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「人材」と「人財」の違いを考える

4.3.1



 〈考える材料1〉        
◆ダイヤモンドの2つの価値

ダイヤモンドには2つの「価値」側面がある。つまり、ダイヤモンドは高価な宝石として取り引きされる一方、研磨材市場においても日々大量に取り引きされているのだ。前者は「財」(たから)としての価値が扱われ、後者は「材」としての価値が扱われている。

1粒1粒のダイヤモンドは、産出されるやいなや、「財」商品に回されるか、「材」商品に回されるか決められてしまう。その両者の境界線はどこにあるのか───それを一言で表せば「代替がきく」か「きかない」かである。

「財」はその希少性・独自性から代替がきかない。だから大粒のダイヤモンドは宝飾品として重宝され、高い値段がつく。石によっては、家宝として代々受け継がれるものもある。時が経ても価値は下がらない。

他方、研磨材として利用されるダイヤモンドは、石粒のなかに異物や空気が混じっていたり、小さかったりして宝石にならない。採掘量は多い。硬いという性質から研磨材に回されるわけだが、使い減ってくれば、やがて新しいものに取り替えられる運命にある。消耗材としてのダイヤモンドの姿がそこにはある。

ダイヤモンドにみる「財」と「材」の価値差は、私たち一人一人の働き手にもまったく同じことが当てはまる。「その仕事はあなたでしかできない」と言われる人は、代替がきかないゆえに「人財」である。逆に、「その仕事はあなたがやっても、他の人がやっても同じ」と言われてしまう人は、代替がきくゆえに「人材」なのだ。

景気に左右されず、いつの時代にも「財」としてのヒトは足りないものだ。ピーター・ドラッカーは『プロフェッショナルの条件』の中で医療機関を例に出し、病院には技術機器が多く投入されているが、ヒトは減っていない。逆にそれを使いこなす高度で高給なヒトが余計に必要になっている旨を書いている。

労働力はいま、はっきりと二極化していく流れになっている。人「材」は安い賃金の労働力、もしくは機械に取って代わられ、飽和していく。その一方、人「財」はかけがえのない価値を持つがゆえに、ますます尊ばれ、逼迫していく。

自分が「材」に留まるのか、それとも「財」に昇華していくのか、ここは人生・キャリアの重大な分かれ目となる。



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 〈考える材料2〉            
◆ヒトを資源とみるか資本とみるか 

最近、名刺交換をすると、「人財開発部」とか「人財育成担当」とか、“人材”という表記ではなくて、“人財”という漢字を当てる会社が増えてきたように思う。これは、それだけヒトが重要だと認識する組織が増えてきた流れであるのだろう。

私たちの家の中には、火事などで消失してしまいたくない物がたくさんある。成長と共に使い慣れてきた箪笥、思い出の詰まった写真アルバム、海外で買ってきたお気に入りの食器、プレゼントでもらった置時計、新品のスーツ、最新機種の大型液晶テレビ、データを蓄積したパソコン……これらはみんな「家財」である。財(たから)の価値がある。

同様に、組織で働くヒトは、大事な「財」である。だから「人財」と書きたい。「人財」という表記は、ヒトを大切に思いたいという意思表明なのだ。

これは英語表記でも同じことが言える。日本でも一般化している「HR」とは“Human Resource”のことだ。これは、ヒトを“資源”とみている。このとらえ方の下では、ヒトは使い減ったり、適性がよくなかったりすれば取り替えればよいという発想になる。そして経営者は、ヒト資源を他の資源(モノ・カネ・情報)とどう組み合わせて、最大の成果を出すかをひたすら考える。ヒトは「材」という考え方に近い。

その一方で、“Human Capital”という表記も増えてきた。これは、ヒトを“資本”とみる。この場合、ヒトは長期にわたって価値を生み出すものであり、生産のための貴重な元手ととらえる。したがって、経営者は一人一人に能力をつけさせ、そのリターンをさまざまに期待する発想をする。すなわち、「人財」の考え方だ。


