原因と結果は一体 ~If you build it, they will come.
8.06
2012年も明けて、はや2月。
プロ野球のキャンプが沖縄や宮崎で始まっている。
選手たちにとって、1月の自主トレーニングと2月のキャンプはとても大事な期間だ。
昨年、セ・リーグは中日ドラゴンズが大逆転で優勝を果たしたが、
優勝したときの有力選手たちの感想は、
「あれだけの厳しい練習をやってきた自分たちだから、優勝できなきゃおかしい。
優勝できて当然」といったようなものだった。
落合博満監督も「あの猛練習に報いるよう優勝させてやるのが自分の責務」と語っていた。
彼らの中では、2月のキャンプをやり切った時点で、すでに優勝が決まっていたのだ。
つまり、勝つ原因をつくるのと結果が同時であったということである。
* * * * *
ちょうどいま、私はある記事の執筆で「メタファー(比喩)」について書いている。
そこではメタファーの一例として仏教経典の1つである『法華経』を取り上げている。
『法華経(正式な中国語訳の名称:妙法蓮華経)』というネーミングはメタファーである。
法華経の原語は、古代インド語で
「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」=「白い蓮(ハス)の花のような正しい教え」。
私たちは京都や奈良のお寺に行って仏像をよく見ると、
それが蓮の上に座していることに気づく。
だが、なぜ仏教を象徴する植物が蓮なのだろう───?
蓮は泥水の中で育つが、泥に染まることなく、美しい白い花を咲かせる。
つまり、泥水は煩悩に満ちる現実の世界のことで、
その中に生きつつも仏性という花を咲かせていく人間の姿を蓮に込めたかったのだ。
加えてもう1つ大事な要素がある。
蓮という植物は「花果同時」という特徴を持つという。すなわち、
多くの植物が開花後、受粉プロセスを経て実を結ぶという時間差があるのに対し、
蓮は花が咲くのと同時にすでに実を付けている。
これは仏教が説く「因果倶時(いんがぐじ)」、「因果一如(いんがいちにょ)」とも言うが、
すなわち「原因と結果は一体で不可分のものである」というコンセプトに
蓮の花の性質は符号するのだ。
* * * * *
昨年の中日ドラゴンズのリーグ優勝は、2月時点ですでに決まっていた。
この見方が、仏教思想でいう「因果倶時」だ。
もちろん物理的には、4月からリーグ戦が実際に始まって10月に優勝が決まる。
この時間差について仏教は「因果異時(いんがいじ)」という対の概念を用意している。
こうした原因と結果を一体化してとらえる観念は、
東洋世界が生み出した優れた観念ではないかと思う。
道教(タオイズム)にも、
「道を求めたければ、師を求めるな。道を求めたとき、師はやって来る」といったような
言葉があったと記憶する。これもまさに、因果を一つのものとしてみている。
ケビン・コスナー主演の米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』での有名な言葉;
“If you build it, they will come.”
(それを造れば、彼らはやってくるだろう)
本質的には、それを造った時点で、彼らがやって来ることが決定しているのだ。
(現象面では時差が出るが)
さて、2月も第1週が過ぎようとしている。
2012年が実り多き1年になるかどうかは、
この2月の行動具合で決まってしまうととらえると、うかうかしてはいられない。
「どんな原因を仕込むか」と「どんな結果が得られるか」は一体なのだ。
そう、そして、もっと言えば、「一日即一生」。
一日一日という原因の積み重なりによって、一生がどんな果実となるかは決まる。
一日のなかに、すでに、自分の行く末の姿はあるのだ。
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