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類推できる人はよく学べる人

8.09


◆1冊の本の「再読・再々読」は栄養吸収がよい
2月はプロ野球の世界ではキャンプシーズン。選手は身体をいろいろいじめて鍛えたり、基本の動作を念入りに練習したりする。私も毎年2月は春キャンプという位置づけで、仕事の基本である読書を集中的にやる。ここでいう読書とは、情報収集のための“軽い”読書ではない。プロ野球選手が身体をいじめるのと同様、私もアタマをいじめて鍛えるために、分野違いの、内容の詰まった本を読む。

読書は、新しく開拓する読書ばかりではない。むしろ最も自分の身になるのは、再読、再々読する本である。再び紙面を開く本は、たいていの内容が頭に入っているので、先に何が書いてあるんだろうという“せかされ感”が起こらず、ゆったりとした気持ちで文字を追える。以前読んだ時に引いたマーカーのところを中心に読んでいき、「なぜこのとき自分はここをマークしたんだろう」といったようなことを思い返しながら内容を反芻する。その反芻で染みてくることこそが自分にとって大事な内容になる。

たいていの場合、以前読んだ時より、どの箇所も読みやすくなっている。それはそれだけ自分が成長したということの証でもある。そして今度は、その読み返す箇所に新しい意味を付加する余裕も出てくる。


◆『谷川俊太郎 詩選集』を再読する
例えば、私はきょう本棚から『谷川俊太郎 詩選集1~3』(集英社文庫:3巻)を取り出して、2年ぶりに再読している。私はそこで再読する詩に新しい解釈を与えてみたり、自分の仕事に引き当てて考えてみたりすることで、いろいろな知恵やエネルギーを湧かせることができる。

◇いちばのうた (部分の抜粋)

うるんならいちえんでもたかくうる
かうんならいちえんでもやすくかう
けちでずるくてぬけめがなくて
じぶんでじぶんにあきれてる
だけどじぶんがいちばんだいじ
よくばりよくぼけがりがりもうじゃ
たにんをふんづけつきとばし
いちばはきょうもひとのうず


……谷川さんの目はたぶん市場の高いところにあって、下々(しもじも)の人間の売り買いを神の目で眺めているような気がする。ビジネス社会の現場にいると、しゃかりきになって、ギスギス、キリキリと戦わねばならない。しかし、そんなときにも、この詩のように、どこか高台に上がって人間のやっていることは“可笑しい”ものだと達観できる心持ちになれれば、もっと日々の仕事に余裕をもって構えられると思う。

◇大人の時間

子供は一週間たてば
一週間分利口になる
子供は一週間のうちに
新しいことばを五十おぼえる
子供は一週間で
自分を変えることができる
大人は一週間たっても
もとのまま
大人は一週間のあいだ
同じ週刊誌をひっくり返し
大人は一週間かかって
子供を叱ることができるだけ


……これも再読してどきっとした。相変わらず自分は1週間という時間単位をぞんざいに使っていないか、と。1週間という時間単位はこわいものだ。私たちは1日1日を忙しく過ごしている。ダイヤリーも時間刻みでスケジュールが埋まっている。電車が5分遅れただけでもイライラする。しかし、1週間という単位で、いったい自分は何が変わったのだろう……?

◇六十二のソネット (41より部分を抜粋)

陽は絶えず豪華に捨てている

夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない


……「拾うだけに忙しい」人生は避けたいと思う。「太陽のように豪華に捨てる」ことを仕事でしたいと思う。豪華に捨てるとは、give & takeなどというケチくさいことではなくて、give & give、give & forgotということだろう。大いに与えて、そして、悠然と休む。それが苦もなくできる境地にはやく入りたい。

◇夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった (7より部分を抜粋)

真相はつまりその中間
言いかえれば普通なんだがそれが曲者(くせもの)さ
普通ってのは真綿みたいな絶望の大量と
鉛みたいな希望の微量とが釣合ってる状態で


……「フツウに妥協したくない!」と大見得を切って、普通のサラリーマン生活から独立してはみたものの、才覚は普通より多少上くらいに過ぎなかったことを悟り、稼業への苦労は絶えない。しかし、鉛の希望が黄金の希望に変わったことは確かである。

◇質問集続 (部分の抜粋)

金管楽器群の和声に支えられた一本のフルートの旋律、
その音はどこから来るのですか、

笛の内部の空気から、奏者の肺と口腔から、すでに死んだ作曲者の魂から、
それともそれらすべてを遠く距(へだた)ったどこかから?


