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成長は目的ではない

5.1.4



◆「課長、その仕事、成長できますか?」と訊く若手社員
心理学博士の榎本博明さんは、『「やりたい仕事」病』(日経プレミアシリーズ)のなかで昨今の若手社員が、やりたい仕事がみえないことへの不安、目の前の仕事によって成長が得られないことへの焦りなどを過剰に抱える様子について興味深く分析している。「成長欠乏不安症」の人は一度読んでみるといいだろう。

多くの上司や経営者、先生方、親たち、大人たちは、部下や従業員、生徒、子供たちに向かって「成長しろ、成長しろ」と言う。そして、私たち一人一人も「成長しなくては」と(強迫観念的に)思っている。

しかし私たちは、必ずしも「成長するぞ」と思って成長するわけではない。一所懸命、何か課題に取り組み、解決できたときに、“結果的に”成長しているというのが実態である。

だから人は「成長しなければ」とか、「なぜ成長しなければならないか」を考えてもはじまらない。「どんな仕事に没頭すれば、成長せずにいられないか」という順序でとらえるべきである。成長は目的ではないからだ。何かを全うしたときに、あるいは、何かに持続的に身を投じている過程で、ふと振り返ってみたら結果的に成長していた、そんなものだ。

◆「VITM」という処方箋
若手社員の間で「やりたいことが見つからない症候群」「成長できますか症候群」が増える状況にあって(ちなみに、若手以外のベテラン社員や中間管理職といえども、やりたいことを見つけている人は少数派だし、成長できないことへの不安をおぼえる人も多数いる。が、彼らはもう開きなおっている。その点も組織の活性化からすると大きな問題である)、私が考える処方箋は第1章でも詳しく触れた「VITM」の4要素を一人一人に考えさせることに帰結する。

「V」ベクトル:自分が価値を置く軸
「I」イメージ:理想とする像
「T」トライアル:行動で仕掛けること、自分試し
「M」ミーニング:意味・目的

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私がこれまでにさまざまな人びとのキャリアを観察してきた中で、自分らしくキャリアをたくましく拓いている人の鍵になる要素がこの4つである。ただ、4要素のうちどれもバランスよく強い人は少ない。人によって強弱が出る。

「I」(イメージ)先行でその理想実現に向かってひた走る人もいれば、必ずしも向かう先のイメージはできていないけれども、自分の譲れない価値軸「V」や意味「M」にこだわって地道にプロセスを積み上げる人もいる。また、ともかく「T」(行動)してみて状況変化を起こし、そこから次の一手を考えながら進む傾向の強い人もいる。

だが、何か1つでも強いということが実は重要である。その1つが引き金となって、キャリアがごろりと展開を始める可能性が高いからだ。「VITM」の4要素は相互に刺激し合って全体を強めていく。全体に流れができてくればしめたもので、その流れが起こったときはすでに何かに没頭する状態になっているはずである。そして知らずのうちに、結果的に「成長してしまう」ことになる。

さらに言えば、「VITM」がうまく回ることは、それ自体が報酬となる。自分の求めるV(価値)がどんどん見えてくる。理想とするI(イメージ)が成就する。M(意味)を満たすことができる。T(行動)することの爽快感を得られる。これらはすべて、金銭的報酬に勝るとも劣らない報酬である。

なお、この「VITM」を転回させるということは、働く個人のみならず、事業組織においても有効な概念モデルとなる。



◆忙しさは成長を約束するものではない

「忙しいだけなら、アリやミツバチだって忙しい。
問題は何によって忙しいかだ」。


───とは、ヘンリー・デイビッド・ソローの言葉だ。漫然と忙しくしているだけでは、実は人は成長を得られない。ここに、いわゆる『アクティブ・ノンアクション』の問題がある。

『アクティブ・ノンアクション』(active non-action)とは、「行動的な不行動」とか「不毛な忙しさ」と訳され、多忙ではあるが目的意識を伴った行動となっていないがために結果的に生産的・価値的でない行動に終始していることを説明する概念である。

この概念は、もともと、哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカが言及した『busy idleness』(あくせくしながらも結果として何もしない状況のこと:怠惰な多忙)から派生したと言われる。セネカが約2000年前の人物だということを考えると、人類の“不毛な忙しさ”問題は、古今東西を貫く一大問題なのかもしれない。

確かに私たちの仕事生活は忙しさに追い立てられ、それが止むことがない。でも、1日、1ヶ月、1年、3年を振り返ったとき、何かほんとうに価値のあることを成しえているのか、自分は何に向かって、何を積み重ねているのか……? おそらく漫然と忙しくしている人にとっては、つらく不安な自問になるだろう。

