私の「シュヴァルの理想宮」プロジェクト
フランス南部の片田舎村オートリーヴに
1867年から29年間、この地域の郵便配達員をした
フェルディナン・シュヴァルという男がいました。
彼の仕事は、来る日も来る日も、16km離れた郵便局まで徒歩で行き、
村の住人宛ての郵便物を受け取って、配達をすることでした。
毎日、往復32kmを歩き続けたその13年め、
彼は、ソロバン玉が重なったような奇妙な形をした石につまずきます。
そして、その日以降、
配達の途中で変わった石に目をつけ、
仕事が終わると石を拾いにゆき、
自宅の庭先に積み上げるという行為を続けます。
彼は結局、33年間、ひたすら石を積み続け、
独特の形をした建造物(宮殿)をこしらえて、この世を去った。
――――それが、「シュヴァルの理想宮」の話です。
*詳細の話は、
『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』(岡谷公二著・作品社)をご覧下さい。
ネット検索をかけてもいろいろ情報が取れると思います。
私は、この話を知ったとき、
「塵も積もれば山となる」という言葉を超えて、
シュヴァルの「愚直力」に大きな感銘を受けました。
また、
そんなものは単なるパラノイア(偏執病)男の仕業さ、
というような分析もありますが、たとえそうだったとしても、
没頭できるライフワークを見つけたシュヴァルは
間違いなく幸福者だったと思います。
冷めた他人がどうこう評価する問題ではありません。
私は、33歳のときに
「人の向上意欲を刺激する仕事をしたい」と想い、
ビジネス出版社から、教育出版社に転職をしました。
その後、30代半ばには、
「世の中にない教育サービスを打ち立てたい」と想いが明確になり、
40歳では、教育の中でも、
「働くとは何か?の翻訳家になる」をテーマとして起業したいと決意し、
自営業を開始しました。
この「職・仕事を思索するためのブログ」は、
まさに私のライフワークテーマに沿った個人プロジェクトです。
日々、書き積み上げていく1本1本のエントリー(記事)は、
シュヴァルが家に持ち帰った石の1つ1つです。
1年後や5年後、そして10年後、
このブログが、どんな形の建造物になるか、今はまだ予想がつきませんが、
将来のある時点で、
「よくぞこんなものをこしらえたものだ」と
シュヴァルが自分の宮殿を見つめるがごとく、
私もこのブログを振り返ることになるでしょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
造物とは不思議なもので、
それは自分の頭や手から生まれ出されるわけですが、
その実、それが最終的にどう出来上がるかは、自分でもわからない。
いみじくも、かのパブロ・ピカソが言った
「着想は単なる出発点にすぎない・・・着想を、
それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、
別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ・・・
描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。
――――『語るピカソ』(ブラッサイ著:みすず書房)
は、このことをいうのでしょう。
未知なる自分の創造物との出合い―――――
それは創造的な仕事をする人が受け取ることのできる
最大の喜びです。
「働くとは何か?」「職・仕事とは何か?」について、
自分はどう考え、どう行動に出すか――――それをわかるために、
まず私は、このブログ発信という形で考え、行動に出すことから
始めたいと思います。