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衣食住足りて「働く」を知るようになったか

0.1.2


私たちは、
衣食足りて「働く」を知る――――ようになったのでしょうか?

確かに、平成ニッポンの世をみると、“小さな飢え”はなくなったように思えます(社会のある部分には依然残る問題ではありますが)。しかし、私たちの目前には変わって、“大きな渇き”が現われはじめたのではないでしょうか。次のような内なる問いに対して、明確な答えが得られないという渇きです。

・自分は何のために働くのか?

・食うためには困らないが、このままこの仕事を何十年も繰り返していくと思うと、気分は曇る。かといって、今の自分に何か特別やりたいものがあるわけでもない・・・

・仕事は本来苦しみなのか、それとも楽しみなのか?

・今の仕事は刺激的で面白い。しかし、これはゲームに興じている面白さと同じような気がする。仕事に何か大きな意味とか意義を持っているわけではない。これは健全なことなのか?

・成功することと幸せであることとはイコールなのだろうか? つまり、仕事で成功したとしても、人生が不幸ということが起こりえるのか? また、仕事で必ずしも成功しなくても、幸せな人生を送ることは可能なのか?

・メディアの文字に踊るキャリアの勝ち組とは何だろう? 成功者とは誰のことだ?

・天職にめぐり合うことは、運なのか努力なのか?

・働きがいが大事なのはわかるが、理想の働きがいを追っていたら、就職口はほとんどなくなるのが現状だ。所詮、働くとは、妥協と我慢を強いられるものなのか?

・利己的に、反倫理的に儲ける個人・企業が増えてきたら世の中はどうなるのだろうか?また、自分自身がそういう“うまい汁”の権益を持った身になったら、果たして自身の欲望を制御し、利他的、倫理的に振舞えるだろうか? しかし考えてみるに、欲望は成長や発展のために必要なものではないか?

・仕事はよりよく生きるための手段なのか、それとも仕事自体が目的になりえるのか?

……等々。



一人ひとりの内面から湧き起こってくるこうした「職・仕事」をめぐる“大きな渇き”は、無視することのできない“大きな問い”です。私たちは、みずからが働くことに対し、意味や意義といった“答え”が欲しい。なぜなら人間は、みずからの行動に目的や意味を持ちたがる動物だからです。ましてや、その行動が苦役であればなおさらのことです。

また、これら“大きな問い”は、同時に、私たちに課せられた“大きな挑戦”でもあります。なぜなら、働くことは、

・生活の糧を稼ぐ「収入機会」であるばかりでなく、
・自分の可能性を開いてくれる「成長機会」であり、
・何かを成し遂げることによって味わう「感動機会」であり、
・さまざまな人と出会える「触発機会」であり、
・学校では教われないことを身につける「学習機会」であり、
・あわよくば一攫千金を手にすることもある「財成機会」だからです。

◇ ◇ ◇

しかしながら、ひととおりの経済的・物質的繁栄を手にした日本の働く現場は、昨今、具合がよくありません。

増え続ける非正規雇用の人たちにおいては、安定的な生活の保障がもっぱらの問題となり、幸運にも正社員として雇用されている人たちの間では、過労やメンタルヘルスが無視できない問題となっています。また逆に、労働条件的に守られすぎた会社員のなかには組織にぶら下がろうとする意識も広がってきます。いずれにしても、いっこうに「大きな渇き」「大きな問い」「大きな挑戦」に関心が上がっていかないのが現状のように思えます。

私たち労働者は(宿命的に)意識に上げる優先項目として、次のトップ2があります。
1)「労働条件」(いかに多くの給料を得られるか、いかに好ましい環境で働けるか)
2)「仕事術」(いかに効率的に仕事を処理する技術を身につけるか)

私たちは、「いかに」(HOW)ということを狩るのに忙しく、
ついぞ「何がやりたいのか」(WHAT)
「なぜそれをやるのか」(WHY)を耕す時間をもたない。
「働く目的・働きがい」を求める内面の声は、
「考えるのが面倒くさい」という怠け、逃げ、あきらめの声に
いとも簡単に押しのけられてしまう。

科学技術の進歩が人間をいろいろな労務・苦役から解放するにしたがい、「働くこと」に関する論議は、当然、意味論・価値論の領域に移っていくのが自然だと思われました。ところが私たちの関心は、いまだ労働条件をどうする、仕事の効率化をどうする、のような外側の問題に終始しています。

人間が古くから自問してきた「人はパンのみに生きるのか?」という一大テーマは、今日的問題であり続けています。この問いに真正面から向き合い、避けずに考えることは、自分を働くことに苦しむネガティブゾーンから引き上げるために、そして同時に、働くことを楽しむポジティブゾーンでおおいに躍動するために、必要な日常的作業です。

ただ、「働くとは何か?仕事とは何か?」を一人でじっと考えるのは、取っ掛かりがなくて考えにくいということもあります。そんなときの取っ掛かりとして是非読んでいただきたいと願い、私はこの『働くこと原論』をネット上に掲示するものです。読者のみなさんにとって、“大きな渇き”を顕在化させ、同時に、それを確かに満たしていくことにつながる材料をひとつでも多く提供できればと思っています。





〈このサイトについて〉

0.1.1



『働くこと原論』は、
人財教育コンサルタント・概念工作家として独立し10年を超えた私が、
これまで書いた執筆原稿や研修・講演で用いたコンテンツを体系的にまとめたものです。

働くって何だろう、よりよい仕事って何だろう、
キャリア(職業人生)をひらくとはどうすることだろう、を中心テーマにして、
いくつかの項目に分け述べていきます。

「原論」と名づけていますが、多分に主観を含んでいて、
論を立て検証するというよりは随筆的に書き進めていくという、
その意味では「働くことに関する私の講釈集」のようなものです。

いずれにせよ「原論」に込めた意図は、
「根本を考え、本質的なものを取り出し、まとめる」ということです。

生きる時代を問わず、またビジネス、芸術、スポーツなど働く世界を問わず、
人が何か仕事を成そうとするとき、
つねに大事なことは「大本(おおもと)を考える・原点にもどる」ことではないでしょうか。
基となる仕事観をしっかりとつくり、意識することで人は、
強く、高く、深く、広がりをもって仕事をすることができます。

一人一人のビジネスパーソンはじめ、
管理職や経営者の方々、人事・人材育成担当の方々、
そしてすべての働く人に向けて、働くことの大本・原点を考える材料を提供したいと思います。

これは私のライフワークの一部であり、月々日々、一本一本書き重ねていくつもりでいます。
最終的には100~200本の記事の固まりになろうかと思います。
時折、勉強会なども開くかもしれません。
気長におつきあいください。



2013年9月 『働くこと原論』執筆開始にあたって

キャリアポートレートコンサルティング
村山 昇





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[2018年3月]本サイトのエッセンスが本になりました!

『働き方の哲学』

 著|村山 昇 
 絵|若田 紗希 

 発行:ディスカヴァー・トゥエンティワン 
 定価:2808円(税込み)

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