8●「働くこと」つれづれ Feed

原因と結果は一体〈続〉 ~善行を積めば宝くじに当たるか !?

8.07


昔から「情けは人のためならず」ということわざがある。
他人に施した善い行いは巡り巡って自分に帰ってくるという意味だ。
これは奥深い真実だろうと思う。

だから、
私たちの中には日ごろから善いことをいろいろしていけば(=原因を積んでいけば)、
将来、宝くじに当たる(=結果が出る)かもしれないと期待する人もいるだろう。

しかし、これを「因果一如」とは言わない。
日ごろ行う善行の“因”と、宝くじに当たる“果”はまったくの別の出来事だからだ。
因と果が一対一でつながっていないと言おうか。

もし、私たちが何か人に善いことをしたのであれば、
その行為と同時に自分の気持ちがすがすがしくなっている。
そのすがすがしさこそが、結果・報いであって、これを「因果一如」と呼ぶ。

ちなみに、先ほどの「情けは人のためならず」をサポートする観念としては、
「陰徳あれば陽報あり」という言葉がある。
いずれにせよ、善い行いというのは、自分の境涯という土壌の肥やしになるようなもので、
いつか自分が立派な花を咲かせ、実を結ぶためには、いくらあってもよいものだ。

* * * * *

◆「真・善・美」の仕事はそれ自体が報酬である

さて、因果一如というコンセプトを「仕事・働くこと」に引き付けて考えるとどうなるか。
私たちは、働いたことの報酬としてお金をもらいたい。できれば多くもらいたい。
しかし、「利」ばかりを追っていくと、「もっと多く、もっと多く」の欲望が加速する。
そうなると逆に、少ない金額しかもらえない場合、とたんにやる気がなくなる。

「これだけストレスを抱えながら働いているのに、これっぽっちの給料か……」と、
少なからずの人たちが神経と身体を痛めながら日々の仕事をこなしている。
金銭という外発的動機に動かされているかぎり、こうした状況は変わりなく続く。

そうした中で私たちは、東日本大震災後に多くのボランティアが全国から駆け寄り、
無償の汗を流しながら、とてもよい笑顔を見せる光景に数多く触れた。
それは「利」を求めての行為ではなく、「善」の行為であった。
「善」の行為は、内発的動機であり、それをやること自体がすでに報酬なのだ。
つまり、因果一如だ。

「善」に関わる仕事内容───つまり他者の喜ぶ顔や社会貢献につながっている仕事
は、それ自体で報われる。

「真」に関わる仕事内容───つまり科学者の研究のように真実を追求する仕事
は、それ自体で報われる。

「美」に関わる仕事内容───つまり自分の美意識のもとに創造をする仕事
は、それ自体で報われる。



私はここで、だから「安い給料でもよい」と言っているのではない。
給料は経営にきちんと目を張って、相応のものをもらうべきだ。

ここで私が主張したいのは、
一人一人の働き手が、一つ一つの組織が、
仕事・事業の向け先として「(経済的)利」追求に偏った流れから、
「善的なもの」「真的なもの」「美的なもの」にシフトさせていく努力を怠ってはいけない
ということだ。

そんなキレイごとを言っていたら、熾烈なグローバル競争の中で勝っていけないと
少なからずの経営者は言うかもしれない。
しかし、低価格路線という「利」の競争次元で戦えば、日本は必ず新興諸国に負ける。

むしろ、知恵や技や感性をもった日本は、位相を変えて戦うところに勝機がある。
すでに米国のアップル社は「美」的次元で独り勝ちをしている。

社員に対して、「利」の価値一辺倒で危機意識を煽(あお)るやり方は限界がきている。
「善」「真」「美」といった価値を軸に据えた仕事観・事業観のもとに、
「働きがいのある」職務・職場に変えていこうと努力をする組織、
そして意義やビジョンを雄弁に語ることのできるトップ・ミドルがいる組織は、
結果的にしぶとく生き残っていくだろう。

「そんな青臭い正論など抽象論議に過ぎない」……こう思われる読者もいるかもしれない。
が、そんな正論めいた抽象論議を真正面からとらえて、
具体的に、働くことのあり方や事業のあり方、組織のあり方を進化発展させていくのが、
先進国ニッポンの真のチャレンジテーマではないのか。

スティーブ・ジョブズが東洋の禅思想に傾倒していたと日本人は誇らしげに語るが、
当の私たち日本人はどれほど自国が育んだ思想・哲学を知り、
現代に蘇生させているだろうか。

「その行為にやりがいがあり、その行為をやった瞬間にすでに報われている」
=「因果一如」

───過去の賢人たちが残してくれたこうしたコンセプトは、抹香臭い観念ではなく、
新しい時代に生かすべきアドバンテージであり、テコであり、武器なのだ。
そしてこれを見事にやってこそ、ニッポンは再び力を得るだろうし、
先進国として、文化発信国として、存在感を増すようになる。





→前回の記事に戻る
 「原因と結果は一体 ~If you build it, they will come.」




原因と結果は一体 ~If you build it, they will come.

