働く動機の分類
1.5.1
◆内発的動機/外発的動機
内発的動機とは、自分の内側から湧き起こってくるもので、仕事そのものの中にそれを行う理由を見出すものである。他方、外発的動機は、自分の外側(他者)から与えられるもので、仕事の周辺に行う理由がある。
賞罰(アメとムチ)による制度は、外発的な動機をベースにする典型的なものである。つまり、成果を上げれば金銭的な報酬や地位・名誉が与えられ、逆に成果を上げなければ尻を叩かれるといった具合だ(尻を叩かれるとは、もちろん実際に叩かれるわけではなく、プレッシャーをかけられるとか、干されるとか、ボーナスが減らされるといったようなこと)。
また、その仕事は他人がカッコよく見てくれるとか、その資格を取っておくと有利といったように、理由の起点が自分の外にあり、他者から意欲を焚きつけられる場合も外発的動機である。
◆外発的動機は単発的で反応的~いつか疲れる
一般的に、内発的動機は持続的で意志的である。それに対し、外発的動機は、単発的で反応的になる。成果主義は、金銭的な報酬による刺激策で外発的動機を誘うものだ。私たちは、ときにそうした刺激に反応して意欲を燃やす場合があるが、それのみで長いキャリアの道のりを進んでいくには限界が出てくる。なぜなら、人間は刺激疲れ、競争疲れしてしまうからだ。中長期にわたってその仕事をまっとうしていくためには、やはり、その仕事、その職業、その職場に内発的な動機を持っていなければ持続しない。
心理学者ミハイ・チクセントミハイは、仕事自体の中に内発的動機を見出しそれに没入するときの包括的感覚を「フロー」と名づけたことで有名である。彼は著書『フロー体験 喜びの現象学』で次のように書いている。
「人間の生物学的性向を利用する社会的に条件づけられた刺激/反応のパターンに従っている限り、我々は外から統制される。我々は身体の命令からも独立し、心の中に起こることについて責任を負うことを学ばねばならない」。
つまり、金銭的報酬や賞罰といった外発的動機づけで動かされている働き手は、本質的に、餌で訓練されているサーカスの玉乗り熊と変わらないと言っているのだ。実にどきっとする指摘ではないだろうか。
また、米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執るジョシュア・ハルバースタムは『仕事と幸福そして人生について』で次のように言う。
「お金はムチと同じで、人を“働かせる”ことならできるが、“働きたい”と思わせることはできない。仕事の内容そのものだけが、内なるやる気を呼び覚ます」。
「迷路の中のネズミは、エサに至る道を見つけると、もう他の道を探そうとしなくなる。 このネズミと同じようにただ(金銭的)報酬だけを求めて働いている人は、自分がしなければならないことだけをする」。
◆利己的動機/利他的動機
動機を分類として、利己的動機/利他的動機の考え方もある。
利己的動機とは、まず自分の利益を中心に据える動機である。それに対し、利他的動機は、他者の利益がまず思いの中心にあり、結果的に自分がうれしいという動機である。「内発的動機と外発的動機」という軸と合わせ、動機を四つに分けたのが下図である。
さて、利己的な動機と利他的な動機を比べて、どちらがより望ましいだろうか。これについては、私たちのよく知っているオーソドックスなことわざが簡潔に結論を言ってくれている。すなわち───「情けは人のためならず」(=人にかけた善行は、めぐり巡って自分に帰する)だ。
「利他的であれ」というのは、説教じみて面白くない結論だと思うかもしれない。しかしこれは理にかなっている。なぜなら、利他的に行動するためには、まず自分をしっかり持たなければならない、また全感覚を研ぎ澄ませて他者を受信しなければならない、そして自らの欲求は他者への願いや祈りへと変わっていく。すると、その行為を受けた他者から、感謝や支援、協力といったものが集まりだす。そうして、ますます自分は勇気づけられ、多少の挫折や困難にも負けていられない自分ができあがる。……気がつけば、自分が望む結果になっていた。そんな状況が生まれるからである。
