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会社と「ヒト」

4.1.1



◆会社とはヒト・モノ・カネを投入して価値を生み出す装置である
1人の家具職人が、木を切り出してから1脚の椅子を作るのに丸3日かかる。しかし、その工程を5つに分け、5人の作業員で分業化すると1日に10脚の椅子が作れる。生産性が6倍上がった勘定である。そこで、資本家はカネを集め、生産設備と原材料(=モノ)を買い入れ、経営者と多くの作業員(=ヒト)を雇う。そして、効率的な分業体制の下、椅子の多量生産を始め、そこから多くの事業利益を目論む―――これが近代的企業の発足原理である。

会社とは、端的に言えば、ヒト・モノ・カネを効率的に用いて、より高い価値を生み出す装置である。会社にはそれぞれ、利益獲得なり社会貢献なりといった目的がある。そのとき、会社という装置に投入されるヒト・モノ・カネは、経営側の目的意思によって、さまざまに制限を受けるのが当然となる。したがって、働き手にとって、「(会社に)雇われる生き方」を選択することは、ある意味、自分自身の自由の一部を会社の目的に引き渡し、それを給料に換えることを容認したと考えなければならない。

よく若手従業員のなかに、「会社は自分のやりたいことをさせてくれない」とか「能力適性を無視した異動がなされて許せない」といった不満を口にする人がいる。しかし、この不満は的外れな部分がある。もちろんそうしたことを組織側に訴えていくことはやってよい。会社は事業目的を達成するためにある組織であって、従業員1人1人の(ときに感情的な)望みや好みをそれよりも優先させることはない。だから、会社の原理下で「雇われる生き方」を選択したあなたにとって大事なことは、会社の意思による配置のなかで、最大限に自分自身を生かすべく働こうという心構えなのだ。


◆経営トップがヒトに対して心熱があるかどうかは重要問題
会社選びというのは、ある種、“くじ引き”的なところがあって、実際に働き出してみないとその会社の実態や性格はわからない。もちろんあなたは採用試験の段階でいろいろな情報を集めたかもしれないが、入社後、会社がイメージどおりでなかったという場合が十分起こる。特にその会社が「ヒト」をどう扱っているかは、外部からは見えにくい。しかし、会社がヒトをどう扱っているかは、その会社で長く働き続けたいかと思わせるかどうかに大きく関わってくる問題である。ひょっとすると、会社がどんな商材を扱っているかよりも大きな問題かもしれない。

経営者と会社組織は、事業を行う上でヒトをさまざまにとらえる。一つには、ヒトを「資源」ととらえること。そこでは、ヒトは使い減ったり、適性がよくなかったりすれば取り替えればよいという考え方に立つ傾向が強くなる。経営者は多様なヒト資源をどう組み合わせて、いかに最大限の成果を出すかをひたすら考える。ここでは、ヒトは「人材」という発想になる。

また一つには、ヒトを「資本」ととらえることもできる。ヒトは長期にわたって価値を生み出すものであり、生産のための貴重な元手ととらえる。したがって、一人一人に能力を付けさせ、そのリターンをさまざまに期待する考え方をする。すなわち、「人財」の発想である。

会社は、強力な経済合理性の下に動いているために、利益を獲得しようとする熱心さはどこの会社・どの経営者も同じである。が、ヒトをどう扱うかは千差万別である。「儲けたい」は会社・経営者にとっての原理的な強い生存欲求から来ているのに対し、「ヒトを大切にする」は、個々の経営者の理念・哲学から来ているからである。ヒトを「材」とみなすか、それとも「財」として目をかけるか、雇われる側の人間にとっては極めて重要な事項である。

詰まるところ、社長の考え方が会社の考え方をつくる。社長が利益拡大(金儲け)しか考えない会社は、社員も給料稼ぎ以外のことを考えないギスギスした集団になる。そこでは、カネが最優先にされ、ヒトは脇に置かれる。社長がヒトを大事にする思想を持っていれば、ヒトを育てようとする組織になり、またヒト好きなヒトが社員として寄ってくる。そのように社長がある考え方・方針を掲げてそれを強く推し進めれば、その考え方・方針に共感できない人は去り、共感できる人は組織に残る。そうして組織はその考え方の色に染まっていくものである。


◆「雇われうる力」を持て
会社という生きた装置は、それ自体、善でも悪でもない。経営者の理念・思想によって、あるいは、会社が抱く事業目的によって、善くも悪くもなる。