忙しさに納得ができ、その忙しさがきちんと自分の手ごたえある発展につながってくるためには、先ほど触れた「VITM」の意識のもとに働くことが欠かせないと私は思っている。企業内研修の場で多くの受講者と接し、就労意欲の減退感、キャリアの停滞感を抱く人は多い。一つの理由は、企業の事業目的・計画数値に合わせて、自分という労働力を提供し報酬をいただくという単純な対価交換関係に埋没していることだ(もちろん労働契約というのは、そもそもそういう関係をいうのだから、労使ともに特別問題のあることではないのだが)。つまり与えられた目標数値と自分との閉じた関係の中で、尽きない忙しさによる疲労感がどんどん充満していく。

ところが同じような数値目標下、同じような忙しさの中でも、嬉々として働いている人間もいる。それは、意識するしないにかかわらず「VITM」が彼(女)の中で転回しているためだ。「VITM」の転回は、らせん状にオープンに広がっていく発展実感を伴う。そしてその転回の舞台として、たまたま現職場があるという感覚だ。その意味で、「VITM」をうまく回している人にとって、会社というのは舞台提供者であり、パートナーやパトロンに近い関係意識を持つようになる。

また、「VITM」をうまく回している人は、必ずしも能力に長けた人(いわゆる「ハイパフォーマー」)ではないし、高い給料をもらっている人でもない。業務処理能力や専門知識のレベル、年俸の多寡とは別の次元、すなわち内省的に思索ができる、抽象的に本質を引き出すことができる、そして理念を行動で試すことができる、リスクをいとわないといった次元で強さや素直さを持った人である。V(価値)とかI(イメージ)とか、M(意味)とか、そういった“正解のない問い”に対して自分がどう肚をつくるかという問題なのである。

組織は個に対し、業務処理の高度化とスピード化を求める。そして事業を成長させるために、右肩上がりの数値を掲げて現場に発破をかける。個は組織に対して、正当な報酬と成長できる仕事を求める。組織も個も成長がほしい。だが、成長を目的として動いても容易に達成が得られない状況になっている。

知識と技術を身につけ、真面目にがんばれば何か報われた時代があった。だが、いまは組織も個も、いったん、意味や価値といった次元に思考と行動をくぐらせなければ、状況を打開できないときに来ている。サイエンスではなく、アートの要素がますます求められる時代になったともいえる。「VITM」モデルはまさに、アートとしての事業・仕事を考える作業なのである。

組織も個人も「アリやミツバチのように忙しいだけ」なのか、「みずからが想い描くVITMのもとに手ごたえをもって忙しい」のか、この差は大きい。スケジュールが埋まる日々にあって、「怠惰な多忙」を恐れよ。






「成長」をみずからの言葉で定義せよ

5.1.3



◆研修の現場から~成長体験から成長の本質を導き出す演習
私は研修で「成長するとは何か?を自分の言葉で定義せよ」という演習を行っている。
具体的には、各自にこれまでの仕事のなかで「いちばん成長できた経験」をあげてもらい、グループで共有する。そして、そうした自他のさまざまな経験エピソードを踏まえたうえで、「成長すること」の本質は何かを抽出し言語化する作業を行う。こうした演習を通し、受講者のなかに「ああ、結局、成長するって大本はそういうことなんだな」「多様な機会が成長に通じているんだな」「どんな業務にも自分が成長できる芽は隠れているんだな」という気づきが起こる。

「成長」についての本質を自分の言葉で腹に据えさせることで、日々の苦しかったり、つまらなかったりする仕事のなかにも、自分を成長させてくれる要素というものが何かしら発見できるはずだという意識を育むのがこの演習の狙いである。

ちなみに、下にあげるのは実際の研修で出てきた「成長」の定義の一例である───

・成長とは、限界の幅が広がり、他に認められること
・成長とは、得た知識や技術、経験に自信と信頼を持つことである。
 それらが他者に認められた時、成長したと強く実感することができる。
・成長は、自分に負荷をかけて、それを乗り切った時に起きる
・努力している時に、後から自然についてくるもの

・成長とは、物事を見る際の観点が増える事である

・成長とは、新たなステージへ進むための武器。
・受動から能動になること
・継続して能力の“筋トレ”をすること

・成長とは、できなかった事が自然とできるようになるまで身につくこと

・成長とは、自分に対する対価が増えることである
・成長とは、挑戦するこころを忘れないこと!
・自分の存在意義を実感すること

・経験を積み重ねることが成長である。

・自分の中の多様性を増やすこと
・昨日できなかったことが、今日できるようになること
・成長とは、課題を解決する力が大きくなることであり、
 より大きな課題を解決できるようになったときには、成長しているといえる。
・振り返りながら全力で走ること


