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ヒトを全人的に育てる思想~ホンダのOCT

4.3.2


◆「やりたいやつは手をあげろ!」「はいっ!」
あるとき、ホンダ(本田技研工業)のマネジャークラスの方にお会いしたとき、“OCT”なる言葉を聞いた。

―――「OCT(オン・ザ・チャンス・トレーニング)」

「人は育てられるのではない、自ら育つ」というスタンスに立ち、会社側はそのための環境とプロセスを整えること、これがホンダの人財育成の根本思想であるという。

確かに、ホンダの歴史をみても、たとえば、1959年(創業11年目)、伝説の「マン島TTレース」参戦では、メカニックもライダーも全員20代。人選も「やりたいやつは手をあげろ!」「はいっ!」で決まった。同じく59年、本田と藤澤の経営陣は、鈴鹿工場建設のすべてを30代の一人の課長(白井孝夫氏)にあっさりと一任した。白井課長は、その勉強のために「おまえ、しばらくヨーロッパに行って来い」と言われたそうだ。

また、ホンダの有名な文化として、

『三現主義』:
・現場に行け
・現物、現状を知れ
・現実的であれ

『自己申告主義』:
研究や開発は、アイデアを出した人がそのテーマの責任者となる。いわゆる“言い出しっぺ”がリーダーを張るのだ。年次は関係ない。



こうしたことがベースになって、「チャンスの中でヒトは勝手にしぶとく育っていく」というホンダのOCTが、人づくり思想として組織の中に深く根を張っている。これは思想であって、人財育成戦略とか、施策などという表層で移り変わるものではなく、組織員一人一人の気骨に染み込んだDNAになっているように感じる。

その大本である本田宗一郎も、

・「創意発明は天来の奇想によるものではなく、
せっぱつまった、苦しまぎれの知恵である」
(だから、人を2階に上げておいて、はしごをはずせば、いい知恵がわく)

・「見たり聞いたり試したりの中で、試したりが一番大事なんだ」

・「やりもせんに」
(やりもしないで、机上の知識でものの可否を断ずるな)



など、いろいろな語録を残している。


◆全人的・全体的に仕事を任されることで「自分の仕事」になる
私は新卒で最初、文具・オフィス用品メーカーに入り、商品開発を担当した。入社直後からいきなり担当商品を割り当てられ、プロダクトマネジャーとして、企画立案から試作品づくり、デザイン検討までを行い、製造、流通、広報・広告、アフターサービスそれぞれの工程の専門スタッフをチーム化して、夢中(霧中)で働いた。この会社には3年弱在職し、いくつかの商品を世に送り出すことができた。結果的に、ここでの経験がその後の私の仕事上の姿勢や考え方のほとんどを育ててくれたといっても過言ではない。

私の場合、職業人として何年も経ってから、ようやく財務の読み方やマーケティング、戦略論の勉強をした。「SWOT」だの「5 Forces」だの、そうした思考フレームは、どうも現実味の迫力に乏しく、ひとつひとつの知識が「ギスギスとやせて」いて、腹ごたえがないように思えた。後になってそれらは、物事を体系的に整理し、関係者一同が共通了解を得るために必要な道具・方便であるとことに気づいた。

他方、ひとつの完結するプロジェクトなり、大きな仕事単位をどっさり任されることは、全人的に、全体的に取り組まねばならない奮闘であって、それは格好の体験学習、コミュニケーション機会、修羅場、歓喜の瞬間を与えてくれる。その意味で、実に「ふくよか」なのだ。こうしたふくよかな機会をもらってこそ、断片的な知識や技術も真に活きる。

現在、世の中のさまざまな研修プログラムや教育施策は細分化の流れにある。これはビジネスがどんどん高度に細分化(分業化)し、専門的な業務処理能力が欠かせないことに呼応している。だから会社側も、テーマが細分化されたスキル研修や知識セミナーに多くの従業員を行かせる。しかし、業務処理能力を即効的に身につけさせるという対症療法的な教育に偏っていると、「知識でっかち」「技能でっかち」の人間ばかりを増やす結果となり、全人的・全体的に仕事を動かせる人間が出てこなくなってしまうことを意識しておかねばならない。

できるだけ若い年次のころに、仕事を包括的に任されることを経験しておいたほうがよい。断片的な知識と技術をある程度身につけさせ、一人前半になったころに丸ごとを任せるという順序ではない。全体的に仕事を動かし責任を持つという経験は、早ければ早いほど、その人の成長を早め深める。20代のころのほうが、丸ごと任せるにしても仕事規模が小さいので、実際、組織としてもやりやすいだろう。ともかく、その任された丸ごとの仕事を「自分の仕事」として引き受けることを肚に覚えさせることが肝心なのだ。