経営者や会社が目指す善い目的に対し、働き手個人もそれに共感しながら働けることは幸せである。逆に、経営者や会社が抱く悪い目的(たとえば、従業員を過剰に搾取して利益獲得を追求し、経営者個人が私欲を満たすこと)に、従属しなければいけない働き手は不幸である。

昨今頻繁に話題に上がるいわゆる「ブラック企業」は、さまざまな形で存続するだろう。そんなときに雇われる側が持たなければならないのは、悪い会社であれば潔くそこを辞めて、他でも十分に「雇われうる力」(専門用語で“エンプロイアビリティ”という)である。あるいは、雇われない生き方(自営業や起業など)を志向することである。いずれにせよ、自分が職業人として、強く自立・自律することが、最大の攻めであり、守りとなる。






仕事の最大の報酬は「次の仕事機会」

5.2.1


大地は耕作者にさまざまなものを与える。
春には耕作する希望、そして耕作の技術。
夏には作物が育つ喜び。
秋には収穫物を食すること。
冬には安らかな休息。
そして、忘れてならないのは、―――果実の中に忍び入れられた“種”。
この種によって、耕作者は来年もまた耕作が可能になる。



* * * * *

仕事をしたとき、それがもたらす報酬とは何だろう? 「報酬」という言葉を辞書で調べると「労働に対する謝礼のお金や品物」と出てくる。確かに、報酬の第一義はカネやモノである。しかし、仕事が、それを成し遂げた者に対して与えてくれるのは、そうした目に見えるものだけとはかぎらない。
仕事を成し遂げることによって、私たちは能力も上がるし、充実感も得る。それと同時に、いろいろな人とのネットワークも広がる。そう考えると、仕事の報酬には目に見えないものもさまざまありそうだ。ここでは、仕事の報酬にどのようなものがあるか考えてみたい。

◆目に見える報酬
【1:金銭】
金銭的な報酬として、給料・ボーナスがある。会社によってはストックオプションという株の購入権利もあるだろう。働く者にとって、お金は生計を立てるために不可欠なものであり、報酬として最重要なもののひとつである。

【2:昇進/昇格・名誉】
仕事をうまくこなしていけば、組織の中ではそれ相応の職位や立場が与えられる。職位が上がれば、自動的に仕事の権限が増し、仕事の範囲や自由度が広がる。昇給もあるので結果的には金銭報酬にも反映される。また、きわだった仕事成果を出せば表彰されたり、名誉を与えられたりする。

【3:仕事そのもの(行為・成果物)】
モノづくりにせよ、サービスにせよ、自分がいま行っているその仕事の行為自体を報酬と考えることもできる。たとえばプロスポーツ選手の場合、その試合に選出されプレーできること自体がすでに報酬である。また、自分の趣味を仕事にして生計を立てられる人は、その仕事自体がすでに報酬となっている。
さらに、仕事でみずからが生み出した成果物は、かけがえのない報酬である。たとえば私はいま、この原稿を一行一行書いているが、この原稿がネットに上がって読まれたり、印刷されて一冊の本となったりすることは、とても張り合いのある報酬である。

【4:人脈・他からの信頼・他からの感謝】
ひとつの仕事を終えた後には、協力しあった社内外の人たちのネットワークができる。もし、自分がよい仕事をすれば、彼らからの信頼も厚くなる。こうした関係構築はその後の貴重な財産になる。
また、よい仕事は他から感謝される。お客様から発せられる「ありがとう」の言葉はなによりもうれしいものである。

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◆目に見えない報酬
さて、以上の報酬は、自分の外側にあって目に見えやすいものである。しかし、報酬には目に見えにくい、自分の内面に蓄積されるものもある。

【5:能力習得・成長感・自信】
仕事は「学習の場」でもある。ひとつの仕事を達成する過程で私たちは実に多くのことを学ぶ。仕事達成の後には能力を体得した自分ができあがる。また、仕事を完成させて自分を振り返ると「ああ、大人になったな」とか「一皮むけたな」といった精神的成長を感じることができる。その仕事が困難であればあるほど、充実感や自信も大きくなる。こうした気持ちに値段がつけられるわけではないが、自己の成長として大変貴重なものとなる。考えてみれば、会社とは、給料をもらいながらこうした能力と成長を身につけられるわけだから、実にありがたい場所なのである。