8.06


2012年も明けて、はや2月。
プロ野球のキャンプが沖縄や宮崎で始まっている。
選手たちにとって、1月の自主トレーニングと2月のキャンプはとても大事な期間だ。
昨年、セ・リーグは中日ドラゴンズが大逆転で優勝を果たしたが、
優勝したときの有力選手たちの感想は、
「あれだけの厳しい練習をやってきた自分たちだから、優勝できなきゃおかしい。
優勝できて当然」といったようなものだった。
落合博満監督も「あの猛練習に報いるよう優勝させてやるのが自分の責務」と語っていた。

彼らの中では、2月のキャンプをやり切った時点で、すでに優勝が決まっていたのだ。
つまり、勝つ原因をつくるのと結果が同時であったということである。

* * * * *

ちょうどいま、私はある記事の執筆で「メタファー(比喩)」について書いている。
そこではメタファーの一例として仏教経典の1つである『法華経』を取り上げている。

『法華経(正式な中国語訳の名称:妙法蓮華経)』というネーミングはメタファーである。
法華経の原語は、古代インド語で
「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」=「白い蓮(ハス)の花のような正しい教え」。
私たちは京都や奈良のお寺に行って仏像をよく見ると、
それが蓮の上に座していることに気づく。
だが、なぜ仏教を象徴する植物が蓮なのだろう───?

蓮は泥水の中で育つが、泥に染まることなく、美しい白い花を咲かせる。
つまり、泥水は煩悩に満ちる現実の世界のことで、
その中に生きつつも仏性という花を咲かせていく人間の姿を蓮に込めたかったのだ。

加えてもう1つ大事な要素がある。
蓮という植物は「花果同時」という特徴を持つという。すなわち、
多くの植物が開花後、受粉プロセスを経て実を結ぶという時間差があるのに対し、
蓮は花が咲くのと同時にすでに実を付けている。
これは仏教が説く「因果倶時(いんがぐじ)」、「因果一如(いんがいちにょ)」とも言うが、
すなわち「原因と結果は一体で不可分のものである」というコンセプトに
蓮の花の性質は符号するのだ。

* * * * *

昨年の中日ドラゴンズのリーグ優勝は、2月時点ですでに決まっていた。
この見方が、仏教思想でいう「因果倶時」だ。
もちろん物理的には、4月からリーグ戦が実際に始まって10月に優勝が決まる。
この時間差について仏教は「因果異時(いんがいじ)」という対の概念を用意している。

こうした原因と結果を一体化してとらえる観念は、
東洋世界が生み出した優れた観念ではないかと思う。

道教(タオイズム)にも、
「道を求めたければ、師を求めるな。道を求めたとき、師はやって来る」といったような
言葉があったと記憶する。これもまさに、因果を一つのものとしてみている。

ケビン・コスナー主演の米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』での有名な言葉;

“If you build it, they will come.”
(それを造れば、彼らはやってくるだろう)

本質的には、それを造った時点で、彼らがやって来ることが決定しているのだ。
(現象面では時差が出るが)

さて、2月も第1週が過ぎようとしている。
2012年が実り多き1年になるかどうかは、
この2月の行動具合で決まってしまうととらえると、うかうかしてはいられない。
「どんな原因を仕込むか」と「どんな結果が得られるか」は一体なのだ。

そう、そして、もっと言えば、「一日即一生」
一日一日という原因の積み重なりによって、一生がどんな果実となるかは決まる。
一日のなかに、すでに、自分の行く末の姿はあるのだ。




【関連記事】
→「原因と結果は一体〈続〉~善行を積めば宝くじに当たるか!?」に続く

自分を超えていくところに新しい自分と出合う

8.05

Kanjiro1 京都・東山馬町「河井寛次郎記念館」にて


京都出張の折り、二人の陶芸家の記念館に足を運んだ。二人の陶芸家とは、河井寛次郎(1890-1966)と近藤悠三(1902-1985)。両人とも日本の陶芸界に多大な影響を与えた巨星である。

河井の著書『火の誓い』から言葉を抜き取ってみる。

・「焼けてかたまれ 火の願い」
・「もうもうと煙吐いてる 火の祈祷」
・「真白に溶けてる 火の祈念」
・「撫でてかためている 火の手」
・「焚いている人が 燃えている火」
・「祈らない 祈り 仕事は祈り」
・「何ものも清めて返す火の誓い」