まだ20代だからといって、部分部分の仕事を切り売り的に任せることでは、結局、部分しか考えられない肚の器の小さい人間ができてしまう。任された仕事を「自分の仕事」としてではなく、「それは会社の仕事」として、どこか第三者的に処理すればいいとする肚構えになってしまうきらいがあるのだ。私は働くマインドや観の醸成研修を主に実施しているのでよくわかるが、年齢が30を超えるころには、人はマインド・観が相当に固まってしまっていることが大半で、そこからの意識変革は難しいことを実感している。


◆全体論的な視点からのヒトの育成
還元論(あるいは機械論)と全体論というのが科学の概念にある。

還元論は、物事を基本的な1単位まで細かく分けていって、それを分析し、物事をとらえるやりかたである。人間を含め、自然界のものはすべて、部分の組み合わせから、全体ができあがっているとみる。西洋医学は基本的にこのアプローチで発展してきた。胃や腸などの臓器を徹底的に分解することで、さまざまな治療法を開発するのだ。

他方、胃や腸など臓器や細胞をどれだけ巧妙に組み合わせても、一人の人間はつくれない、全体はそれ一つとして、意味のある単位としてとらえるべきだというのが全体論である。東洋医学が主にこのアプローチである。

この両方は、どちらかが良い悪いではなく、バランスが必要だ。

専門特化された技能研修や知識セミナーは、還元論アプローチである。一方、ホンダの『OCT』は、全体論アプローチである。医療の世界では、東洋医学への見直しが高まっているように(ガンと共生する考え方や、漢方薬、ヨガなど)、人財育成も、全体論的な角度からの見直しが必要である。それは小難しいことではなく、どんとチャンスをどんと与えることである。チャンスを与えられ目をかけられたときの10代や20代の能力発揮、そして成長には驚くべきものがある。




意図的につくりにいくキャリア/結果的にできてしまうキャリア

1.6.4



「初志貫徹」は立派な姿勢である。しかし場合により、逆に自分の可能性や進路を狭めてしまうデメリットもある。たとえば、「東大(東京大学)浪人3年目」とか「司法浪人7年目」とか。あるいは、「ミュージシャン目指して30を超えました」とか「人気芸人になりたくて、アルバイト生活10年続けてますが、なかなか芽が出ないようで……」とか。

「東大合格」にしても、「司法試験合格」にしても、「ミュージシャンになる」、「人気芸人になる」にしても(各自の抱く内面の動機=“何のために”という自問の深さはともかくとして)、これらはひとつの夢の追求であり、何も目指さず漫然と生きていくよりはよい生き方だといえる。私はそうした夢や目標をもつことはとても大事だと思っているし、初志貫徹のための挑戦を続ける姿には敬意を表するものである。

ただ同時に、そうした人たちに対し、本項で述べることも頭の中に併存させてほしいと願うものである。なぜなら上記のような人たちの中で、ある割合の人たちは、夢を言い訳にしてほんとうの実り多き人生を逃していたり、その思い込みに向かってただチャレンジしている風だけの生活に自己満足することがあるからだ。

◆「なりたいもの」に固執することの弊害
キャリア形成には、「意図的につくりにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」がある。

前者は、「医者になろう」とか「宇宙飛行士になろう」とか、明確な目標を定めて、意図的に計画しステップを踏んで、ついにそれを獲得していくものである。後者は、医者になろうと思って医学の勉強をしていたが、薬学の研究のほうに興味が湧いて、結果的に新薬の研究者になったとか、医者になったものの、文芸の才能に目覚めて小説家になってしまったとか(たとえば、北杜夫氏や渡辺淳一氏、マイケル・クライトン氏など)、必ずしも計画的ではなかったが、当初とは違う選択が途中でひらめいて、もがいて奮闘して、振り返ってみたらその道で食っていた、そんなようなタイプのものである。

もちろんこの2つのタイプは、二者択一のものではなく、この両者の複雑で動的な混合によりキャリアはつくられていく。

「意図的につくりにいくキャリア」の特徴は次のようなものである。
 ・ターゲット思考
 ・計画、分析、段取りを重視する
 ・長所=明確な到達点に向けて力を出しやすい
 ・短所=思考に柔軟性を欠き、自分の潜在的可能性を狭める危険性がある

「結果的にできてしまうキャリア」の特徴はこうだ。
 ・オープンマインド
 ・出たとこ勝負。状況創造・柔軟性を重視
 ・長所=想定外の可能性を成就させることが起こりえる
 ・短所=漂流する危険性がつねにある