【6:安心感・深い休息・希望・思い出】
人はこの世で何もしていないと不安になる。人は、社会と何らかの形でつながり、帰属し、貢献をしたいと願うものである。米国の心理学者アブラハム・マズローが「社会的欲求」という言葉で表現したとおりである。人は仕事をすること自体で安心感を得ることができる。
また、仕事をやりきった後の休息は心地よいものである。そして、仕事は未来には希望を与え、過去には思い出を残してくれる。

【7:機会】
さて、仕事の報酬として6つを挙げたが、忘れてはならない報酬がもう1つある。
―――それは「次の仕事の機会」である。

次の仕事の機会という報酬は、上の2~6番めの報酬(つまり金銭を除く報酬)が組み合わさって生まれ出てくるものだ。機会は非常に大事である。なぜなら、次の仕事を得れば、またそこからさまざまな報酬が得られるからである。そしてまた、次の機会が得られる……。つまり、機会という報酬は、未来の自分をつくってくれる拡大再生産回路の“元手”あるいは“種”になるものである。「仕事」は、次の「仕事」を生み出す仕組みを本質的に内在している。
報酬としてのお金は生活維持のためには大事だ。しかし、金のみあっても能力や成長、人脈を“買う”ことはできないし、ましてや次の仕事機会を買うこともできない。そうした意味で、金は1回きりのものである。


◆「よい回路」と「わるい回路」
キャリア形成と年収において、「よい回路」に入っている人と、「わるい回路」に入っている人と2種類あるように思う。

「よい回路」に入っている人は、目の前の仕事(それがたとえつまらなそうな内容であっても)に自分なりの意義を付加し、そこから成長なり、人脈なり、信頼なりを獲得できるよう仕事にはたらきかけをし、仕事の掘り起こしをやり、仕事をやりきることを習慣にしている。言ってみれば、仕事を「よい仕事」につくり変えているのだ。そして周囲からの信頼を得、「よい仕事機会」(=チャレンジングなプロジェクト)を手にしていく。その「よい仕事機会」には、「よい仲間」も集まってくる。そうしてさまざまに自分を発展させていくのだ。あるとき気づいたら納得のいく年収が得られていた───これが「よい回路」だ。

ところが一方、現職を「給料が安いからダメだ」とか、「年収が上がる転職はないか」とか、そういった金銭的な単一尺度で、仕事や会社をみている人は「わるい回路」に陥る。年収の多寡を最優先に置く人ほど、仕事を労役と考え、足下の仕事をつくり変えたり、掘り起こしたりしようとはしない。ともかく給料はつらい労働の対価なんだから、せめていい金額をもらえないとやっていられないという心境で仕事に向かっている。だから、もっと割のいい金銭的報酬をくれるところはないかと、つねに目がをうろちょろさせる───これが「わるい回路」だ。

もちろん、不当に安い給料で我慢することはない。労働者の権利として正当な報酬は手にすべきである。ここで主張したいのは、キャリアの発展は金を追うことからは始まらないということだ。仕事そのものに手をかけ、周囲の信頼を得、そして機会をつくり出していくこと。志に満ちた仲間のなかに入っていくこと(あるいは引き寄せていくこと)。これこそが自分の仕事人生を膨らませ、充実したものにしていくための確実な道である。

最後に、仕事の報酬について、ジョシュア・ハルバースタム著『仕事と幸福そして人生について』から言葉を抜いておく。

○「お金はムチと同じで、人を“働かせる”ことならできるが、“働きたい”と思わせることはできない。仕事の内容そのものだけが、内なるやる気を呼び覚ます」。

○「迷路の中のネズミは、エサに至る道を見つけると、もう他の道を探そうとしなくなる。このネズミと同じようにただ(金銭的)報酬だけを求めて働いている人は、自分がしなければならないことだけをする。

○「創造性は、それ自体が報酬であり、それ自体が動機である」。





                       

働く動機の5段階~お金・承認・成長・共感・使命

1.5.2



◆「働く理由」として大事なもの3つを挙げよ
私がやっている研修プログラムのなかで『「働く理由」自問ワーク』というのがある。なぜ自分は働くのか、日々この仕事をやるのはどうしてか、をあらためて見つめる作業である。あまりにも単純で使い古された問いのように思えるが、日常の雑多な業務処理に追われる仕事現場では、この問いにじっくりと真正面から考える機会は少ないし、ましてや互いの「働く理由」について真面目に話し合う場もほとんどないように思える。

