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プロスポーツ選手と会社員 ~強い個についての自問

3.7.7



◆日本人選手に決定力がないと批評はできるが……
この原稿を書いているのは2015年7月初旬。FIFA女子ワールドカップ2015カナダ大会を見事、準優勝で終えた日本チーム。佐々木則夫監督は帰国直後の記者会見で、今後の日本代表の最重要の課題について「個の質と個の判断を上げていかないと」と語っていました。

サッカーに限らず、スポーツの世界では、日本は組織力は高いが、個人の力となるといまひとつぜい弱で、大事なところで勝ちを逃すというようなことがよく言われます。負けた試合の翌日ともなれば、私たちの少なからずが批評者となり、「なんであそこでシュートせずにパスに逃げたのかね」とか「やっぱり個で突破できる選手がいないんだな」とか、「相変わらず日本は決定力がない」とか……。

そうコメントすることも場合によっては、日本代表選手への愛余ってのことかもしれませんが、きょう、この記事では、ひるがって自分自身がどれだけ「個として強い職業人」であるのかを自問してみたいと思います。自問のポイントは次の4つです。

1□自分は「仕事人」か「会社人」か
2□しびれるほどのリスクを背負って何か仕掛けたことがあるか  
3□万年レギュラーポジションのダレは出ていないか    
4□定年が35歳だとしたら……  

 

◆自分は「仕事人」か「会社人」か
あなたは、自分を一職業人として社外で自己紹介するとき、次のXとYのどちらのニュアンスにより近いでしょうか───

 【Xタイプ】
 〇「私は〈 勤務会社 〉 に勤めており、
   〈  職種・仕事内容  〉を担当しております」。

 【Yタイプ】
 〇「私は〈 職種・仕事内容 〉の仕事をしており、(今はたまたま)
   〈 勤務会社 〉に勤めております」。

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Xタイプは「会社人(かいしゃじん)」の自己紹介ニュアンスです。職業人であるあなたを言い表すものとして、まず勤務先があり、次に任された職種・仕事内容がきます。他方、Yタイプは「仕事人(しごとじん)」のものです。仕事人はまず職種・仕事内容で自己を言い表します。そしてその次に勤めている組織がきます。

仕事人の典型はプロスポーツ選手といっていいでしょう。たとえば、米メジャーリーガーのイチロー選手の場合、どうなるかといえば、「私は〈プロ野球選手〉の仕事をしており、今はたまたま〈マイアミ・マーリンズ〉に勤めております」です。去年であれば、後半部分は「今はたまたま〈ニューヨーク・ヤンキーズ〉に勤めております」でした。

野球にせよ、サッカーにせよ、プロスポーツ選手たちは、仕事の内容によって自己を定義します。彼らは「組織のなかで食っている」のではなく、「自らの仕事を直接社会に売って生きている」からです。彼らにとっての仕事上の目的は、野球なり、サッカーなり、その道を究めること、その世界のトップレベルで勝負事に挑むことであって、組織はそのための舞台、手段になる。そういう意識ですから、世話になったチームを出て、他のチームに移っていくことも当然のプロセスとしてとらえます。ただ、それは組織への裏切りではありません。“卒業”であり、“全体プロセスの一部”なのです。いずれにせよ仕事人の働く意識は次のようなものになります。

【仕事人の意識】
・自分の職業・仕事に忠誠を尽くす
・組織(会社)とはヨコ(パートナー:協働者)の関係
・仕事が要求する能力を身につけ、仕事を通じて自分を表現する
・自分の能力・人脈で仕事を取ってくる
・自分の目的に向かって働く
・組織(会社)は舞台。自分が一番輝ける舞台を求める。舞台に感謝する
・世に出る、業界で一目置かれることを志向する
・自分が労働市場でどれほどの人材価値を持つかについてよく考え、
 実際その評価によって得られる仕事のレベルが決まってくる
・自由だが、来年も仕事にありついているかどうかわからないというプレッシャー
・コスモポリタン(世界市民)的な世界観
・「一職懸命」


他方、Yタイプは「会社人」の自己紹介で次のような意識になりやすい。

【会社人の意識】
・雇用される組織(会社)に忠誠を尽くす
・会社とはタテ(主従)の関係
・会社が要求する能力を身につけ、会社が要求する成果を出す
・会社の信頼で仕事ができる
・会社の目的の下で働く
・会社は船。沈没したら困る。下船させられても困る
・会社内での居場所・存在意義を見つけることに敏感
・みずからの人材価値についてあまり考えないし、
 何か大きな問題を起こさないかぎり雇われ続ける
・自由が制限されるストレス
・会社ローカル的な世界観
・「一社懸命」

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会社員という生き方を選ぶことが悪いとかそういうことではありません。問題は、どっぷりと会社人意識に浸かってしまって、雇われ根性・他律性が染みついていないかという点です。会社員であっても、ある割合、野性的な「仕事人」意識を自分の中に保っている人は、個として戦える力を持っている人です。

