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自分にとっての「よい会社」とは?

4.1.2


「自らの価値観が組織の価値観になじまなければならない。同じである必要はない。だが、共存できなければならない。さもなければ心楽しまず、成果もあがらない」。
―――ピーター・ドラッカー『仕事の哲学』



◆働くことがマラソンだとすれば……
「よい会社」の定義は、人・立場によりそれぞれである。経営者にとっては、多様な人材(人財)と技術力を保持し、1円でも多くの利益を創出していく会社が「よい会社」である。一方、株主にとってみれば、株価も配当も上がり続ける会社が「よい会社」である。また、社会にとっては、雇用や納税など経済的な貢献と、商品・サービスを通して文化的な貢献をするのが「よい会社」である。

では、私たち働く個人にとって「よい会社」とは何だろう?

……給料の高い会社、やりたいことをさせてくれる会社、ずっと雇用してくれそうな会社、ステータスのある会社、社風に活気のある会社、ブランド力の強い会社、理念に共感できる会社、子育てのできる会社、海外に住まわせてくれる会社など、いろいろあるだろう。しかし、総合的に考えて、よい会社とは「自分に馴染む(フィットする)会社」ではないだろうか。

働くことは、ある意味、マラソンであり、会社はそのマラソンに用いる肝心要のシューズと考えてみる。違和感のあるシューズ、見た目はよいが機能性のないシューズでは思った走りができない。短期には頑張れても、中長期ではどこかで足を痛め、ひいては身体を壊し、完走が難しくなる。

「馴染む」とは、いろいろな意味を含む。たとえば、会社の扱っている商品・サービスが自分の感性に馴染む、経営者の考え方が自分の価値観に馴染む、職場の人たちが馴染める人柄である、担当業務・通勤場所・雇用条件が自分にフィットする、などをいう。つまり、シューズにとって「履き心地」が最重要問題であるならば、会社は「働き心地」「働きやすさ」こそ最重要の観点となる。勤めることの持続可能性を考えれば、年収額や知名度、会社規模は二の次でいいのかもしれない。

ただし、念のために加えておくと、働き心地のよい会社に勤めることは、「仕事がラク」であることを意味しない。マラソン自体がどんなに履き心地のいいシューズを選んだとしても、長くて苦しい運動であることに変わりはないのと同じである。体力や知力、理想や計画、完走意志はやはり不可欠なのだ。

そんなところから、自分にとってのよい会社とは「仕事に厳しいが、やりがいが起きて、長く勤めたいと思える会社」と私は提唱したい。


◆2つの円が重なる~会社の目的と個人の目的
さて、その自分のとってのよい会社の「仕事に厳しいが、やりがいが起きて」の部分をさらに掘り下げてみたい。どういった状態が、やりがいが起きる状態なのだろう。そこで「2つの円」を考える。

会社には会社の事業目的がある。これが1つめの円だ。そして個人には個人の働く目的がある。これがもう1つの円である。この2つの円の重なり具合によって、次の3つの関係性が生まれる。

① 【健全な重なり関係】
会社と個人の間には、何かしらの共有できる目的(目的観)があり、両者は協調しながらその成就に向かい、関係性を維持・発展させていくことができる。
こうした関係の下では、ヒトを「活かし・活かされ」といった空気ができあがる。会社は働き手を「人財」として扱い、働き手は会社を「働く舞台」としてみる。ここに、強い理念を掲げた魅力ある経営者が求心力となれば、その組織はとても強いものになる。

② 【不健全な従属関係】
会社の目的に個人が飲み込まれ(この場合、たいてい個人はみずからの目的を明確に持っていない)、個人が会社に従属し、いいように使われてしまう関係である。
個人が他に雇われる力のない弱者である場合、雇うことを半ば権力として会社は暴君として振る舞うことが起こる。

③ 【不健全な分離関係】
会社と個人はまったく別々の目的を持っていて、両者の重なる部分がない。会社はとりあえず労働力確保のために雇い、個人はとりあえず給料を稼ぐためにそこで働くといった冷めた関係となる。

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長き職業人生を送っていくにあたり望むべきは、当然、1番めの関係性である。会社側の目的と個人側の目的と、2つの円が重なり合うこと。この重なりは、賃金労働というカネの重なり以上に、理念共有とか「活かし・活かされ」の相互信頼といった精神的な重なりを表す。

会社と個々の働き手の間で意味的な共有がなされ、魅力的な経営者が求心力を創造している組織の典型を、私は本田宗一郎の次の言葉の中に見出すことができる。


“惚れて通えば千里も一里”という諺がある。
それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、
こんな楽しい人生はないんじゃないかな。

そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。
石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。

そして監督者は部下の得意なものを早くつかんで、
伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。

そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
企業という船にさ 宝である人間を乗せてさ
舵を取るもの 櫓を漕ぐもの 順風満帆 
大海原を 和気あいあいと
一つ目的に向かう こんな愉快な航海はないと思うよ。

―――『本田宗一郎・私の履歴書~夢を力に』“得手に帆を上げ”より




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