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「諦める」とは「明らかになる」こと

8.04


Kiyoharu_gm 清春芸術村(山梨県北杜市長坂町)のアトリエ「ラ・リューシュ」


美しいものが実によく見えるようになったから、
もう絵は描かなくていいんだ。

                                            ───梅原龍三郎



梅原龍三郎(1888-1986年)は戦前・戦後の日本を代表する洋画家である。冒頭の言葉は、梅原と親交の深かった画商・吉井長三氏の半自伝『銀座画廊物語』の中で紹介されている。梅原の最晩年のエピソードを吉井氏はこう書いている―――

ある日、(梅原)先生のお宅にうかがうと、
「今朝起きたらバラがあんまり綺麗だったから、10号のキャンバスに描いてみた」
と仰り、書生の高久さんに、「吉井君にその絵を見せてあげてくれ」と言われた。
高久さんが怪訝な顔をして、
「どこにあるんですか。今朝そんな絵をお描きになりましたか」と言うと、
「いや、描いた。そこに伏せてあるからね、それを見せてあげなさい」
と念を押される。しかし、絵はどこにもなかった。

この話を数日後、私は小林秀雄先生にした。
「梅原先生も最近錯覚するようになりましてね、
描いてないものを描いたと言っておられるんですよ」と言うと、
「それは君、錯覚じゃないよ。それは空で描いているんだよ。
そういうことを勘違いしてはいかん」と小林先生は言われた。
「これは素晴らしい話だよ。言葉が絵なんだから」

最晩年には、高久さんがキャンバスや絵の具を用意しても、
梅原先生は絵筆をとろうとしなくなった。そして、こう仰った。
「美しいものが実によく見えるようになったから、もう絵は描かなくていいんだ」



「もう絵は描かなくていいんだ」―――私はこの末尾の一行を読んだ刹那、椅子から立ち上がり、唸り声を上げてしまった。繰り返し読むほどに、梅原の一言はなんとも重く、広く、味わい深い。

表現する営みがすなわち生きる営みである芸術家にとって、表現をやめるなどということは、ふつう考えられない。私のような半端なもの書きであっても、死ぬ間際まで何かを書き続けたい、思考と技術を向上させたい、形にしたものを人に触れさせたいと熱望するものだ。モネは、ほとんど視力を失っても睡蓮を描き続けようとしたし、マティスは、筆が持てなくなると、今度はハサミを持って切り絵で表現しようとした。ベートーベンは聴力が不自由になっても、耳をピアノの板に押しつけながら第九を遺した。ピーター・ドラッカーにしても、最晩年に記者から「これまでの最高の自著は何か」と訊かれ、「次に書く本だよ」と答えた。

風貌や画風から見てとれるとおり、豪放磊落な生命が横溢するあの日本洋画壇の巨人が、そうやすやすと「もう描かなくていい」とは口にするはずがない。それだけにこの一言を発した心境を想像することは実に面白い。

私は、梅原龍三郎がついに「諦(あきら)め」の境地に達したのだと解する。

ちなみにここで、「諦める」という言葉について道草をしておきたい。「諦める」とは「明らかにする」が原義である。すべてのことが明らかになるということで、「諦」は「真理・悟り」を意味する。現代の口語で「諦める」は、中途半端に断念・中断するという意味で使われるが、本来はそんな軟弱な言葉ではない。

古典文学研究者である中西進氏の著書『ひらがなでよめばわかる日本語』に「あきらめる」に触れた箇所があるので、それを抜き出してみる。―――

ものごとの状態を明らかにするよう、十分に努力をし、もうこれ以上はできないというところでやめる。それが「あきらめる」なのですね。「諦」という漢字をあててしまったことで、本来の意味がわかりにくくなっていますが、「あきらめる」には本来、今日使われているような、「もうしようがないや」とものごとを投げ出すような、ネガティブなイメージはありませんでした。

おもしろいことに、英語の「ギブ・アップ(give up)」も同じです。「ギブ」を「アップ」する。あることを成し遂げるため八方手を尽くし、「ギブ」していく。そして、もうこれ以上「ギブ」できないところまできて、「アップ」する。そういうふうに考えれば、ただ「降参する」のではなく、「十分」という意味が生きてくるでしょう。

日本語の「あきらめる」も、英語の「ギブ・アップ」も、今日使われているようなネガティブなことばではなく、もっとポジティブな意味をもっているのです。単に努力の放棄ではない。努力に努力を重ねた結果、もう十分であるという結論に達した。それが「ギブ・アップ」であり、「あきらめる」ことであると、私たちは考えないといけないのです。



……そうした「諦める」の本義を確認したところで、改めて梅原の一件。彼は最晩年、とうとう「諦め」の境地に達したのだと私は思う。

おそらく梅原は、本当は死ぬ間際まで筆をとって描きたかったに違いない。しかし、いつごろからか、眼や手や身体が思うとおりにならなくなった。そんな無様な状態を、そして間近に来る死を受け入れるには相当の憂悶と抵抗があったはずだ。しかし、その大きな受容と入れ違いに頭がかつてないほど冴えわたるようになってきたのではないか。そして彼の言葉どおり、「美しいものが実によく見える」ようになった。

画家にしても何にしても、作家というものは、作品という外形物をこしらえて初めて、自分の見たもの、創造したかったものを確認する。だが、梅原にあっては、いよいよ、作品をこしらえずとも、(小林秀雄の表現を借りれば“空で描いて”)ものが見えるようになった。作品の最終形まで頭の中で手触りできるようになった。だから、もう筆で描くことに執着することもない、あきらめよう、となったのだろう。この状態こそまさに「明らかなる」境地であり、「諦め」の境地だ。

梅原はなんと幸福な人間だろう。生きている間に芸術家として高い評価を受け、作品は多くの人に愛された。98星霜を生きて、ついに「諦める」ことができた。燃え尽きて灰になるのでもなく、余生の日々を無為に存(ながら)えるのでもなく、この世に悔いを残すでもなく、この世の欲に執着するでもなく、じゅうぶんに描ききり、じゅうぶんに感じきった生涯。生き方も、逝き方もかくありたいと思えるひとつのモデルである。



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