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 〈考える材料3〉     
◆石組みとブロック積み

武田信玄は「人は石垣、人は城」と言った。
1人1人違った個性が心をひとつにして石垣、城となれば、難攻不落の基地ができあがるとの意味だ。

さて、石垣を造るのに、1個1個形の違う石を組み合わせて完成させるのは、技術的に難しいし、手間や時間がかかる。しかし、いったん巧みに組んでしまえば、なかなか崩れない。それに比べ、レンガブロックを積み上げる建造法は、形状と質を規格化し均一化したブロックを扱うため、技術的には容易で、スピーディーに柔軟的に建造ができる。しかし石垣ほどの頑強さは出ない。

事業組織は、実に多様な個性をもつヒトの集まりである。1人1人の働き手を、1個1個形の違う石として活かし、事業という建造物を組み立てていくのは、経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、とても手間がかかるし、煩わしいし、忍耐と根気の要る作業となる。しかし、そうして成就させた事業というのはとても強いものになる。

その一方、働き手を組織の要求する人材スペックの枠にはめ込み、技能・資格を習得させ、ある価値基準に従わせる―――つまりヒトを規格化し、均質化したブロックにすることで、事業目標をスピーディーに効率よく達成させるという方法もある。経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、働き手をブロック化したほうが何かと扱いがラクになるのだ。しかし、人びとの関係性は粘りのあるものでなくなり、失うものも多い。

もちろんこの2つは両極の姿であって、実際の組織はこの間のどこかで、ヒトをある割合「石」ととらえ、ある割合「ブロック」ととらえながら用いていく。組織にとって大事なことは、1人1人の働き手を極力個性ある「石」として活かすことだ。ヒトをいたずらに「ブロック」化して、取っ換え引っ換えやればいいと考える組織は、早晩、ヒトが遠ざかっていく。

また、働き手にとって大事なことは、他と代替のきかない「石・岩」となって輝くことである。決して没個性な「ブロック」になってはいけない。組織にとってブロックは使い勝手がよい反面、同時に取り換え勝手もいいのだ。


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 〈考える材料4〉       
◆宮大工棟梁の言葉

西岡常一さんは、法隆寺の昭和の大修理(1300年ぶりといわれる)を行った宮大工の棟梁である。『木のいのち木のこころ〈天〉』(草思社)から、彼の言葉を少し長いが引き出してみる。

○「口伝に『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』というのがあります。飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。

それと『木は生育の方位のままに使え』というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、成育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻(ねじ)れているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを見わけるんですな。これは棟梁の大事な仕事でした。


今はこの仕事は材木屋まかせですわ。ですから木を寸法で注文することになります。材質で使うということはなかなか難しくなりましたな。材質を見る目があれば、この木がどんな木か見わけられますが、なかなか難しいですな」。

○「この大事なことを分業にしてしまったのは、やっぱりこうしたほうが便利で早いからですな。早くていいものを作るというのは悪いことではないんです。しかし、早さだけが求められたら、弊害が出ますな。

製材の技術は大変に進歩しています。捻れた木でもまっすぐに挽(ひ)いてしまうことができます。(中略)木の癖(くせ)を隠して製材してしまいますから、見わけるのによっぽど力が必要ですわ。製材の段階で性質が隠されても、そのまま捻れがなくなるわけではありませんからな。必ず木の性質は後で出るんです。それを見越さならんというのは難しいでっせ」。

○「そうした木の性格を知るために、木を見に山に入っていったんです。それをやめてどないするかといいましたら、一つは木の性格が出んように合板にしてしまったんですな。合板にして木の癖がどうのこうのといわないようにしてしまったんですわ。木の性質、個性を消してしまったんです。

ところが癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。

ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん」。

○「曲がった木はいらん。捻れた木はいらん。使えないんですからな。そうすると自然に使える木というのが少なくなってきますな。使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これではいくら資源があっても足りなくなりますわ」。

○「依頼主が早よう、安うといいますやろ。あと二割ほどかけたら二百年は持ちまっせというても、その二割を惜しむ。その二割引いた値段で「うちは結構です」というんですな。二百年も持たなくて結構ですっていうんですな。千年の木は材にしても千年持つんです。百年やったら百年は少なくても持つ。それを持たんでもいいというんですな。ものを長く持たせる、長く生かすということを忘れてしまっているんですな。

昔はおじいさんが家を建てたらそのとき木を植えましたな。この家は二百年は持つやろ、いま木を植えておいたら二百年後に家を建てるときに、ちょうどいいやろといいましてな。二百年、三百年という時間の感覚がありましたのや」。






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