これら受講者が書き出した言葉は、いずれも具体的な成長経験から引き出したという点がこの演習のミソである。私が拙著『キレの思考・コクの思考』でも述べたとおり、具体と抽象の2つの次元を往復することによって納得感のある力強い答えを導き出すことができる。抽象だけの思考は脆弱になるし、具体だけの見聞では普遍性に欠ける。抽象と具体の両輪を回すという意味でも効果のある演習になっている。

◆「成長」をさまざまに考える
ちなみに、私が受講者に紹介している成長の定義をいくつかあげる。

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○〈成長を考えるヒント1〉

成長とは、
「長けた仕事」を超え、
「豊かな仕事」をするようになることである。


成長には、「技術的な成長」と「精神的な成長」がある。技術的な成長は、いわば「長けた仕事」を生み出す。技術的な成長の観点では、ものごとの処理の「巧拙(上手か/下手か)」が問題になる。だが、人は技術的な成長だけではほんとうに次元の高い仕事はできない。もう一方の精神的な成長が必要になる。

ピーター・ドラッカーは次のように書いている───「指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は、初めて音楽を聴いた。その後は上手に吹くことを超えて、音楽を創造するようになった。これが成長である。仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった」。

精神的成長で問題になるのは「意味」である。意味を見出したときに、その仕事人は「長けた仕事」を超え、その人でなければ創造できない「豊かな仕事」を生み出す。

誰しも入社3年くらいまでの間や、新しい業務を任された当初は、技術が伸びる「喜び」がある。しかし、仕事慣れしてくるにしたがって惰性が生じてくる。仕事に対するモチベーションの低下やキャリアの停滞感もそうしたところから始まる。組織はそうした状態に対し、ジョブローテーションによる異動や新しい役割を与えるなどして従業員の意識をリフレッシュさせようとする。それはそれで有効的な“外科的”な方法ではある。

しかし、その人がほんとうに次の成長ステージに上がっていくためには、“内からの”変化が要る。それがすなわち、みずからの仕事に対し、意味を満たす「喜び」を見出せるかどうかだ。真の成長は「内的変革」にあり、これがなされてこそ次の技術的成長も起こる。そしてそこからさらに精神的な成長があり、内的変化が起こる。この絶え間ない循環がキャリアを無限に開いていく。

また、精神的な成長を得ている人は、仕事に対し気分的な「楽しい」ではなく、意志的な「楽しい」になっているので、多少のしんどさや苦労に耐える粘りを持つことができる。つまり、「しんどいけど、楽しい」「厳しいけど、やりがいがある」という意識で仕事に向かえる。

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○〈成長を考えるヒント2〉

成長とは、
リスクを負って殻を破ったときに得られる収穫物である。


日本の伝統芸能の世界では「守・破・離」という言葉が使われる。その道を究めるための成長段階を表したものである。

「守」:
 師からの教えを忠実に学び、型や作法、知識の基本を
 習得する第一段階。「修」の字を置く場合もある。

「破」:
 経験と鍛錬を重ね、師の教えを土台としながらも、
 それを打ち破るように自分なりの真意を会得する第二段階。

「離」:
 これまで教わった型や知識にいっさいとらわれることなく、
 思うがままに至芸の境地に飛躍する第三段階。


これを「枠をめぐる3種類の人間」として、現代風に焼き直したものが下図である。
1番目に『枠の中の「優秀者」』。
2番目に『枠を変える「変革者」』。
3番目に『新たな枠をつくる「創造者」』。
3番目にいくほど難度・リスク度は高くなり、その分、成長度も大きくなる。

あなたは、あなたの組織は、どのレベルで満足しているだろうか?

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○〈成長を考えるヒント2〉

挑戦して失敗することも立派な成長である。
成功の反意語は失敗ではない。「挑戦しなかった」ことである。


何かに挑戦する。その時点で、あなたは成長を手に入れている。
成功すればもちろん技術の習得や経験知、自信、人とのつながりなどを得ることができたはずだし、仮に失敗したとしても、やはり経験知を得ている。発明王トーマス・エジソンがこう言い切ったように───「私は失敗したことがない。うまくいかない 1万通りの方法を見つけたのだ」。

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成功するにせよ、失敗するにせよ、いったん挑戦すれば、いろいろなものが内的資産として貯まる。そこには同時に次の挑戦の「種」が宿される。そしてまた挑戦に向かう。すると、また新しい内的資産が貯まり、次の「種」が宿される。そしてまた挑戦する……この繰り返しが、成長という名の「勇者の上り階段」となる。

