« 創造する心 | メイン | 日本人は教えられすぎている »

『一徹視理』~3年ジョブローテーション再考

4.3.4



手元にビジネス雑誌『THE 21』2009年6月号(PHP研究所発行)がある。この中のキッコーマン・茂木友三郎会長のインタビュー記事が面白かったので紹介したい。

茂木会長のコメントを要点だけ抜き出すと、


毎年、新入社員に「いつでも会社を辞められる人間になれ」という言葉を贈る。いつでも辞められる、どこにいっても働けるぐらいの人材でないと、社内で思い切ったことができない。自分の意見もおっかなびっくりでしか言えない、また、上から睨まれて、クビにされるのが困ると思ってしまう人材に、会社に長くいてもらってもいいことはない。


要は、“スペシャリティー”をもて、ということ。スペシャリティーとは、「社内でこの問題はあいつに任せれば安心だ」とか、「この問題に関してはアイツにはかなわない」というようなレベルではない。「業界の中で、キッコーマンのアイツはスゴイよ」とか、「キッコーマンにはあいつがいるからウカウカできないぞ」といった業界内で名前が轟(とどろ)くようなスペシャリティー。


(企業では3年ぐらいでジョブローテーションをさせるのが一般化している。そんな中でスペシャリティーを磨くのは容易ではないが、との問いに───)

これはもうとんでもない話。一つの仕事を3年しかやらないなんてナンセンス極まりない。そもそも3年サイクルのローテーションは、エリート官僚のための制度だった。官僚の中のトップ5%くらいの人間が、そうやっていろいろな仕事をかじって、全体をみる経験をしていく。企業に入ってくる多くの大卒者はエリートでもなんでもない。そんな人材が、短期間でグルグル仕事を変わるなんてことは意味がない。3年ぐらいではとてもスペシャリティーなんて身につかない。その世界では、まだまだ下っ端にすぎない。


私の理想論としては、最低でも一つの仕事を10年間やる。それくらいの経験が大事。30歳までに一つの仕事。そして40歳までにもう一つの仕事。その二つの仕事でスペシャリティーになれば、どこへいっても通用する人間になる。


(40歳までに二つの仕事しか知らないのでは世界が狭すぎないか、との問いに───)

そんなことはない。スペシャリストになると、仕事のコツや勘どころがみえてくる。それはどんな仕事にも応用が利く。40歳以降は、それまでに培った自分なりの“仕事の仕方”を全部の仕事に応用していけば、どんなジャンルの仕事もこなせる人間になる。



* * * * *

能力開発・キャリア形成における時間レンジのとらえ方はいろいろあるだろうが、私は、3年・5年・7年・10年に重要な区切りがあると感じている。

3年は、その分野の「基本習得」に必要な期間。
5年は、その分野の「深耕」に必要な期間。
7年は、その分野に「根を張るため」に要する期間。
そして
10年は、その分野の「プロフェッショナルとして自立・自律するため」に要する期間。


その意味で、茂木会長の持論は傾聴に値する。ジョブローテーション制度により、「一畑三年」でたびたび異動をさせてしまうと、多様な経験はできるものの深耕や根を張るところまではいかない(この深耕や根を張るところでの負荷が、実は人間を図太く成長させる貴重な機会でもある)。仮に、そうした流動的な環境で、うまく仕事をやりこなしていく人間が出たとしても、それはやはり「組織内ジェネラリスト」「組織内エキスパート」の域を出ないのではないか。社外に放り出されてしぶとく独りでやっていけるプロフェッショナルには育たない可能性が高い。

だから、20代と30代をかけて「一畑十年×2ラウンド」という発想は、実行に値する。組織が骨のあるプロフェッショナルを育てるには、10年レンジでの育成観が必要だ。ただ確かに、3年ほどでローテーションさせる制度にはメリットも多い。しかし、人事の方々とこの話をすると、

 ・ジョブローテーションの制度を謳わないと、新卒募集の人気に悪い影響が出る
 ・モチベーションをなくした社員に対し、異動は一つの刺激剤にはなる
 ・実際、3年を待たず、職場をかわりたがる社員が増加している

など、ローテーション制度が本来もっていたはずのポジティブ要因ではなく、ネガティブ要因によって支持される傾向が強まっているようにも思える。ただ現実は、育成には時間がかかるが、20代をいろいろと異動させて自己特性と職種をマッチングさせる期間とし、30代、40代で、「一畑十年×2ラウンド」というのが適切なのかもしれない。実際のところ、私自身も20代は業界横断的に流動的に仕事を変えた。

* * * * *

私は、仕事上でいろいろなキャリアの姿を研究してきて、そしてまた、ビジネス雑誌記者時代から幾百もの第一級の仕事人を観察してきて、あるいは自分自身が、メディアの世界で情報編集畑の仕事を10年、教育畑の仕事を10年やってきて、思い浮かんできた言葉(造語)がある。それは―――

  『一徹視理』(いってつしり)
  一つを徹すれば、理(ことわり)を視(み)る

つまり、一つのことを徹していけば、全体に貫通する筋道・法則のようなものが視えてくる、ということだ。

そしてこうした道筋・法則のようなものが視えてくると、変化が怖くなくなる。自分の変えない信念や軸ができているので、変えるのは技術や適応方法でよい、というように腹が据わるからだ。逆に、一つに徹するという「経験×時間」がなく、環境を頻繁に変える人は、そもそも変えてはいけない信念・軸が醸成されず、粘り強さも身につけていないので、技術や適応方法を変えることに右往左往し、不安がる日々が続く(たぶん定年まで、そして定年以降も)。

企業内の人財育成において、「10年をかけて一つの分野に徹する」という観点にもっと関心がいってもよいと思う。もちろん「徹する」のであるから、漫然と同じ1年を10回繰り返すのではなく、毎年厚みを重ねていく10年にしていくことは言うまでもない。



Related Site

Link