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2008年3月21日 (金)

私の「シュヴァルの理想宮」プロジェクト

フランス南部の片田舎村オートリーヴに

1867年から29年間、この地域の郵便配達員をした

フェルディナン・シュヴァルという男がいました。

彼の仕事は、来る日も来る日も、16km離れた郵便局まで徒歩で行き、

村の住人宛ての郵便物を受け取って、配達をすることでした。

毎日、往復32kmを歩き続けたその13年め、

彼は、ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずきます。


そして、その日以降、

配達の途中で変わった石に目をつけ、

仕事が終わると石を拾いにゆき、

自宅の庭先に積み上げるという行為を続けます。

彼は結局、33年間、ひたすら石を積み続け、

独特の形をした建造物(宮殿)をこしらえて、この世を去った。

――――それが、「シュヴァルの理想宮」の話です。



詳細の話は、

『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』(岡谷公二著・作品社)をご覧下さい。

ネット検索をかけてもいろいろ情報が取れると思います。

私は、この話を知ったとき、

「塵も積もれば山となる」という言葉を超えて、

シュヴァルの「愚直力」に大きな感銘を受けました。

また、

そんなものは単なるパラノイア(偏執病)男の仕業さ、

というような分析もありますが、たとえそうだったとしても、

没頭できるライフワークを見つけたシュヴァルは

間違いなく幸福者だったと思います。

冷めた他人がどうこう評価する問題ではありません。

私は、33歳のときに

「人の向上意欲を刺激する仕事をしたい」と想い、

ビジネス出版社から、教育出版社に転職をしました。

その後、30代半ばには、

「世の中にない教育サービスを打ち立てたい」と想いが明確になり、

40歳では、教育の中でも、

「働くとは何か?の翻訳家になる」をテーマとして起業したいと決意し、

自営業を開始しました。

この「職・仕事を思索するためのブログ」は、

まさに私のライフワークテーマに沿った個人プロジェクトです。

日々、書き積み上げていく1本1本のエントリー(記事)は、

シュヴァルが家に持ち帰った石の1つ1つです。

1年後や5年後、そして10年後、

このブログが、どんな形の建造物になるか、今はまだ予想がつきませんが、

将来のある時点で、

「よくぞこんなものをこしらえたものだ」と

シュヴァルが自分の宮殿を見つめるがごとく、

私もこのブログを振り返ることになるでしょう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

造物とは不思議なもので、

それは自分の頭や手から生まれ出されるわけですが、

その実、それが最終的にどう出来上がるかは、自分でもわからない。

いみじくも、かのパブロ・ピカソが言った

「着想は単なる出発点にすぎない・・・着想を、

それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。

仕事にとりかかるや否や、

別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ・・・

描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。

     ――――『語るピカソ』(ブラッサイ著:みすず書房)


は、このことをいうのでしょう。


未知なる自分の創造物との出合い―――――

それは創造的な仕事をする人が受け取ることのできる

最大の喜びです。


「働くとは何か?」「職・仕事とは何か?」について、

自分はどう考え、どう行動に出すか――――それをわかるために、

まず私は、このブログ発信という形で考え、行動に出すことから

始めたいと思います。




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