メイン | 2013年10月 »

孤の時間を持て

3.7.2


「我々が一人でいる時というのは、
我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。
或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いて来ないものであって、
芸術は創造するために、
文筆家は考えを練るために、
音楽家は作曲するために、
そして聖職者は祈るために一人にならなければならない」。

                            ―――アン・モロウ・リンドバーク『海からの贈物』



多くの現代人が「孤の時間」を無くしている。ここで言う「孤の時間」とは、自分一人になって何かを思索する時間である。

特に若い時ほど孤独な時間を怖がる。あるいは、孤独に考えることを何か陰にこもったカッコ悪いこととしてとらえがちである。しかし、孤の時間を持ち、自分の内面を耕したり、夢想にふけったりすることは、豊かな人生のためにはなくてはならないものだ。ゲーテは言っている───「内面のものを熱望する者は、すでに偉大で富んでいる」と。

歴史上のあらゆる偉業や名作は、たとえそれが複数の人間の手で成されたものであっても、根本は、一人の人間の「孤の時間」の中で芽生え、醸成され、決断されたものである。

「孤の時間」を持つために、私は2つのことを勧めている。一つは散歩すること。もう一つは、夜寝る前の30分間はテレビを消し、スマホを閉じて、古典とか偉人伝とか大きな器の本を読むこと。
思索といっても、眉をひそめながら何かを考え込むことでなくていい。想いや願い、アイデアを自由に伸び伸びと巡らせることだ。何か答えを見つけようとするのではなく、自分の空想が広がっている、思考が深まっていることを楽しむことである。


<Keep In Mind>
寝る前の30分間はテレビを消そう、スマホを閉じよう



孤独は孤立を意味しない

3.7.1



福沢諭吉の『学問のすすめ』は、実際読んでみると、学ぶことのすすめというより、「独立の精神をもった人間になることのすすめ」と言ったほうがいいくらいのものである。福澤は日本民族の群れ意識の欠点を嫌というほどに感じていた。その民族意識はいまも変わらない。日本人は、古来ずっと「個として立つ」ことを苦手としてきている。

平成のビジネス社会にあって、「個として強くなる」とは具体的にどういうことか―――例えば、私は次のように考える。

□(会社名・役職を取り外し)一職業人として、自分が何者であるかを語ることができる

□日々に出くわすさまざまな情報・状況に対し、
「自分はこう思う・自分はこうする」と押し出すことができる。
それにつき他と論議ができる。そして建設的に持論を修正できる

□そこに付いている権威に影響されず、中身を評価できる

□どのように振られた仕事であっても、
それを「自分の仕事」に変換して、主体的に実行できる。
なぜその方法・選択肢を選んだのかを説明できる

□職場が何か行き詰まった状態にあるときに、局面を打開できる発言・行動ができる

□仮にいま、自分の会社がなくなったとしても、
同じ職種・立場・条件で他に雇われることができる。もしくはその分野で独立できる

□自身の信念のもとにリスクを負うことを厭わない

□反骨心や負けじ魂が強い

□我を狭く閉じて突っ張るのではなく、我を突き抜けたところで全体性を感じている

□他者に語ることのできる大きな仕事テーマをもっている

□一人でいる時間を設け、大事に使っている

□独自性追求の心を失わない
 (そして独自性を追求している他者を尊敬できる)

□独自であるがゆえの孤独を知っている。そしてそのために、真の友・同志を持つ



◆孤独は孤立を意味しない

Only is not lonely.


「Only is not lonely.」とは、糸井重里さんが主宰するウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の表紙ページに掲げられているコピーである。

「オンリー(独自・唯一)であることは、必ずしもロンリー(孤独)ではない」―――このメッセージには、噛みしめるほどに味わい深いものがある。糸井さんはこう書いている。

「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。 (中略)

「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。

            ―――糸井重里「ダーリンコラム」(2000-11-06)より


個性のない人びとが群れ合って、尖ろうともせず出るクイになろうともしない。あるいは、尖がった個性や出るクイを批評し、つぶす。そんなことが組織や社会では往々にして起こる。しかし同時に、「オンリーな人」たちが、深いところでつながって互いを理解し合い、協力し合うということもまた起こっている。

逆説的だが、オンリーな存在として一人光を放てば放つほど、真の友人や同志ネットワークを得ることができる。独自性を追求する人の孤独は、決して孤立を意味しないのだ。

能力的な伸長・習熟のみが職業人の成長ではない。一個のプロフェッショナルとして屹立しているか―――これも見逃してはいけない内省の観点である。



【すべてのビジネスパーソンへの問い】
    □「個として強くなる」という意識を抱いているだろうか?
    □具体的にどうなることが「個として強くなる」ことだろうか?
    □自分を貫き、独自性を高めていくことで孤独を感じたことはあるか?
    □孤独を突き抜けたところで、同様の孤独を感じ持っているタレントと出会ったことがあるか?

【経営者・上司・人事の方々への問い】
    □人財育成において「一個の職業人として強くさせる」という観点を持っているか?
    □「個として強い」人財を、異端児として問題児扱いしていないだろうか?
    □経営者や上司はある種の孤独を感じている人間であるが、
    その次元から、組織内にいる孤独者の琴線に触れるようなメッセージを発しているだろうか?