これら短い詩文の中に散りばめられた“祈り”だとか “誓い” だとかいう語彙。これらの語彙が自身の内から湧出することは、なにも河井だけに限定されたことではない。

たとえサラリーマンであっても、自分の任された仕事と真剣に向き合い、それを自分なりに咀嚼し、天職(あるいは夢・志、使命といったもの)にまで昇華させていけば、誓いや祈りという語彙が心の奥底から湧き出してくる。逆に言うと、目の前の仕事を高いレベルで自分のものにし、そこに何らかの悟りをもった人であれば、上の言葉は深い味わいをもって読めることができるだろう。

私はかつて自著の中で、「真剣な仕事は“祈り”に通じる」「真によい仕事をしたときは、必然的に哲学的・宗教的な経験をしてしまうものだ」と書いた。こうした河井の言葉は、仕事と「祈り・誓い」の結び付きを明確に示してくれるもので、私にとっては一つの邂逅であり、心強く思ったものである。河井の言葉を続ける。

・「冬田おこす人 土見て 吾を見ず」

・「見られないものばかりだ―――見る
 されないものばかりだ―――する
 きめられたものはない―――決める」

・「自分で作っている自分
 自分で選んでいる自分」

・「この世は自分をさがしに来たところ
 この世は自分を見に来たところ
 どんな自分が見付かるか自分」

・「新しい自分が見たいのだ―――仕事する」

・「おどろいている自分に
 おどろいている自分」

・「何という大きな眼
 この景色入れている眼」

・「暮らしが仕事 仕事が暮らし」


なんとも滋味深い。このような言葉を無尽蔵に弾き出すのが河井の「いのち」である。たぶん、本人は「いのち」の迸(ほとばし)りの何千分の一、何万分の一しか言葉として残していないだろうから、タイムマシンに乗って、直に本人に接触できたとしたら、多分、その烈しい「いのち」に火傷を負わされることになるだろう。

仕事に冷めた人間はこうした言葉をみて、「仕事好きのワーカホリックはみんなこんな感じ」と読み流すかもしれない。最後に記した「暮らしが仕事 仕事が暮らし」なんていうのも、昨今のワークライフバランス観点からすれば「バツ」だろう。そうした見方でこれらの言葉を皮相的に排除することは、「仕事」というものを矮小化してとらえていることにほかならない。それはなんとも残念なことだ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

さて次に、近藤悠三の言葉である。

「ロクロやったら、ロクロが上手になる。上手になると良いロクロができにくい。
つまり字をうんと勉強してやり出すと、
決まった字になって味がぬけるということがありますねぇ。
ロクロでもうんとやり出したら、抹茶茶碗の場合ですけど、ようないし、困ってねぇ。
困らんでも、それをぬけてしもうたらいいんですけど・・・。

なんぞ、手でも指でも一本か二本悪くなるか、腕でも片方曲らんようになれば、
もっと味わいの深いもんができるかと思うし、しかし腕いためるわけにもゆかんので、
夜、まっくらがりで、大分やりましたねえ。そして面白いものできたようやったけど、
やっぱし、それはそれだけのものでしたね。

いちばんロクロがようでけた時は調子にのるし、無我夢中になると、
いつの間にか茶碗ぐらいでも三十ぐらい板に並んでいて、
寸法なんかあてずに作っていても、そろうとるんですな。
そしてあっと思ってるうちに三十ぐらいできてるんですな。
きちんと同じに揃っているものが―――。

あとから考えたことやけど、私の手の中に土が入ってきて、勝手にできる。
つまり土ができにきよる。わしが作るんと違う。
そういうようなことがずうっとありましたな。
四十から五十ぐらいの時かな。つまり修練ですねえ。
そうして、勝手にできたものが名品かというと、そうではない。
勝手にできるというところで満足してしまうと職人になってしまいますねえ」。



この一節は、作家の井上靖さんの著書『きれい寂び』の中の「近藤悠三氏のこと」という箇所で紹介されているものである。ここには彼の、(職人という境地を明確に超えて)芸術家であることの魂というか執念というか、剛毅な気骨を感じることができる。

修練や経験を重ねていって、知識的・技巧的に優れたものをアウトプットできるようになることはビジネスパーソンにとっても重要な成長だが、その段階で満足して留まってはいけない。仕事にはその先がまだまだある。個々のビジネスパーソンにとって“その先”とは、どんなものなのか。それを考え、挑戦する意志を持てば、仕事をまっとうするという過程に無限の広がりが出てくる。そうなるとまさに、ヒポクラテスの言った「人生は短く、技芸の道は長い」を痛感する。

私はサラリーパーソンに対し、芸術家、あるいは芸術家という生き方をもっとロールモデルとして取り込むべきだと考えている。

芸術家は、厳しく自分を超えていくところに、つかみたい表現と出合う。
厳しく自分を超えていくところに、新しい自分と出合う。


Kanjrotei2  「河井寛次郎記念館」2



Related Site

Link