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「自分はなにがなんでも東大に入りたい/司法試験に合格したい」といって何年も浪人生活を送っている人のなかには、その目標が“志”というよりも、むしろ東大・司法試験といった知的ブランドを手に入れたいといった欲望の固執になっている場合が見受けられる。つまり、東大合格や司法試験合格といった世間がわかりやすい評価を得てうらやましがられることが、もはや最大の目的になっている状態だ。私たちの人生の目的は、自己を最善にひらいていくことである。東大や司法試験合格は、なるほどその目的を満たす一つかもしれない。だがそれは手段にすぎないし、他のもっと有効な手段だっておおいにありえる。(だだ、それでも俺は固執する、という人に私はどうこう言えるものではない。その人の人生はその人のものだからだ)

「俺はこれになるしかない!」といった絶対無二の目標を立ててしまうと、他の選択肢が目に入らなくなり、自分の才能を限定してしまう恐れがある。あるいは、いったん他の道に進んで、そこから迂回して当初の目標にたどり着くという可能性をなくしてしまう。だから意識としては、将来の進路や達成イメージに関して、一方にターゲット思考を置き、他方にオープンマインドな柔軟性を置くことが大事になってくる。これが私の言いたい「意図的につくりにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」のバランスの問題である。


◆「想い」を抱きもがくこと。されば道は開かれん
図1はキャリアの進路の変化を表したものである。キャリア形成の途上、私たちの目前には、日々月々、年々、大小さまざまな分岐点が現れてきて、その都度、複数の選択肢が起こる。そこである1つを選択して進んでいく。もしくは意思や努力に反してある方向に転がってしまう、そんなことの図である。

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たとえば、いま自分がA点にいて、D点という山の頂を「意図的につくりにいくキャリア」として目指しているとしよう。B点までは何とかうまく来て、次にC点に上ってゴールに到達したかったのだが、そこで大きな失敗をしてしまい、不本意ながらX点に落ちてしまった。

ここでモヤモヤ、ウジウジとD点という夢が捨てられなくて、モラトリアム状態、夢を言い訳状態にして時間を浪費してしまうことは、上に述べたとおり「意図的につくりにいくキャリア」の欠点になる。そのときに大事なことは、「この目標に固執することが、ほんとうに自分を活かすことにつながっていくのか」「自分の奥底にあるほんとうの想いは何なのか。それを満たすためのもっと身近な、もっと現実味のある別の目標は描けるか」「進路は明確にわからなくなってしまったが、何かに没頭できる別の環境はないか」といったことを深く見つめ直すことだ。そうした頭の切り替えをして、ともかくもがくことだ。

おぼろげでもなにか想いをもってもがいていると、人生とは不思議なもので、必ずなにかのきっかけが起こったり、人との出会いがあったりして、次の展開が起こってくる。図で言えば、Y点というきっかけを得て、Z点という当初想定もしていなかったような山の頂にたどりつくこともある。そしてZ点を経由して尾根伝いにD点に行けるリベンジチャンスも芽生えるかもしれない。

そのときあなたは、遠くにD山を眺めながらこう思かもしれない───「Zという山もまんざらではない。むしろこの山こそ自分が求めていた山だ」。「X点に落ちたときの失敗は自分には十分に意味があったのだ」と。この心心境に立てたときこそ、まさにあなたが偶発を必然に転換し、「結果的にできてしまうキャリア」を最大限のものにした瞬間である。


◆「自分の登るべき山」はどこにある!?
キャリアづくりにおける選択肢や出来事には、あらかじめの正解値はない。その後の行動で、それを結果的に「正しかった」と確信できる状況にできるかどうか、それこそが最重要の問題なのだ。アメリカンフットボールの名コーチとして知られるルー・ホルツはこう言っている。

「人生とは、10%の我が身に起こること。
そして残り90%はそれにどう対応するかだ」。



もうひとつ、画家パブロ・ピカソの言葉―――

「着想は単なる出発点にすぎない
着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ。
・・・描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。



私はここで絶対的な目標を立てるな、すべては柔軟的であれと言って、「意図的につくりにいくキャリア」の欠点だけを強調するつもりはない。ひとつ決めた道を何が何でもやり遂げるという生き方は素晴らしいものだ。逆に「結果的にできてしまうキャリア」を偏って肯定すると今度は漂流するキャリアという現象をまねく危険性が出てくる。

