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ルビコン川を渡る~夢とは「不退転の明るい覚悟」である

3.6.5



◆夢を抱く時期
人生の「夢」を抱く時期に、私は3つあると思っている。

1つめは少年・少女期。
このころの夢はともかく純粋なあこがれのみで「サッカー選手になる!」「歌手になりたい!」となる。だが、たいていは中学生あたりになると、そんな無邪気な夢を抱いていた自分を恥ずかしく思うようになる。もちろん、そのときの夢を果たす希有な人間だっていることは確かだ。

2つめに学生時代。
「絶対に東大合格!」「司法試験に受かって裁判官になる!」という類の夢を持つ。目標は確かに立派だし、使命感を抱いて真剣に取り組む人はいる。ただ、何が何でも東大、何が何でも司法試験、という人のなかには、とにかく資格試験の最高峰に受かって満足したい、周囲に優秀だと見られたいという願望だけでそこに執着している場合がある。いわゆる「東大浪人」「司法浪人」といったタイプの夢追いは、いまだ成熟していない動機に基づいているように思える(動機が成熟化することが必ずしもいいことだとは一概に言えないが)。

3つめに社会である程度働いてから。
社会に出て何年か働いていると、自分の能力の度合いや適正、組織や社会のからくりがわかってきて、いやおうなしに現実的になる。現実的になればなるほど、可能性は狭まり先が見えなくなる。目の前には、きょうやるべき仕事が山積して、忙しい。「人はパンのみに生きるのか?」という問いへの答えがどんどんかすんでくる。社会人以降、夢を抱ける人は極端に少なくなるのだ。しかし、大人になってから抱く夢こそ本物になる可能性がある。


◆夢・志を抱くのに特別な才能はいらない
私自身、夢を持てない(持とうとしない)人間だった。ところがいまはしっかり夢も志も持っている。それが見えてきたのは30も半ばを過ぎたころからだ。夢や志が見えてくるプロセスは、「キャリアをたくましく拓くために~VITMモデル」(1.6.3)で詳しく述べたとおりだ。

夢や志を抱くことは、誰もが可能だし、特別な才能はいらない。まずはおぼろげでもいいから自分の方向性〈V〉と、目指す像〈I〉を持つこと。そして、それに沿って、自分試し〈T〉を繰り返すこと。そこに意味〈M〉を与えることで行動のためのエネルギーはこんこんと湧いてくる。
小さくてもその形が出来上がれば、情報やチャンスが集まりだす。想いを強めてくれる出会いも起こる。その過程で、自分の方向性や目指す像がますます明確につかめるようになる。そしてそこに感じる意味も強くなってくる。そうなると、「この仕事に生涯腹をくくってもいいな。あ、これが夢ってやつなのかな」と思える状態が近い。これが「VITM」による、夢・志が見えてくるプロセスである。私もそれが30代後半で起こったのだ。


◆退路を断ってこそ
ところで、夢・志には、「本物の夢・志」と「本物でない夢・志」の二段階がある。各自が抱くその夢・志において、本物と本物でないものの分岐点は何だろうか?

―――それは「ルビコン川を渡る」かどうかだ。

「ルビコン川を渡る」とは、不退転の覚悟で断行することを言う。
ルビコン川とは、ユリウス・カエサルが、政敵ポンペイウスの手に落ちたローマを奪還するために、自らの兵を率い、「賽(さい)は投げられた」と叫んで渡った川である(当時、兵軍を伴ってルビコン川を渡ることは国法で禁じられていた)。

その想いが気分的に浮き沈みし、腰の引けた状態での願望である間は、まだ真の夢・志ではない。夢をある種の言い訳にして、ずるずると人生を過ごしてしまう場合がいるが、それはルビコン川を渡っていないのだ。その想いが不退転の挑戦意志となったとき、それが真の夢・志となる。それは次の古典的表現に通じる。

事を成すための真の勇気は
(前進のために)橋をつくることではなく
(後戻りできないように)橋を壊すことである。





* * * * * * * * *
【補足】
Point of No Return


まだ人間が、
この大地が球であることを知らなかった大昔。
水平線の向こうに別の陸地があるかどうかを知らなかった大昔。
大海原へと漕ぎ出していくのは相当な勇気が要ったことだろう。
海の果ては巨大な滝になっているとか、
大蛇が大口を開けて海の水を全部飲み込んでいるとか、
そんな言い伝えに人びとは航海を恐れ、また逆に好奇心も湧かせたりもしたのだろう。

たとえば、新天地を探すために、20日間分の食糧・燃料を積んで航海に出たときの、11日めを迎えるときの気持ちはどんなだろう? つまり、丸10日経つまでは、いつでも引き返そうと思えば引き返すことができる。(帰路分の食糧と燃料は足りるから)
しかし、覚悟を決めて未知の陸地に針路を取り続けるとき、11日めを越えた瞬間から後戻りできなくなる。この11日めをPoint of No Return(帰還不能点)」という。

未知に踏み込む恐怖と、未知を見てみたいという冒険心と、
その狭間に「Point of No Return」はある。

私はサラリーマン生活を止めて、独立しようと思ったときに、自分自身の「Point of No Return」を越えた。まぁ、大昔の人の航海とは違い、独立に失敗したからといって、生命まで落とすわけではないので、後戻りできないときの危険度は小さいのだが。それでも、大なり小なりこの「Point of No Return」なるものを人生の中で経験しておくかおかないかは、精神に大きな違いを生むと思う。


「後戻りできない選択を採る」には、世の中にいろいろな表現がある。

●「背水の陣」;
広辞苑によれば、―――[史記淮陰侯伝](漢の韓信が趙を攻めた時、
わざと川を背にして陣取り、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事から)
一歩も退くことのできない絶体絶命の立場。
失敗すれば再起はできないことを覚悟して全力を尽くして事に当たること。

●「to burn one's boats/to burn one’s bridges」;
英語でのイディオムはこんな感じになる。
これは、引き返すための乗り物をなくすという意味で「自分の船を焼く」、
もしくは退路を断つために「橋を焼き払う」といったことだろう。

●「ルビコン川を渡る」;
政敵ポンペイウスの手に落ちたローマを奪還するために、
いったん野に下ったユリウス・カエサルは自軍を率いてルビコン川の岸に立った。
当時、兵軍を伴ってルビコン川を渡ることは法律で禁じられていた。
国禁を犯して川を渡ることは、カエサルの不退転の覚悟を表していた。


人生、調子のいいときは、
イケイケドンドンで前進のための橋をつくることが簡単なときがある。
しかし、真の勇気は、後戻りできないよう後ろの橋を壊すことにある。
「つくる」より「壊す」ほうが、ある意味、難しいのだ。





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