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「自導」についての補足~2つのリーダーシップ

3.1.3



◆リーダーシップの原形:天安門で戦車の前に立つ青年
「リーダーシップ」という言葉を、私たちは日常のビジネス現場で何度となく使っている。もちろん、指導力とか、人を率いる人間性・度量などの意味で理解している。しかし、この単語の原形イメージを頭の中で描いたことは少ないのではないだろうか。野田智義氏と金井壽宏氏による共著『リーダーシップの旅』は、それをうまく描き当てている。その箇所を抜き出してみたい───

「皆さんはリーダーと聞いて、どんな人をイメージされますか?」
すると、未だ三十代と思しき白人男性が立ち上がって答えた。
「天安門広場で戦車を止めようとして一人で立ちはだかった、
名も知れぬ若い中国人の男性」。


(中略)
あの(天安門の)青年はきっと特別な人間でも、エリートでもないだろう。
自分が戦車を止めることで実現されること、その何かを見てみたいと思い、
たった一人で足を踏み出したに違いない。
「他の人が見ない何かを見てみたい」という意志をもつあらゆる人の前に、
リーダーシップへの道が開けていることを、
彼の行動は示しているのではないか。



著者の1人である野田氏は、リーダーシップの原点が、この天安門広場で戦車の前に立った一青年の姿にあるという。つまり、青年が命を賭してその行動に出たのは、“内なる叫び”に従ってのことであろう。それは、自らの内なる叫びによって、自らを導いたといってもよい。そしてその勇気ある行動は、他の人びとを感化し、結果的に、他の人びとを導くこととなった。

このことは、リーダーシップが「リード・ザ・セルフ」を起点とし、「リード・ザ・ピープル」、「リード・ザ・ソサイアティ」と変化していくことを示している。野田氏は、自己をリードする人は、段階的成長を経て、結果的に他者をリードする人になるという論をこの本で展開している。


◆2つのリーダーシップ ~自己を導く/他者を導く
一般的に、リーダー/リーダーシップという概念は、他者をリードする(=導く)ということが前提となって使われている。しかし、上の考察のように、実はリーダーシップの起点は自己にある。他者をリードする前に、まず自己をリードしなければならない。この発想に立つと、リーダーシップを2つに分けて考えることができる。

すなわち、1つは、
内に向けた/自己のリーダーシップ;inward/ self-leadership

もう1つは、
外に向けた/対人のリーダーシップ;outward/ interpersonal leadership

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◆自分を導くもう1人の自分
私は「内に向けた/自己のリーダーシップ」を特に「セルフ・リーダーシップ」として扱い、研修プログラムのなかに取り込んでいる。

セルフ・リーダーシップをとらえる上で重要となるのは、「何が」己を導くのかということだ。それはおおいなる目的(夢/志、使命、大義など)であり、抗し難く湧き起こってくる“内なる声・心の叫び”であり、それを覚知したもう一人の自分である。
したがって、セルフ・リーダーシップの発揮のために何が必要かと問われれば、それは仕事に大きな意味を見出すことであり、自分が向かいたい理想像を描くことであり、同じ価値を抱く人たちとの交流である。自己をたくましく導いていけるかどうかは、技術のあるなしや、分析や計画がうまくできるかどうかではない。想いを抱けるかどうかにかかっている。

セルフ・リーダーシップについては、これまで、一般的なリーダーシップ(outward leadership)ほど多くが語られてきたわけではないが、たとえばスティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』では、その「第二の習慣;目的を持って始める」のなかで、“自己リーダーシップ(personal leadership)”として触れられている。

また、認知心理学では「メタ認知」という研究分野がある。メタ認知とは、「認知を認知すること」をいう。「メタ」とは「高次の、超えて」という意味である。「自己を認知する自己を一段高いところから認知する」というのもメタ認知である。メタ認知の研究では、人間の持つ省察的思考力や、自己に存在する“内なる他者”とのやりとり(=自己内対話)について考察していく。そんな観点から、セルフ・リーダーシップもメタ認知の一種であると考えられる。

* * * * *

【補足】
ちなみに、芸術家たちの創造の世界においても、現実の自己から離れたところにもう一人の自分の存在が重要になることは、次のような例からもわかる。

能の大成者、世阿弥は『花鏡』のなかで「離見の見」と言う。つまり、演者自身の目線は「我見」、観客の目線は「離見」。舞いを究めるには、我見・離見を越えて第三点から俯瞰する「離見の見」を持たねばならないという考えである。「離見の見」とは、現実の自分を冷静に見下ろすもう一人の自分をこしらえ、それが導き役を果たすという発想であり、まさにセルフ・リーダーシップに通じている。

また、パブロ・ピカソはこう言う───

「着想は単なる出発点にすぎない……
着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、
別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ……
描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。



同じく画家、中川一政は自身の著書『腹の虫』でこう書いている───

「私の中に腹の虫が棲んでいる。
山椒魚のようなものか海鼠のようなものかわからないが棲んでいる。
ふだんは私はいるのを忘れている」。





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