私が本項で主張したいポイントは、

・各自が「自分の登るべき山」をもつことは必須である
・しかし「自分の登るべき山」はそれひとつのみではないかもしれない
・キャリアを拓くためのもっとも重要な力は「状況を創出するたくましさ」である
 (計画する力は二の次のものである)
・状況を創出しようと奮闘する過程で見えてくる山が真の山であることが多い
・そう構えれば「自分の登るべき山」はそこかしこに無限に存在する
・そして死ぬ間際に「自分の登った山」(ひとつかもしれないし、複数かもしれない)を充実をもって振り返る。それが「幸せのキャリア」(「成功のキャリア」ではない!)である




◆自己を最善にひらくとは、登るべき山を不断に求めること
最後に理解の補足・おさらいとして図を加える。下図をみてほしい。あなたは、キャリアの途上で、当初目指したD山もZ山も登頂がかなわずに(それは意志・努力が足りなかったのか、運命のいたずらなのか分からないが)、P点に落ちてしまった(P点に退く形にしかならなかった)。ともかくあなたは気落ちしている。

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さて、あなたはもうこの世に登るべき山など見出せないのだろうか? これまで果たせなかったD山やZ山を恨めしく思いながら生きていくのだろうか? もう山なんぞこりごりだと言って適当に自分をごまかして過ごしていくのだろうか? ……まぁ、そうすることもできるだろう。(実際、そういう人は多い)

しかし、やはり私たちはもがかなければならない。もがくことが生きることだから。そしてそのときには、やみくもにもがくのではなく、「想い」をもってもがくことが大事だ。

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ともかくもがくことで、いったん、Q点のような少し見晴らしのきく場所にたどり着くことができるだろう。そして、そこから実はいろんな山が見えてくる。それはR1という山かもしれないし、R2山かもしれない、R3かもしれない……無限の種類のR山がありうる(P点に沈んでいた時には想像もつかないようなR山が)。

結果的にR山を登ってしまった人にとっては、過去のP点の自分を悠然と振り返られる。逆に、P点でもがくことをせず、妥協の人生に流れた人は、ついぞR山の可能性が無限に広がっていたことに気づくこともなく生きていく。

だから「自分の登るべき山はどこにある?」という自問に対する答えはこうだ―――想いのもとにもがいていれば、そこかしこに無限に見えてくる! そして(こちらのほうがもっと大事なことなのだが)、これだと見出した山は必ずしも登頂できるとは限らない。むしろ挫折することのほうが多いかもしれない。それでもまた、次の山を求めるべきだ。その絶え間ない繰り返しこそが、自己を最善にひらく作業そのものであり、山をへたに登頂して満足してしまうよりは得ることがはるかに多いのである。

下の図は、その目指すべき山を見出す努力と挫折との繰り返しを表したものである。たとえば、ここに野球が人並み外れて上手い甲子園球児のAさんがいたとしよう。彼の夢は当然プロ野球選手になることだった。甲子園で活躍し(B点)、後はドラフトに指名されて(C点)プロ野球界入り(D点)を期待していた。ところが肩に故障があることが判明し、その夢が絶たれた(X点)。

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いったんは相当に落ち込んだAさんだったが、それでも野球をやめたくない。そこで彼は次の山を見出した。実業団の世界で野球を続け、スター選手になることだ(Z点)。そして強い野球部を持つ会社に入社した(Y点)。ところが実業団野球の世界も甘くはない。肩がじゅうぶんでないAさんはレギュラーポジションを取れない。それどころかさらに肩を壊してしまい、いよいよ野球すらできない状態になってしまった(P点)。

絶望の底にいるAさんは、それでも「想い」を描き続けた。「野球と共にある人生を送りたい」「名勝負をつくりだす仕事がしたい」。そういう想いさえ抱き続けてもがけば、何かのきっかけをつかめる地点にいくことができる。Aさんは、「日本一の野球道具開発になる」という山だって、「日本一の身体改造トレーナーになる」という山だって目指せるのだ。想いを見失わない人の前には、それこそ山は無限に現われてくる。


◆高いだけが自分にとっての「よい山」ではない
最後に補足をもうひとつ。私が大学講義で就職活動中の学生に伝えたことである。冒頭の「なにがなんでも東大/司法試験合格」のように、就職の際の会社選びにしても、「何がなんでも三菱商事」とか「何がなんでも東京海上」など、世間の決めた人気ランキングに依って、ブランド品を欲しがるように就職先を志望する傾向性は根強くある。私は冒険家・植村直己さんの次の言葉を紹介した。

私は五大陸の最高峰に登ったけれど、
高い山に登ったからすごいとか、厳しい岸壁を登攀したからえらい、
という考え方にはなれない。
山登りを優劣でみてはいけないと思う。
要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、
登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う」。
 
                 ―――植村直己『青春を山に賭けて』






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