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実際、研修でこれをやってみると、各自がなにかずっと胸の奥底にくすぶらせていた固まりが一気に噴き出す感じで、皆が実に熱く語り出す。「人はパンのみに生きるのか?」という問いは、いまもって大きく深いテーマなのだ。

このワークに用いる自問シートは次のようになっている。まず左側に働く理由の選択候補をいくつか挙げてある。たとえば、

□ この仕事を行うことによって、生計が立てられるから
□ この仕事を行うことによって、裕福になり、財を成したいから
□ この仕事を行うことによって、自分は尊敬されたり、頼りにされたりするから
□ この仕事を行うことによって、成功し、有名になりたいから
□ この仕事を行うこと自体が楽しいから
□ この仕事を行うことによって、自分を成長させることができるから
□ この仕事は、家族に誇れたり、家族が応援してくれているものであるから¥@r
□ この仕事を行うことによって、さまざまな人との出会いが生まれるから
□ この仕事を行うことによって、社会に影響を与えることができるから
□ この仕事を通じて、自分の生き方を表明したいから
□ この仕事を通じて、世の中に残したい何かがあるから
□ その他(              )



これらの理由リストのなかで当てはまるものにチェックを付けていき、それぞれの理由の大事さについて1~5の数値で重み付けをしていく。そして最後に、最も大事だと思う理由の上位3つを順に自分の言葉で書き出す。

1■この仕事(働くこと)は、〈          〉ために大事である。
2■この仕事(働くこと)は、〈          〉ために大事である。
3■この仕事(働くこと)は、〈          〉ために大事である。



さて、働く理由としてこの上位3つに入るものにどんなものがあるだろうか。私がさまざまな研修現場できいてみると、まずもって「生計を立てるため」、そして「自己を成長させていくため」「いろいろな人と出会うため」などが上位の常連となる。すなわち、「お金」「成長」「人とのつながり」が働くことの大事な理由として感じられているようだ。

ではもっと限定して、受講者が働く理由のトップ1に挙げるものは何なのか。これは実施する研修の対象企業、受講者の年次によって多少差が出るが、おおよそ、「お金」を挙げる人が50%、そして「非お金」(=成長や出会いや志の実現など)を挙げる人が50%となっている。働く理由のトップ1に「非お金」を挙げる人は、実は少なからずいるのだ。

私が実施するのはほとんどが企業内研修なので、受講者は同じ会社の同じ年次の集まりになる。しかし、働く理由のトップ1については、「お金」と「非お金」の真っ二つに割れるところが面白い。もとより、働く理由のトップ1に「お金」を挙げるのが低次であるとか、「非お金」を挙げるから高尚であるという話ではない。お金は大事であるし、不当に安い給料で満足するものでもない。今の時代、経済難はさまざまな形で自分に起こってくるものだから、お金を第一に考えるのは当然のことだ。

ただ研修で受講者とのやりとりを観察していると、トップ1に「お金」を挙げる人の一部には、「しょせん、仕事は生きていくために我慢してやるもの」といった労役感や、「もっと買いたいものがあるのに、いまの年収じゃ足りないよね」といった物欲ベースの不足感が見え隠れするところもある。その一方で、トップ1に「非お金」を挙げる人の多くは、今の仕事に何かしらのやりがいを見出していて、そこにおおかたの意識が向かっている様子である。没頭できる仕事テーマがあり、そこに没頭した結果、振り返ると月末に給料が振り込まれていた、そんな感じの仕事生活になっている。


◆「お金を得ることは働く目的か?」にどう答えるか
生きていくうえで、もちろんお金は大事である。だがそのとき、お金を得ることを働く目的に据えるのか、それとも、目的は他にあってお金は手段もしくは結果的に得られればよいものなのか、この両者の意識の差は、実は大きい。

そこで私はさらに下の問いを受講者に投げかけ、討論してもらう。

【問い】
あなたにとって、お金を得ることは働く目的か?
あなたの担当事業(あるいは会社)にとって、利益獲得は事業の目的か?



