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日本人は教えられすぎている

4.3.5



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「日本人は教えられすぎています」。───こう語るのは、キング・カズことプロサッカーの三浦知良選手だ。彼は加えてこうも言う。「教えられたこと以外の、自分の発想でやるというところがブラジルよりも遅れています」(いずれも『カズ語録』より)。

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米メジャーリーグ野球では、コーチのほうから選手にあれこれ指導しないと聞く。選手のほうからコーチに具体的にはたらきかけてはじめて、コーチが技術やメンタルを改善するためのヒントを与えるのだという。

このことは米国の大学院に留学経験のある私もじゅうぶんに理解できる。授業内容は研ぎ澄まされてはいるものの、どちらかというと淡々としている部分も多い。短い在学期間のなかで、ほんとうに自分の研究したいこと、成就したいことのために、大学教官の知見を引き出したり、協力を仰いだりするのはなんといっても授業外だ。授業外でどれだけ彼らを活用できるかが学生の優秀さでもある。教官に教えてもらうのを待つというより、こちらから能動的に引き出す、活用するというスタンスが強い。

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ひるがえって日本の企業研修の現場。研修を行った後に、受講者からの事後アンケートを見せてもらう。どこの企業でも少なからず見受けられるのが、「もっと方法を教えてほしかった」「技術論が少なかった」「具体的にどうすればよいのでしょう」といったハウツー要求の意見だ。

私の行っている研修が「知識・スキル習得型」のものであれば当然、そのあたりのことは伝授しなければいけない。しかし私の分野は「仕事観・働く自律マインド醸成型」研修である。自分の仕事の意味をどうすれば見つけることができるか、自律的な人間になるための術は何か、幸せに働くための方法はどうかなどを教えることなどできない。もちろん、そうしたテーマに対し、どう心を構えていくか、どう内省・思索するか、どう行動で仕掛けていくかのヒントは研修内でいくつも与えたつもりである。しかしそれでも技術的なハウツーにまで落として教えてほしいという(不満ともとれる)声は必ず出る。

困ったことに、人財育成担当者のなかには、そうした不満の声による研修の低評価をそのまま受け入れ、「では来年度はもっと方法・技術論を教えてくれる先生に任せよう」と考え違いする場合があることだ。「そんな処世術めいたことを安易に欲しがる社員をうちは増やしたくない!」くらいの毅然とした親心の評価眼で、そうしたアンケート回答になびかない担当者が増えてほしいものだ。

いずれにせよ、「よりよく働くこと・自律的に職業人生を切り拓くこと」のやり方は、自分自身が見出さねばならない。その方法・プロセスこそ、その人の人生そのものだし、自らが抱く価値の体現だからだ。そこの部分は、時間がかかろうが、不器用だろうが、まわり道をしようが、自分でもがいて築いていくしかない。
書店に行けば、「3日間で人生を変える魔法の●●」式の指南本がたくさん出ている。確かに、その中には有益なことも書かれているだろうが、そうしたものに頼っても“Easy build, easy fall”(お手軽に出来て・容易に崩れる)の域を出ない。人生の成功を即効的に刈り取りたいという考えに疑いを持つ人でないかぎり、深い生き方には入り込んでいけないと思う。

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芸術品や工芸品を観るとき、作品という成果のみに目がいきがちだが、私はつくり手の創作プロセスや方法に興味がわく。そこを知ることによって作品の味わいが格段に深まるのは言うまでもないが、「生きる・働く」うえでの力をもらえるからだ。すごい作品というのは、技術や発想がすごいというより、そこに達するまでの自己との戦いや鍛錬、執念の物語がすごいのだと思う。そのプロセスの一切合財がいやおうなしに作品や技術に宿るからこそ緊迫感のある名品が誕生する。

いま濱田庄司の『無盡蔵』(むじんぞう)を手元に置いて読んでいる。濱田庄司といえば、ありふれた日用雑器の焼きものだった益子焼(栃木県)を、世界にその名を知らしめるレベルにまで高めた陶芸家である。

濱田は陶芸を英国で始め、沖縄で学んだ。36歳のときに益子に移り住み、以降40年以上そこで作陶人生を送る。実は益子の土は粗く、焼きものに最上のものとはいえない。それを知った上で濱田はそこに窯を築いた。なぜか。濱田はこう書いている───「私はいい土を使って原料負けがしたものより、それほどよくない土でも、性(しょう)に合った原料を生かしきった仕事をしたい」と。

窯にくべる薪は近所の山から伐ってくる。釉薬(ゆうやく・うわぐすり)は隣村から出る石材の粉末で間に合わせる。鉄粉は鍛冶屋の鋸くずをもらってくる。銅粉は古い鍋から取る。用筆は飼っている犬の毛から自分で作る───その考え方・やり方こそが濱田そのものなのだ。

真の創造家は、創造する方法を生み出すことにおいてさえ創造的である。今日の益子焼を代表する色といえば、柿色の深い味わいをもつ茶褐色である。これは“柿釉”(かきぐすり)と呼ばれる釉薬を使用することによって生まれるのだが、その柿釉をつくり出したのは、ほかでもない濱田だ。気の遠くなるような材料の組み合わせや方法のなかから、思考錯誤を繰り返し、ついにこの柿色にたどり着いた。しかも釉薬の原料は先ほど触れたように、隣村からもらってくるのだ。

また、濱田の代表的な技法のひとつとして「流し掛け」というのがある。濱田は成形した大皿を左手に持ち、右手にはひしゃくを持つ。ひしゃくにたっぷりと釉薬を汲み、大皿の上にすっと縦に釉薬を走らせる。そして左に持つ大皿を手の平でひょいひょいと90度回転させるやいなや、再び釉薬を縦に無為に走らせる。すると大皿に十字にしたたる線が描きあがる。これを焼き上げると、躍動的で面白みある表情が出る。これが流し掛けだ。この潔く堂々とした方法こそ濱田そのものだと私は感じる。そしてまた、一見、無造作に流し掛けた線であっても、それがきちんと濱田庄司という人間の器にかなった線が出る。そこが芸術の面白いところだ。

ちなみに流し掛けを巡って、濱田は「一瞬プラス六十年」というエピソードを書き残している。ある訪問客が、これだけの大皿に対して、たった15秒ほどの模様づけではあまりに速すぎて物足りないのではないかとたずねたそうだ。そのときの濱田の返答───

「これは15秒プラス60年と見たらどうか」。

……60年とは言うまでもなく、濱田が土と戦ってきた歳月の長さだ。

方法やプロセスはその人そのものを写す。方法やプロセスにかけた厚みこそ、その人の厚みになる。だから、私たちは安易に教わりすぎてはいけないのだ。



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