挑戦は、成長を約束する。
成功の反意語は失敗ではない。「挑戦しなかったこと」である。

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連続的な成長/非連続的な成長

5.1.2


「連続的・非連続的」という概念は、イノベーション(技術開発などによる革新)のプロセスを研究する現場で注目された。つまり革新には、地続き的に徐々に進化していく場合と、飛び地的に一気に飛躍する場合と2種類あるという分析である。著名なイノベーション研究者であるヨーゼフ・シュンペーターは、非連続的なイノベーションを次のように喩えた―――「いくら郵便馬車を列ねても、それによって決して鉄道を得ることはできなかった」と。

私たちの成長にも、「連続的/非連続的」(もしくは「地続き的/飛び地的」)といった2つの場合がありそうだ。

【連続的(地続き的)成長】
一つの業務分野、職種、会社で、日々、知識・技能を習得し、経験を重ね、人脈を広げていくと、次第に職業人としての進化・深化がなされていく。そしてキャリアの幅が広がっていく。そうした一歩一歩連続する成長をいう。

【非連続的(飛び地的)成長】
私は米国に留学したことがあるので経験済みであるが、例えば英語学習の場合、やはり現地で生活してみるとヒアリング(聞き取り)に難を覚える(試験英語で鍛えたヒアリング力ではまったく不十分なのだ)。当初2ヵ月くらいまではよく聞き取れない。ところが、あるタイミングを過ぎると、突然、ウソのようにすーっと耳に入ってきて聞き取れるようになる。これが非連続成長である。

また、キャリア形成においても非連続的なステージ変化というものが起こる。ある日突然、何かの出会いやチャンスと巡り合い、これまでとは全く異なる世界で仕事を始め、飛躍していく成長がそれだ。例えば、企業で長年、営業マンとして働いた人が小説家としてデビューし、いい味の作品をこしらえるとか、公務員だった人が農業経営者に転身して全国でも話題の商品を生み出したとか、そんな事例である。

さらに、働く意識の非連続的成長もある。次のピーター・ドラッカーの言葉が象徴的にそれを表している。

「指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。
そのとき彼は、初めて音楽を聴いた。
その後は上手に吹くことを超えて、音楽を創造するようになった。
これが成長である。
仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった」。

                                                ───『プロフェッショナルの条件』



人は仕事に大きな意味を見出したとき、それに向き合う意識ががらっと変わる。それこそがまさに、心が非連続的な跳躍をしたときだ。

連続的成長と非連続的成長のうち、基本として大事なのは言うまでもなく連続的成長のほうだ。日々の地道な進化・深化の気持ちと積み重ねがあってこそ、やがて非連続的成長の引き金が引かれるからである。漫然と「なんか、いいことないかなー」と過ごしている人には、自分を跳躍させてくれるチャンスが巡ってこない。より正確に言うなら、チャンスをチャンスとして気づくことができない。意識が鋭敏になっていないし、チャンスを生かす実力の蓄積がないからだ。

◆「消費される仕事」から「消費されない仕事」への跳躍
私自身が経験した非連続的成長の話をさせていただくと、私は20代から30代にかけて、7年間、ビジネスジャーナリズムの世界に身を置いた。ビジネス雑誌の編集は、ある意味、刺激に溢れ面白い仕事だった。しかし経済のバブルが増長中であれば、経済をあおる記事を書き、バブルがはじければ、誰が悪いんだと犯人探しの評論記事を書く。そんな、メディア業界の性質にネガティブな思いがどんどん大きくなっていった。また結局、雑誌のトレンド記事は、書いても書いても“消費される”だけで、自分の中に積み上がっていく何かがない。

このまま「“消費される仕事”を毎号毎号、続けていくのか? でも、“消費されない仕事”って何だ?」という問いが自分に大きくのしかかってきはじめた。齢33を過ぎたそんな折、次のような中国のことわざを目にしたのである。

「一年の繁栄を願わば、穀物を育てよ。
十年の繁栄を願わば、樹を育てよ。
百年の繁栄を願わば、人を育てよ」。



そのとき「まさに消費されない仕事とは、人を育てる仕事ではないか!」と直感的に確信した。そして、私は教育系の出版社に転職した。物理的にはビジネスジャーナリズムから教育の分野に身を移し、心理的には「消費される情報の仕事」から「消費されない人を育てる仕事」へと跳躍したのである。

たぶん、何かを求めようとしていた意識が鋭敏になっていたからこそ、あの中国のことわざが目に入ったのだと思う。意識が鈍になっていたら、見過ごしていたに違いないのだ。
 


〈Keep in Mind〉
地道の上に、ある日、跳躍は訪れる。




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