もちろんこの問いに対する唯一無二の正解はない。働くことは算数の世界ではなく、芸術(アート)の世界に近いともいえる。だからその人なりの意味や価値の尺度が当然ある。実際、研修ではさまざまな意見が飛び交う。その多様な尺度による考え方を共有することで、受講者は自分の考え方の偏り具合や熱い/冷たいを相対的に知る。そして互いに刺激しあうなかで、自分の考えを強める人は強め、修正する人は修正し、冷めていた人は少し熱くなる。そうして意味や価値をはかる尺度もできてくるのだ。私が請け負うキャリア形成に関するマインド醸成研修は、こうした「ピア・ラーニング」(仲間相互による学び合い)こそが一番有益なものになる。

さて研修では、各グループでのディスカッション内容を発表してもらった後、私のほうからもある種の考え方を提示する。

まず1つめ。ピーター・ドラッカーは次のように言う。

「事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。この答えは間違いだけではない。的外れである。利益が重要でないということではない。利益は企業や事業の目的ではなく、条件である」。
───『現代の経営』より



ドラッカーは、企業や事業の真の目的は社会貢献であると他の箇所で述べている。その真の目的を成すための「条件」として利益が必要だと、ここで言及しているのである。

金(カネ)は経済の世界では言ってみれば血液のようなものである。人間の体は、血液が常に良好に流れてこそ健康を維持でき、さまざまな活動が可能になる。血の流れが止まれば、人体は死を迎える。それと同じように、経済活動の血である金の流れが止まれば、その経済活動や事業体は死に直面する。ただ、だからといって、血のために私たち人間は生きるのだろうか? 「血をつくるために、日夜がんばって生きています!」という生き方はどこかヘンだ。やはり人間の活動として大事なことは、その身体を使って何を成すかである。血は、肉体を維持するための条件であって、目的にはならない。そう考えると、利益追求が企業にとっての目的ではなく、条件であるとするドラッカーの指摘は説得力がある。
私たち職業人の一人一人の生活にあっても、金を得ることは、目的というより、自分が仕事をするために必要な基礎条件である───これが1つのとらえ方である。


◆お金は結果的に生まれる「恵み」である
次はこの2人の言葉である。

「本質的には利益というものは企業の使命達成に対する報酬としてこれをみなくてはならない」。───松下幸之助『実践経営哲学』

「徳は本なり、財は末なり」。「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」。───渋沢栄一『論語と算盤』



松下幸之助は、事業家・産業人として『水道哲学』というものを強く心に抱いていた。それは、蛇口をひねれば安価な水が豊富に出てくるように、世の中に良質で安価な物資・製品を潤沢に送り出したいという想いである。松下にとって事業の主目的は、物資を通して人びとの暮らしを豊かにさせることであり、副次的な目的は雇用の創出だった。そして、そうした目的(松下は“使命”と言っているが)を果たした結果、残ったものが利益であり、それを報酬としていただくという考え方だった。

一方、明治・大正期の事業家で日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、財は末に来るもの、あるいは糟粕のようなものであると言った。仁義道徳に基づく行為こそが目的であり、その過程における努力が大事であって、そこからもたらされる財には固執するな、無頓着なくらいでよろしいというのが、渋沢の思想である。渋沢は、第一国立銀行のほか、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、そして一橋大学や日本赤十字社などに至るまで、多種多様の企業・学校・団体の設立に関わった。その活躍ぶりからすれば、「渋沢財閥」をつくり巨万の富を得ることもできたのだろうが、「私利を追わず公益を図る」という信念のもと、蓄財には生涯興味を持たなかった。いずれにせよ、お金・利益を「結果的に生まれる恵み」とするのも一つのとらえ方である。


◆「建物と地盤」
私もこれら3人が指摘したように、「条件」あるいは「結果的な恵み」としてのお金・利益を強く意識している。その解釈イメージを促すために、私は受講者に「建物と地盤」のメタファーを提示する。すなわち、自分たちが働く目的はあくまで何かの建物をこしらえて、さまざまな人に使ってもらうことである。だが、その建物は地盤がしっかりしていないと建たない。お金を得ること、利益を獲得することは、言ってみれば地盤づくりに当たる。
もしその建物が多くの人に利用してもらい役に立てば、その結果の恵みとして、お金が得られることになる。その利益でさらに地盤を固め、土地を大きくしていけば、さらに複雑で大きな建物が建てられる。自己の能力を証明し、人に役立っていくのはあくまで建物を通じてであり、どんなものを建造していくかこそが働く目的となる。地盤づくり自体は目的にはならない(なったとしても、副次的な目的に留まる)。

