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この世界は無数の「仕事」による壮大な織物である

1.2.3


「私が人より遠くを眺められたとすれば、それは巨人の肩に乗ったからである」。
                                                            ───アイザック・ニュートン




◆壮大に連鎖する「IN→THRU→OUT」の価値創造
さて、前記事『仕事とは「IN→THRU→OUT」の価値創造である(1.2.2)』では、一個の人間が行う一つの仕事(=価値創造)の様子を考えた。しかし、仕事はそれ単独で成されるわけではない。自分が行う仕事はさまざまな他者が行った仕事を取り込んで成されるものである。

同時に、自分が出した成果は、今度は他者が仕事を行うときのINPUTになる。例えば、私のOUTPUTであるこの原稿を読んだ人が、それを思考のヒントや企画の材料としてINPUTし、何かの仕事を成すときがあるように。そんな連鎖を表したのが下図である。

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私たちは意識するしないにかかわらず、他者のOUTPUTが自分のINPUTとなり、また自分のOUTPUTが他者のINPUTとなっている。この連鎖のイメージを巨視的に発展させていくと下図のようになる。

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この世界は、無数の個々が無限様に成す
「IN→THRU→OUT」の価値創造連鎖による壮大な織りものである。

―――こう考えたとき、この壮大な織りものをつくる一本一本の経(たていと)・緯(よこいと)はまさしく私たち一人一人が成す一つ一つの仕事にほかならない。

何か良書に触れてその一文を企画書に盛り込む。そしてそれを読んだチームが建設的なアイデアにたどり着き、それを実行する。そんな日頃の些細な「正の価値創造連鎖」がこの世界を織り成しているのだ。

同時に、メディアに流れる悲観的な分析・冷笑的な意見に影響され、自分もまた悲観・冷笑的な発言を周囲にしてしまう。すると周囲も悲観・冷笑的な気分になる。そんな日頃の些細な「負の価値創造連鎖」がこの世界を織り上げているのだ。

「この世の中は自分一人が変えるには大き過ぎる」と誰しも思う。しかし、この世の中は、結局のところ、一人の人間の些細な「IN→THRU→OUT」の価値創造によってつくられている。これは厳然たる事実として認識してよいものだ。

◆「よい仕事」の思想~仕事の中の祈り
西岡常一さんは1300年ぶりといわれる法隆寺の昭和の大修理を取り仕切った宮大工の棟梁である。彼は言う―――

「五重塔の軒を見られたらわかりますけど、
きちんと天に向かって一直線になっていますのや。
千三百年たってもその姿に乱れがないんです。
おんぼろになって建っているというんやないんですからな。

しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。
塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、
鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。
これが檜の命の長さです。

こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。
千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。

・・・生きてきただけの耐用年数に木を生かして使うというのは、
自然に対する人間の当然の義務でっせ」。 

                                    ───『木のいのち木のこころ 天』より



また、もう一人、染織作家で人間国宝の志村ふくみさんがいる。淡いピンクの桜色を布地に染めたいときに、桜の木の皮をはいで樹液を採るのだが、春の時期のいよいよ花を咲かせようとするタイミングの桜の木でないと、あのピンク色は出ないのだと彼女は言う。秋のころの桜の木ではダメらしい。

「その植物のもっている生命の、まあいいましたら出自、生まれてくるところですね。
桜の花ですとやはり花の咲く前に、花びらにいく色を木が蓄えてもっていた、
その時期に切って染めれば色が出る。

……結局、花へいくいのちを私がいただいている、
であったら裂(きれ)の中に花と同じようなものが咲かなければ、
いただいたということのあかしが、、、。

自然の恵みをだれがいただくかといえば、ほんとうは花が咲くのが自然なのに、
私がいただくんだから、やはり私の中で裂の中で桜が咲いてほしい
っていうような気持ちが、しぜんに湧いてきたんですね」。 

                                            ───梅原猛対談集『芸術の世界 上』より



◆いかなる仕事も自分一人ではできない
仕事という価値創造活動の入り口と出口には、これまでみてきたように、INPUTとOUTPUTがある。ものづくりの場合であれば、必ず、入り口には原材料となるモノがくる。そして、その原材料が植物や動物など生きものであれば、その生命をもらわなければならない。―――古い言葉で「殺生」だ。

そのときに、OUTPUTとして生み出すモノはどういうものでなくてはならないか、そこにある種の痛みや祈り、感謝の念を抱いて仕事に取り組む人の姿をこのお二人を通して感じることができる。毎日の自分の仕事のINPUTは、決して自分一人で得られるものではなく、他からのいろいろな貢献、努力、秩序、生命によって供給されている。

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そんなことを思い含んでいけば、自分が生きること、そして、自分が働くことで何かを生み出す場合、他への恩返し、ありがとうの気持ちが自然と湧いてくる(日本人は「針供養」という道具にまで情をかける精神を持っている)。そして「正の価値」を創造することでそれらに報いたいと思う。私はこれこそが「よい仕事」の原点だと思う。

昨今のビジネス社会では、物事をうまくつくる、はやくつくる、儲かるようにつくることが、何かと尊ばれるが、これらは「よい仕事」というよりも「長けた仕事」というべきものだ。私は「長けた仕事」が悪いというつもりはない。言いたいのは、私たちは今一度、「よい仕事」についてもっと振り返る必要があるということだ。

「よい仕事」とは、真摯でまっとうな倫理観、礼節、道徳、ヒューマニズムに根ざした仕事をいう。功利、効率、勝敗、序列は「長けた仕事」に属するものだ。「よい仕事」が一つ一つ連鎖することで、着実に、この世界は壮麗な織りものとして生成していく。私たち一人一人がきょう行う「IN→THRU→OUT」の価値創造はその一糸としてとても大事なことだと腹に据えたい。



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