« 優れて抽象的な思考は 優れて具体的な行動を生む | メイン | 言葉という感性の「メッシュ」 »

「モデル化」して考えるとはどういうことか?

2.3.2


「モデル(model)」という言葉は、最近いろいろな場面で使われる言葉である。大本の意味は「型」ということで、そこから派生して、プラモデルやファッションモデル、ビジネスモデル、ロールモデルなどに広がり、すでに日本語の中に溶け込んでいる。本項では、そんな中でも「概念モデル」を扱う。

概念モデルとは、
「物事の仕組みを単純化して表したもの」
「概念のとらえ方を示すひな型」と言っていいだろう。


概念モデルとして秀逸なものの中で、次の2つを紹介したい。1つめに、エッセイスト・画家・ワイナリーオーナーとして活躍される玉村豊男さんの「料理の四面体」図だ。


232_a


料理という概念を理解するのに、「煮る」とか「焼く」とかいった加工方法で分類するアプローチは、特段独創性のあるものではない。玉村さんの発想の優れた点は、加工方法の観点からさらに一段抽象度を上げて、その根源となる4つの要素「火・空気・水・油」を“発見した”こと。そしてさらにもう一段の抽象化、それら4要素の関係性を三角錐(四面体)の構造で表現したことである。

玉村さんは火を頂点にして、空気・水・油へと伸びる稜線をそれぞれ「焼きものライン=火に空気の働きが介在してできる料理」「煮ものライン=火に水の働きが介在してできる料理」「揚げものライン=火に油の働きが介在してできる料理」と名づけた。こうすることで、煮物とか、炒めものとか、グリル、くんせい、干物、生ものがすべて意味をもって構造の中に配置される。
このモデル図をいったん見てしまえば、私たちは「あぁ、ナルホド、ナルホド。確かに料理ってこういうとらえ方ができるな」と思える。もちろん、これは1つの切り口からの整理にすぎないが、それでも直観的に料理という概念の全体構造を把握できる。

もう1つ。哲学者・九鬼周造が1930(昭和5)年に著した『「いき」の構造』(岩波文庫)で提示したモデルである。「粋」などという、まさに曖昧きわまりない概念をよくぞこのような姿で示せたものだと感服する。九鬼は図化を積極的にやる哲学者で、他にも、偶然性と必然性の論理を図に表して分析している。

232_b


九鬼は、粋の構成要素として8つの趣味(渋味・野暮・甘味・意気・地味・下品・派手・上品)を抽出し、「対自的/対他的」「有価値的/反価値的」「積極的/消極的」など彼独自の対立項を用いて、直六面体の構造に表現した。九鬼は、8つの頂点に配置された趣味以外のものも、この直六面体のなかで捉えられると説明している。
例えば───「“さび”とは、O、上品、地味のつくる三角形と、P、意気、渋味のつくる三角形とを両端面に有する三角柱の名称である」「“雅”は、上品と地味と渋味との作る三角形を底面とし、Oを頂点とする四面体のうちに求むべきものである」「“きざ”は、派手と下品とを結び付ける直線上に位している」といった具合である。

九鬼の場合、こうした風流をめぐる美的価値を1つ1つ言葉上で定義するのではなく、直六面体のモデル上に相対的な位置関係で示すというアイデア自体が、優れて独創的である。概念モデルを図に落とし込む作業は、ある意味、アート作品をこしらえる作業にも通じるところがあって、その表現は、もちろん理解しやすいということが必須要件だが、美しいことも大事な要件である。

* * * * *

ところで、なぜ物事をモデル化してとらえることが大事なのか。

───それは、物事を個別具体的にとらえるレベルに留まっていると、
永遠に個別具体的に処置することに追われるからである。

それを簡単なモデルを使って説明しよう。次に並べたのは英語の問題である。それぞれの下線部には前置詞が入る。1つ1つ答えよ。

・a fly        the ceiling  (天井に止まったハエ)

・a crack        the wall  (壁に入ったひび割れ)

・a village        the border  (国境沿いの町)

・a ring       one’s little finger  (小指にはめた指輪)

・a dog        a leash  (紐につながれた犬)



……さて、どうだろう。

正解は、すべて「on」だ。ところで、私たちは前置詞「on」を「~の上に」と習ってきた。習ってきたというか、暗記してきた。そうした暗記的なやり方で英語と接してきた人は、「天井にさかさまに止まった」とか「壁に入った」とか、「国境沿いの」などの言い表しに思考が発展しないので、それぞれの問題に戸惑ったことだろう。そうして正解を見て、また1つ1つ、「on」の使い方を丸暗記していくことになる。

これに対し、いま私の手元にある一冊の英和辞典『Eゲイト英和辞典』(ベネッセコーポレーション)の帯には、こんなコピーが記載されている───

    「on=『上に』ではない」と。

さっそく、この辞書で「on」を引いてみる。すると、そこに載っていたのは、下のような図だった。

232_c


「on」は本来、縦横・上下を問わず「何かに接触している」ことを示す前置詞だという。確かにこの図をイメージとして持っておくと、さまざまに「on」使いの展開がきく。この辞典は、その単語の持つ中核的な意味や機能を「コア」と呼び、それをイラストに書き起こして紙面に多数掲載している。10個の末梢の意味を覚えるより、1つの「コア・イメージ」を頭に定着させたほうがよいというのが、この辞書づくりのコンセプトなのだ。

まさにここで出てきた「コア・イメージ」に基づく学習が、概念をモデル化して押さえることにほかならない。

私たちは、物事の抽象度を上げて大本の「一(いち)」をイメージなりモデルなりでとらえることができれば、それを10個にも100種類にも具体的に展開応用することができる。逆に言えば、モデル化によって「一」をとらえなければ、いつまでたっても末梢の10個を丸暗記することに努力し、100種類に振り回されることになる。1000にも種類が広がったら、もうお手上げだろう。

「一」をつかんだ者は、1000個だろうが、1000種類だろうが、原理原則を押さえているのでそれに対応がきく。そして、その「一」から落とし込んだ1000種類の応用は、具体的な末梢を必死になって丸暗記したときの1000種類とはまったく異なったものになるだろう。真に新しい発想というのは、必ずと言っていいほど、抽象思考の川をさかのぼり、本質の「一」に触れて、再度、具体思考の川を下るというプロセスを経ているものである。

“抽象的”という言葉は、何かネガティブなニュアンスで使われることが増えた。しかし抽象的に考えることはとても大事なことで、物事の余計な部分をそぎ落とし、その奥にある本質は何か、原理原則は何かと考えるのが抽象化能力なのだ。概念をモデル化するのも、まさにこの抽象化能力をフル稼働させて表現に落とす作業である。

私たちは、日ごろから意識して、モデル化して物事を把握することが大事になる。日本人ほど断片の知識や情報を多量に得ている国民はない。しかし、物事の知識量を増やすことを超えて、物事の仕組みをつくる能力が弱いために、グローバルビジネスでは胴元的な存在になれず、仕組みの中の一機能に置かれることが多い。逆に考えれば、物を売ることを超えて、物を売る仕組み(ビジネスモデル)をつくることができるようになれば、そもそもは「おもてなし」のような繊細な心と技を持つ国民性だから、独自で力強い販売様式を打ち立てることもできる。





Related Site

Link