私は、仕事とは突き詰めれば、能力と想いを掛け合わせて行う「表現活動」だと考えている。お金や利益はその「表現活動」を可能にしたり、発展させたりする機能として効いてくるものだ。だから、お金は血液であり、地盤であるのだ。


◆働く動機の5段階
さて、働く理由・目的についてさらに考察を深めたい。私は、自律的に働くことの意識醸成を目的とした研修をやってきて、さまざまな観察や分析から「働く動機」を5段階に整理している。それを表したのが下図である。

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[段階Ⅰ]金銭的動機
動機の一番土台にくるのが「金銭的」動機である。そこには「生きていかねばという自分」がいて、誰しも懸命に働こうとするのである。金銭を動機として働くことが必ずしも卑しいということではない。「食っていくためにはお金がいる。だからきちんと働いてお金を得、生活を立てていこう」とする姿はむしろ尊い。金銭的動機は、個人を労働に向かわせ、社会の規律や秩序を守るための土台として機能する大事なものだ。ただ、金銭的動機は、「外発的」であり、「利己的」である。

[段階Ⅱ]承認的動機
誰しも他から自分の能力や存在を認められたいと願う。そこにはたらくのが「承認的」動機である。仕事でうれしかったことをアンケートすると、「上司から褒められた/難しい仕事を任された」「お客様からありがとうを言われた」「ネットに発表した記事が多くに読まれた」など、承認・評価にかかわることが多く出てくる。ソーシャルメディア『フェースブック』の「いいね!」ボタンも、いわばこの承認的動機を刺激するものの一つである。ただし、この動機もどちらかというと「外発的」「利己的」の部類である。

[段階Ⅲ]成長的動機
仕事をやるほどに自分の能力が伸びていく、深まっていく、となればもっとその仕事をやってみたくなる。それはその仕事が「成長的」動機を喚起しているからだ。この場合、仕事そのもののなかに動機を見出しているので、「内発的動機」となる。だが、いまだ「利己的」ではある。

[段階Ⅳ]共感的動機
仕事や働くことは、一人では完結しない。何かしら他者や社会とつながりを持つものである。Ⅱ段階目の「承認」より、もっと相互に、積極的に、質的に他者と結びつくことで、やる気が起こってくるのが「共感的」動機である。
自分のやっていることが他者と共感できる、他者に影響を与えることができる、社会に共鳴の渦をつくることができる、そうした手応えは強力な力を内面から湧き起こす。この段階から「利他的」な動機へと変容してくる。

[段階Ⅴ]使命的動機
自分が見出した「おおいなる意味」を満たすために、文字通り、“命を使って”まで没頭したい何かがあるとき、それは「使命的」動機を抱いている状態であるといえる。夢や志、究めたい道、社会的な意義をもったライフワークなどに一途に向かっている人はこの段階にある。

ちなみに、これら5つの動機を性格づける「外発的/内発的」「利己的/利他的」という二元的な分類について、内発的だから優れ/外発的は劣るとか、利己的はダメで/利他的はよい、ということではない。これらは本来、優劣や善悪で差別するものではない。「内発的」と「利他的」の掛け合わせである使命的動機が段階Ⅴとして一番上に置かれているのは、その動機を抱くことが最も難しいからである。動機を抱く難度が階段の高さを示していると考えてほしい。逆に言えば、金銭的動機(段階Ⅰ)は生存欲求からの動機で、最も容易に起こることから一番下に来ているのだ。


◆動機を重層的に持つこと
ここから最後の重要な点に入っていく。5つの動機自体には、優劣がつけられないものの、「動機の持ち方」としては、望ましい持ち方と望ましくない持ち方がある。

動機の持ち方として望ましいのは、これら5段階ある動機を重層的に持つことである。動機を重層的に持っていれば、仮に一つの動機が失われても、他の動機がカバーしてくれることとなり、働く意欲は持続される。また、動機どうしが相互に影響し合い、統合的に動機が深まりを増すことも起こるからだ。

お金を儲けたいという動機は抱いてもいっこうにかまわない。ただその動機の層だけにどっぷり浸かって、過度に利己的にやるとすれば、いずれ問題を引き起こすことになるだろう。また、この段階Ⅰの動機だけに終始して働くことは、先も述べたように、「地盤づくり」だけをやって、結局は「建物」を生涯建てなかったことに等しい。自分の仕事人生を振り返って、何の建造物もこしらえず、世の中に何の貢献も機能も果たさなかったというのは、どこかさみしくはないだろうか。