逆に、利己的な動機は、自分の世界に閉じこもりがちであり、どうしても私欲を強める方向に進んでいく。その実現過程において他者からの応援なども生じにくい。結果として、行き過ぎた利己は好ましからぬ状況にたどりつくことを私たちは少なからず自他の人生経験から学んでいるはずだ。
◆利他的な動機も、ときにマイナスの作用が出る
ちなみに、利他的な動機にも短所はある。利他的な思いを含んだ使命感は、それが過剰になると(専門用語では「過価観念」とか「固着観念」といい、「脅迫観念」よりは病的でないもの)、思い上がりや独りよがりを生んで、自分自身の反省機能を鈍らせ、必ずしも建設的な結果をもたらさないことがある。
また、利己的な動機もけっして否定されるべきものではない。利己的動機は、それが純粋で真摯なものであれば、結果的に利他にはたらく場合もある。
例えば、ひたむきに練習に励み、試合で活躍するスポーツ選手や、命を賭して危険に挑む冒険家、創造に没頭している芸術家などの場合だ。彼らは必ずしも他人のためにひたむきにやっているわけではなく、おおかたの動機は、自己のためにある。だが、彼らのそうした一途な姿は、他者の心を打ち、「自分もあのようにがんばろう」と感化を呼ぶ。
このように、利他的動機・利己的動機は、一歩引いた目線で、多面的にみておく必要があるだろう。なお、利己的・利他的と言うとどうしても道徳教育的になるので、私は「内に閉じる動機」・「外に開く動機」と呼び換えてもいいように思っている。
◆自分の動機ベースを「内発×利他」へシフトする
ともあれ、動機の最強の組み合わせは「内発×利他」である。みずからの働く動機を「内発×利他(外に開く)」方向へシフトさせていく意識づけをするために、私が研修現場で用意している自問リストが次のようなものだ。リストをもとに、何を考え、何を行動に移すかを受講者に問うていく。
〈自問リスト〉
□この仕事・やり方はまだまだ進化する余地があるはずだ。それは何だろう?
□この種の仕事の名人・達人と呼ばれる存在になってやろう。
□自分の業務ノウハウを人に教えてあげよう。
□自分の業務知識を体系的にまとめて発表しよう。
□今、自分がこの職場に与えている貢献は何だろう?
自分が職場で不可欠な存在になるために何をすることが必要なのか。
□この仕事は顧客に何を提供しているのだろう?
それは顧客が望む最良・最高のものか。
□この仕事はどのように社会につながっているのだろう?
そのつながりは現状のままでよいのか。修正や強化の方法はないのか。
□この仕事をやる意義は何だろう?
それは家族に誇りを持って語れるものだろうか。
□仮に年収が2割減になったとして、それでも今の仕事を続けたいと思うだろうか?
その2割分を補う(金銭的でない)何かを仕事から生み出す自信があるか。
◆ハーズバーグの「動機づけ要因」と「衛生要因」
動機を考える視点で、もう1つよく言及される分類を紹介しておこう。アメリカの心理学者であるハーズバーグは、「動機づけ・衛生」理論を展開したことで知られる。
彼は被験者に、これまでの仕事の中で、非常にいい思いをした経験、非常に悪い思いをした経験をインタビューした。すると、非常にいい思いをしたという話では、仕事の達成感や承認(評価)、仕事そのものの面白さ、そして責任感などが数多くあげられたという。
一方、非常に悪い思いをした話の中では、会社の方針や経営のしかた、人の監督のしかた、人間関係、労働環境などが主としてあげられた。ここからハーズバーグは、前者を働く者に「満足と動機づけを与える要因」であるとし、後者を「不満を募らせる衛生的な要因」であるとした。
ここから一般的に、「動機づけ要因」は、よりよく働こうという動機を増すもので、仮にそれが不足しても動機がそれに比例して落ちていかないものとされた。それに対し「衛生要因」は、それを欠くと不満が増し、よりよく働こうという動機を損なうものであり、それらが十分に改善されても、それに比例して満足や動機が増していかないものとされた。