この世界は無数の「仕事」による壮大な織物である

1.2.3


「私が人より遠くを眺められたとすれば、それは巨人の肩に乗ったからである」。
                                                            ───アイザック・ニュートン




◆壮大に連鎖する「IN→THRU→OUT」の価値創造
さて、前記事『仕事とは「IN→THRU→OUT」の価値創造である(1.2.2)』では、一個の人間が行う一つの仕事(=価値創造)の様子を考えた。しかし、仕事はそれ単独で成されるわけではない。自分が行う仕事はさまざまな他者が行った仕事を取り込んで成されるものである。

同時に、自分が出した成果は、今度は他者が仕事を行うときのINPUTになる。例えば、私のOUTPUTであるこの原稿を読んだ人が、それを思考のヒントや企画の材料としてINPUTし、何かの仕事を成すときがあるように。そんな連鎖を表したのが下図である。

123input03


私たちは意識するしないにかかわらず、他者のOUTPUTが自分のINPUTとなり、また自分のOUTPUTが他者のINPUTとなっている。この連鎖のイメージを巨視的に発展させていくと下図のようになる。

123input04


この世界は、無数の個々が無限様に成す
「IN→THRU→OUT」の価値創造連鎖による壮大な織りものである。

―――こう考えたとき、この壮大な織りものをつくる一本一本の経(たていと)・緯(よこいと)はまさしく私たち一人一人が成す一つ一つの仕事にほかならない。

何か良書に触れてその一文を企画書に盛り込む。そしてそれを読んだチームが建設的なアイデアにたどり着き、それを実行する。そんな日頃の些細な「正の価値創造連鎖」がこの世界を織り成しているのだ。

同時に、メディアに流れる悲観的な分析・冷笑的な意見に影響され、自分もまた悲観・冷笑的な発言を周囲にしてしまう。すると周囲も悲観・冷笑的な気分になる。そんな日頃の些細な「負の価値創造連鎖」がこの世界を織り上げているのだ。

「この世の中は自分一人が変えるには大き過ぎる」と誰しも思う。しかし、この世の中は、結局のところ、一人の人間の些細な「IN→THRU→OUT」の価値創造によってつくられている。これは厳然たる事実として認識してよいものだ。

◆「よい仕事」の思想~仕事の中の祈り
西岡常一さんは1300年ぶりといわれる法隆寺の昭和の大修理を取り仕切った宮大工の棟梁である。彼は言う―――

「五重塔の軒を見られたらわかりますけど、
きちんと天に向かって一直線になっていますのや。
千三百年たってもその姿に乱れがないんです。
おんぼろになって建っているというんやないんですからな。

しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。
塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、
鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。
これが檜の命の長さです。

こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。
千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。

・・・生きてきただけの耐用年数に木を生かして使うというのは、
自然に対する人間の当然の義務でっせ」。 

                                    ───『木のいのち木のこころ 天』より



また、もう一人、染織作家で人間国宝の志村ふくみさんがいる。淡いピンクの桜色を布地に染めたいときに、桜の木の皮をはいで樹液を採るのだが、春の時期のいよいよ花を咲かせようとするタイミングの桜の木でないと、あのピンク色は出ないのだと彼女は言う。秋のころの桜の木ではダメらしい。

「その植物のもっている生命の、まあいいましたら出自、生まれてくるところですね。
桜の花ですとやはり花の咲く前に、花びらにいく色を木が蓄えてもっていた、
その時期に切って染めれば色が出る。

……結局、花へいくいのちを私がいただいている、
であったら裂(きれ)の中に花と同じようなものが咲かなければ、
いただいたということのあかしが、、、。

自然の恵みをだれがいただくかといえば、ほんとうは花が咲くのが自然なのに、
私がいただくんだから、やはり私の中で裂の中で桜が咲いてほしい
っていうような気持ちが、しぜんに湧いてきたんですね」。 

                                            ───梅原猛対談集『芸術の世界 上』より



◆いかなる仕事も自分一人ではできない
仕事という価値創造活動の入り口と出口には、これまでみてきたように、INPUTとOUTPUTがある。ものづくりの場合であれば、必ず、入り口には原材料となるモノがくる。そして、その原材料が植物や動物など生きものであれば、その生命をもらわなければならない。―――古い言葉で「殺生」だ。

そのときに、OUTPUTとして生み出すモノはどういうものでなくてはならないか、そこにある種の痛みや祈り、感謝の念を抱いて仕事に取り組む人の姿をこのお二人を通して感じることができる。毎日の自分の仕事のINPUTは、決して自分一人で得られるものではなく、他からのいろいろな貢献、努力、秩序、生命によって供給されている。

123input05


そんなことを思い含んでいけば、自分が生きること、そして、自分が働くことで何かを生み出す場合、他への恩返し、ありがとうの気持ちが自然と湧いてくる(日本人は「針供養」という道具にまで情をかける精神を持っている)。そして「正の価値」を創造することでそれらに報いたいと思う。私はこれこそが「よい仕事」の原点だと思う。

昨今のビジネス社会では、物事をうまくつくる、はやくつくる、儲かるようにつくることが、何かと尊ばれるが、これらは「よい仕事」というよりも「長けた仕事」というべきものだ。私は「長けた仕事」が悪いというつもりはない。言いたいのは、私たちは今一度、「よい仕事」についてもっと振り返る必要があるということだ。

「よい仕事」とは、真摯でまっとうな倫理観、礼節、道徳、ヒューマニズムに根ざした仕事をいう。功利、効率、勝敗、序列は「長けた仕事」に属するものだ。「よい仕事」が一つ一つ連鎖することで、着実に、この世界は壮麗な織りものとして生成していく。私たち一人一人がきょう行う「IN→THRU→OUT」の価値創造はその一糸としてとても大事なことだと腹に据えたい。



Related Site

Link