……とても含意に富んでいる。この詩にぴんと響いた人は、“大いなる何か”と感応して仕事をした経験のある人であろう。ほんとうに深い仕事をしたとき、人はよく「何かが降りてきた」とか「何か大きな力に動かされた」と口にする。物理的には、道具によって、自分の身体・技術によってそれがなされるわけだが、ほんとうのところは“大いなる何か”と自分との協働なのである。仕事をするうえで、道具は大事だ。身体・技術も大事だ。しかしその次元から突き抜けて“大いなる何か”とつながれるかどうか、ここは実に重大な一点である。

◇夢の中の設計図 (部分の抜粋)

祈りもなく

何を夢見ることができよう
どんなに固い
石の道も
私たちの夢の迷路から
生まれるのだ
どんなに高い
尖塔も
私たちの夢の闇に
試されるのだ


……私たちは、日常、ありとあらゆる工業製品や建造物に囲まれている。例えば、コップや鉛筆、パソコン、自転車、家屋、ビル、道路、看板など。これらはもれなく、誰かが製造の意図を持ち、誰かが形や寸法・デザインを起こし、誰かがつくったものである。そして、これらの間には明らかに出来不出来の差が生じている。陳腐な椅子と、いつまでも使い続けたい椅子。せわしなく変わってきた貧相な街並みと、時の風雪にも耐えてきた味わい深い街並み。この差はどこから生じるのか?コストだろうか、作り手の技術だろうか。―――私はそれこそが、祈りであり、夢であると思うのだ。

世の中に次々と出回ってくるものの多くは、あまりに機械的に、功利的に、短縮期間でつくられてくるために、そして何よりカイシャインたちによる“流し仕事”の気持ちでつくられてくるために、祈りをくぐらせていない製品、夢の迷路のふるいにかかっていない事業、夢の闇の試練を経ていない建造物が多くなる。だから、陳腐で貧相で、次々と容易に消えてゆく。サラリーマンであれ、私のような自営業であれ、一人でも多くのものの作り手が、せめて自分の仕事は、自分の祈りや夢の“ろ過”を経て、世に送り出してやる!ということになれば、世の中のものは一変するに違いない。

◇メランコリーの川下り (部分を抜粋)

子等(こら)の合唱の声は日なたの匂いがして

あっという間に空気に溶けてしまう

残っているのは旋律ではない
……なまあたたかい息だ
おとなたちの目の前に浮かび上がる
決して触れることの出来ない感情のホログラム……


……私が事業として売っているのは研修プログラムで、例えば、1日間研修を終えたときに、受講者の前で締めの一礼をして、一応拍手をいただいて退場するわけだが、そのときに、上のような「手に触れることのできないホログラム」的な何かを残すことができているのだろうか―――この詩の一節はそんなことをふと考えさせた。

ビジネスパーソンへの研修プログラム(セミナーや講演含む)という商品は、もちろん仕事に関する知識や技能、考え方、在り方を学習体験に変換して売っているわけであるが、終了直後の受講者に対し、それ以上の何かを差し上げられているのかが、私にとって一番気になるところだ。
私の研修サービスは、キャリア教育やプロフェッショナルとしての基盤意識醸成に的を絞っていて、かっこよく言えば「明日からの働くことに対し、“光と力”を与えたい」という想いでプログラム開発をしている。研修を終えておじぎをしたときに、受講者一人一人にとって内側に光が見えてきたか、力が湧いてきたか、もし、そうであるなら、それこそが教育者冥利に尽きる喜びである。

私たちはそれぞれに売っているものがある。トマトを売っている、カメラを売っている、クルマを売っている、建物を売っている、生命保険を売っている、料理を売っている。それら商品を通して売っているのは、必ずしも便益や機能だけではないはずだ。その商品・サービスを送り届けたときに、「手に触れることのできないホログラム」的な何かがお客様の内に立ち上がること―――それがひとつのプロフェッショナルの仕事であるように思う。

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◆学ぶ力のひとつは類推力
さて、このように1冊の本を再読すると、改めてさまざまな気づきが起こる。再読は心に余裕があるので、こうした気づきが起こりやすい。何より大事なことは、分野違いの本でも、自分のいまの仕事に当てはめるとどうなるか、いまの自分に状況に引き戻すとどうなるかという「類推」をすることである。類推(アナロジー)とは、「似たところをもととして他の事も同じだろうと考えること」(広辞苑)。

この類推が豊かな人は、世の中のさまざまなことから多くを学び取ることができる。逆に言えば、学び力の強い人は類推力が強い。隣の一を観察して、自分の十に応用展開できるのだ。

いたずらに手を広げて多読するばかりが学びではない。いまそこの本棚にある一度読んだ本を手に取って再読する。そして類推を利かせる。「再読×類推」―――自己の観を耕すために大事な作業である。



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