◆しびれるほどのリスクを背負って何か仕掛けたことがあるか  
私自身、サッカー少年だったのでよくわかりますが、ボールを持って敵陣のペナルティーエリア内に侵入するときほど怖いものはありません。一気にディフェンスプレーヤーたちが自分をつぶそうと当たってきます。チャンスがありながらも勇気がなく、シュートを打てずじまいになることはよくありました。シュートを打つのは怖いものなんです。

さて、あなたは担当の仕事で、これまでにしびれるほどのリスクを背負って、単独で何かを仕掛けたことはありますか? または、大勢から猛反対を受けながら、何かを主張し、行動に移したことはありますか(結果はどうあれ)? サッカーで言えば、ともかく不格好でもいいからシュートで終わったかということです。

え?まだ平社員だから、そんな権限持って何かをさせてもらえない?……実はその考え方自体が、すでに上で触れた「会社人」意識にどっぷり陥っている姿かもしれません。

◆万年レギュラーポジションのダレは出ていないか    
プロスポーツのレギュラーポジション争いは厳しい。野球なら9人、サッカーなら11人。その枠を狙って常に選手たちがしのぎを削る。スターティングメンバーに起用されなかった選手でも、試合中、ピッチの脇で監督に「オレを使え」と無言のアピールをする。

ひるがえって、会社員はどうでしょう。いつもなにかしら担当を任され、自分の仕事がなくなることはありません。むしろ人手不足の昨今は仕事が増えるばかりです。これはいわば、「万年レギュラー」の立場が保障されている状態です。もちろん安定的に長期雇用されることは望ましいことです。しかし、そこに甘えると保身にこもる悪い面が出てきます。安穏とした環境が強い個を生まなくなる大きな理由です。

◆定年が35歳だとしたら……   
プロスポーツ選手が第一線で活躍できる期間はとても短い。30代後半で現役を続けられる人はごくまれです。それと同じように、もし、いまのあなたの会社が35歳定年制だとしたらどうでしょう。おそらく、緊張感をもって1日1日仕事に向かうでしょう。定年後も食っていくための準備を必死になってやるはずです。人間、終わりがわかっていれば、意識が覚醒するものです。

おりしも先日、日本経済新聞のインタビュー記事(2015年7月9日付朝刊)でイタリア・プロサッカーチームACミランに所属する本田圭佑選手は次のように語っていました───

「もう29歳になりましたから。恐ろしいですね。ええ。日経新聞を読んでる方には“若いくせに何を言っている”といわれそうですが、サッカー選手として、29歳はキャリアの先が見えてくる年齢なわけで。そのせいもあってか、時間に対する考え方、1年の重みをすごい感じるようになって」。



たとえば、会社員であるあなたは、「35歳でFA(フリーエージェント)宣言する!」と心に決めてみてはどうでしょう。そのタイミングで起業するもよし、転職するもよし、あるいはFA宣言したものの結果的に現在の会社に残留するというのもよし。個としていやがうえにも牙(きば)が出てくると思います。

◆ムラ社会の中でそこそこ安住していくことを「美しい」とするか
私自身は遅ればせながら、38歳のときに独立を決意し、40歳で実行しました。サラリーマン生活最後の2年間というものは、ほんとうに感覚が鋭敏になった期間でした。これまで雇われサラリーマンのルーチンワークとしてうんざりぎみの交通費の伝票書きひとつにしても、それがどんな書式になっているのか、それがどんな処理プロセスに乗っているのか、それらを在職中にくまなくみておかねばなりません。この先、自営業を始める私にとってはそれもこれも自分で把握すべき管理の仕組みになるのですから。

独立して無我夢中で走ってきたら、いつのまにか干支が1周りしていました。20代、30代は自分なりにとがって仕事をしていたと思っていました。しかしいま振り返ると、それはただ表面的にギザギザしていただけでした。ですが、独立後の40代はいやがうえにも自分の内側から牙が出てきました。そして50代。個の職業人としてやりたいことは山ほどあります。その牙で彫刻作品をいくつも仕上げていきたい。ようやく職業人として、リスクを怖がらず、シュートを何本も打ってやるという状態になりました。

日本の場合、強い個を生み出さない組織・文化というのが問題として取り上げられますが、実は、「強い個になんてなりたくないよ」という個が多いのも事実。私が本稿で言いたい「強い個」とは、必ずしも仕事をがむしゃらにがんばって成り上がる強さとか、そういう外面的でマッチョなタフネスではないのですが。いずれにしても、基本的にムラ社会の中でそこそこの居場所を見つけて安住しているのがラクなのはラクです。でも、そんなだましだましの安住を願う仕事人生を「美しい」と思えるかどうか。最終的には、自分の哲学や美意識に投げかけていく問題なのだと思います。

「個として強い」働き方・生き方をすることを自分は選ぶか───あわただしい生活のさなかでときどき自問したテーマです。









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