生き方がそこかしこで語られ、賞賛され、奨励されること―――これが日常の中で普通になったとき、日本人の「働くことを切り拓く力」は強められ、それが精神の習慣として定着する。


〈4〉意義〈SIGNIFICANCE〉の構成要素
何かに興味・関心を抱く。そして興味・関心を強めた分野で職業を持つ。これは職業選択において大前提だ。興味・関心のない職をやることは不幸である。興味・関心は職を得る前から自然発生的に抱く場合もあるだろうし、後付けで興味・関心を湧き起こす場合もあるだろう。

それは男女の結婚と同じである。結婚前から恋愛しているときもあれば、見合いによって互いを知り、事後的に恋愛感情が芽生えて結婚に至るときがあるように。いずれにしても「~が好き」「~に興味がある」というのは必要条件である。しかし、このことで十分であるとは言えない。

よく「好きを仕事にしなさい」と言われる。私はそこには落とし穴があると思っている。なぜなら「好き」は、いとも簡単に「飽きた」「嫌になった」に変化するからである。

好きを仕事にということで趣味の分野で独立起業したものの、実際は、そのことが好きであるという愛好者の目線と、それを商売としてやる経営者の目線はかなり違っているために、うまくいかなかったという事例を私は多く知っている。情熱(一時の熱病のこともある)や思い込みで突っ走るというのは、実は不安定な状態であるのだ。―――では、どんな状態が一番良いのか?

それは、「~が好き×~のため」を仕事にすることである。

「~のため」というのは、その仕事に意味・意義を与えることをいう。例えば、家族を養うためとか、この技術を発展させるためとか、社会からこの病気をなくすためとか、そういった仕事の理由である。「好き」にこうした理由が掛け合わさるとき、その仕事は安定度を増す。

そしてもちろん、その「~のため」が内から湧いて外に開いていればいるほど、つまり内発的で利他的な理由であるほど自分の仕事・キャリアは力強く、スケールを増して動いていく。


〈5〉統合〈SYNTHESIS〉の形成要素
そして最後の5つめの要素は、以上述べてきた〈1〉~〈4〉を統合することである。この統合して考える、そして行動に変えることが、キャリアをたくましく拓くために最も重要な作業となる。

子供たちに仕事というものに具体的関心を持たせるために、『キッザニア』(キッズシティージャパン運営)という仕事体験テーマパークや『13歳のハローワーク』(村上龍著、幻冬舎)などの職業カタログ本がある。いずれもすばらしく練られた内容であるが、これを子供に見せて、あとは子供本人の興味に任せるままでは、彼らの内に「働くことを切り拓く力」を育むことにはつながっていかない。

例えば、子どもが上のような体験パークや書籍で「消防士」という仕事に関心を持ったとしよう。子どもの好奇心は純粋で強いので、こうしたメディアのインパクトによって「消防士が絶対いい!」と熱望することはよく起こる(誰しもこういう経験はあったはず)。しかし、たいていこれは熱病のようなもので、中学校に上がり、高校生になり、大学で就活をするころになると、「消防士」になりたかったことを懐かしく思うようになる。

しかし、ごく限られた中に、子供のころのそうした想いを実現させる例もある。それはその後本人が、「消防士が好き」というフェーズから、消防士という仕事にはどんな社会的役割があって、だから「~のために消防士になりたい」という心理フェーズに移行したり、消防士になるにはどんな能力や適性が必要かを学び、そのための準備を怠りなくしたり、実際の消防士の人の具体的な働き方を見聞して、それを自分の将来の姿に重ねたり、消防士という仕事の可能性やチャンスを頭の中で大きく巡らせたり、とそうした統合作業を継続させ、ついにはほんとうにその職業を手に入れてしまうのである。

この統合は、あいまいな思考や思索を具体的な志向や行動に変えていくという受験勉強で正解を当てるという類の作業とはまったく異なるものである。しかし、この統合をやり始めると、統合の過程の中から、どんどんエネルギーが湧いてきて、そのエネルギーがさらに統合を進め深めるという善循環が起こる。そうすると「働くことを切り拓く力」がどんどんついてくる。もちろん、その統合の作業をうまくやらせるためには、本人以外、家族や先生、その他の人の支援や刺激が不可欠なのだ。

職業の種類をいろいろ見せて、「さぁ、興味あるものを見つけなさい」というのは、最初の取っ掛かりとしては大事であるものの、それのみで終えてはいけない。

また、診断ツールか何かで「あなたに向いているのはデザイナーです」とか、ポンと答えを与えるのは、有害である。この即便性こそ、子どもの考える作業を省き、統合から遠ざけ、拓く力を弱めている。しかし現実は、人びとの受けがいいので、事業者はこういう即便なサービスを巧みに商業化する。そして、ますます人びとはそれに乗っかってくる―――問題解決は簡単ではない。

以上説明してきたように、私自身は、キャリアを形成する要素としてこの5つ「CROSS」をあげる。なお、「CROSS-ing」モデルと「ing」を付けてあるのは、5つの要素の交差点でキャリアは形成されていくわけだが、それは刻々に変化していく、絶え間ない努力による“進行形の所産”であることを表したかったからだ。


◆日常のすぐそこにある誰しものキャリア教育
「働くことを切り拓く力」が弱いとは、つまり、「CROSS-ing」が“やせて”いるということだ。下図は、前々記事で紹介したネット通販会社を志望する大学生T君の例を示したものである。

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図を見てわかるとおり、すべての形成要素が“か細い”。シューカツテクニックをにわか仕込みでやったとしても多少の見た目は改善されるかもしれないが、肝腎な部分は強くならないだろう。切り拓くという精神の習慣ができていないからである。

働き様・生き様といったファジー(あいまいで形式化されないもの)なものをファジーなまま受け取り、咀嚼し、感動し、具体的な自分の行動に変換することを奨励されてこなかったからである(これは本人にも、周囲にも、社会にも原因がある)。では、「CROSS-ing」を“豊かに強く”とはどんな状態か。その一例を下に示した。

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こうしたたくましい「CROSS-ing」ができる精神の習慣をつくることこそ、キャリア教育の役割である。念のために添えるが、私はここでこの「CROSS-ing」なる概念モデルを誇示したいわけではない。働くことを切り拓くためには全人的な統合力を必要とすることをたまたま5つの要素で示しただけである。いずれにせよ、働くことを教えていくのは、キャリア教育事業者だけに任せればよいということではなく、親がやり、先生がやり、上司がやり、経営者がやり、メディアがやり、社会がやらなくてはならない。

働くことって面白いなと嬉々と語ること、
仕事を通して夢に向かう真剣な目を見せること、
未知の世界に挑戦する人を讃えること、
成功・失敗という結果でなく、努力のプロセスに関心を寄せること、
あらめて偉人伝を読んでみること、そして彼らの生き方について対話すること、
自分はなぜこの職業を選び、続けるのかを言葉にし、発すること、
―――そうしたことが世の中のそこかしこに満ちていくことが、何よりのキャリア教育になる。

私たちは、受験に勝てる子、業務をうまく処理できる社員をつくることには躍起だが、「働くことを切り拓ける」人間を育むことはおろそかなままである。しかし中長期にみて、個人に、家庭に、組織に、社会に重い影響を与えてくるのは、「働くことを切り拓く力」のほうである。そんなことを大人たちは真正面から向き合って考えたい。



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