だから、お金を儲けたいという動機と同時に、他の動機も重層的に持つことだ。そうすることで、手にするお金は真に生かされるし、また複合的に湧いてくるエネルギーで長く強く働くことができる。段階Ⅱ以降の動機こそ、「建物」を立てようという意志を内面に湧き起こさせるものである。つまり───

動機Ⅱ)何か自分なりの「建物」を建てて人に知ってもらいたい
動機Ⅲ)その「建物」をつくることはいろいろな知識・技術が身について楽しい
動機Ⅳ)その「建物」に共感してもらえる人びととつながることでワクワクする
動機Ⅴ)その「建物」が多くの人に役立ってうれしい

これを読んでいる人のなかには、「ともかく自分は正社員の職を得て、生活をやりくりしていくのに精一杯だ。夢や志を描くなど程遠い」と漏らす状況があるかもしれない。しかし、志を立てるのに何のコストがかかるというのだろう。想い描くことは、誰でも、いま、この場で、タダでできることなのだ。想い描くことをしないかぎり、「食うためだけの仕事」という重力圏から抜け出せない。
ウォルト・ディズニーはこう言った───「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」。キング牧師は「アイ・ハブ・ア・ドリーム」と叫んだ。「心構えした者に、チャンスは微笑む」とパスツールは残した。このように偉人・賢人たちは一様に想い描くことの重要性を説いてきた。


◆使命的動機の「シャワー効果」
もちろん私は、働く動機を重層的に持つための内省ワークを研修のなかでやる。そのときに方向は2つある。

1つは動機の段階を上げていく方向。つまり動機難度の低いほうから高いほうへと内省を促していくやり方だ。たとえば、「その仕事によってどんな成長が得られますか? あるいは、現状の仕事をどんなふうに変えていけば、自分の成長が起こるようになりますか?」といった段階Ⅲの動機を喚起させる問いを投げる。次に、「その仕事を通じてどんな人たちとつながることができるのでしょう?」や「あなたは一職業人として何の価値を世の中に提供する存在ですか?」といった具合に段階Ⅳ、段階Ⅴの問いに上げていく。こうした自問を通して、自分の担当仕事に「非お金」的な動機を重層的に持たせていくわけである。

もう1つの方向は、いきなり段階Ⅴの動機を見つめさせるやり方である。これは具体的には、段階Ⅴの使命的動機に生きた特定の人物をロールモデルとして取り上げ、「おおいなる意味」のもとに仕事を成し遂げる人間がいかに自己を強く開いていけるかを学び取るものである。考察していけばわかるのだが、ひとたび使命的なテーマを見出し、そこに没入していくとどうなるか───

・そのテーマに共鳴する同志との出会いが生まれ深いつながりができる。
 (→動機Ⅳが喚起され、満たされる)
・そのテーマを成し遂げるための能力発揮・能力習得・能力再編成が起こる。
 (→動機Ⅲが喚起され、満たされる)
・そのテーマの仕事がやがて人びとの耳目を集め出す。
 (→動機Ⅱが喚起され、満たされる)
・気がつくと必要なお金が得られていた。あるいは回り出していた。
 (→動機Ⅰが満たされる)


そう、つまり、段階Ⅴの動機をしっかり抱いて懸命に動けば、他の動機は自然と上から順に喚起され、満たされるのだ。私はこれを、使命的動機の「シャワー効果」と呼んでいる。

とはいえ、20代にせよ、40代にせよ、私の主要顧客であるサラリーパーソンに「夢を描け、志を立てよ」といっても敬遠されるばかりである。たいていの大人は、「いまさらプロサッカー選手や宇宙飛行士になれるわけでもないさ」と心のなかで苦笑いをする。だから私は、彼らのなかにある夢や志の概念を変えさせなければだめだと思っている。
限られた少数の人間しか成しえない壮大で特別なことをやるのが夢や志ではない。みずからの本分で、何か世の中に役立っていこうと自分なりの目標を決める。あるいは一つの道に肚を据える。そしてその成就に向かって自己を開き、越えていこうと持続的に挑戦をする。あるいは、道から逃げないで一歩一歩進む。そのプロセスこそが、すでに夢や志に生きている状態なのだ。

さて最後に。「人はパンのみに生きるのか?」という問いに対し、私はこう答えるようにしている。───

「人は志にこそ生きる。
おおいにもがくことになるが、そこでパンを食いそびれることはない」。





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