『アクティブ・ノンアクション』:不毛な忙しさ
このブログでも以前に紹介した本
『リーダーシップの旅 見えないものを見る』
(野田智義・金井壽宏著、 光文社新書)の中で、
気になる言葉を見つけました。
それは、『アクティブ・ノンアクション』(active non-action)です。
行動的な不行動、不毛な忙しさ、
多忙ではあるが目的を伴う意識的行動をとっていないこと、
の意味を含んでいます。
このコンセプトは、もともとは、
哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカが言及した『busy idleness』
(あくせくしながらも結果として何もしないこと:怠惰な多忙)
を起点にしているのだそうです。
セネカが約2000年前の人物だということを考えると、
人類の“不毛な忙しさ”問題は、古今東西を貫く一大問題なのかもしれません。
確かに私たちのビジネス生活は
多忙さに追い立てられ、それが止むことがありません。
でも、1日、1ヶ月、1年、3年を振り返ったとき、
何か本当に意義のあることを成しえているのか・・・・?
忙しく立ち振る舞っているだけで、
何か仕事をやって気にはなっているが、
世の中にとってどうでもいいようなことを
単に処理していただけではないか。。。。
私が4年前にサラリーマンを辞めて、独立を決心したのも
実はこの“不毛な多忙さ”生活に辟易したからです。
最後に勤めた会社は、国内では最大規模のIT会社で
そこで管理職をしていましたが、
雑多な指示与え、決済メールの山、
会議のハシゴ、
上部への根回し・プレゼン、
予算管理、労務管理、等々で、
きょうもアウトルックのスケジュールには、
部下からどんどん予定がほうり込まれてゆく。
根本的に意義ある事業を企画して、創造したりする時間が捻出できず、
大会社という機関車を止めずに走ることだけの
管理業務に振り回される日々。
「これでは自分の人生時間がもったいない」
と内なる叫びがこだまし、今日に至っているわけです。
独立後の仕事の日々も、忙しいことにかわりはありませんが、
不毛でないところが、重要な変換点だと思います。
自分が描いた目的のもとに、忙しいのか、
(目的=目標+意義・意味)
それとも、
ただ他者に使われるままに忙しいのかでは、
中長期のキャリアにおいては、天地雲泥の差ができてきます。
金井教授は、冒頭の本の中で、さらに
「忙しいから絵が描けないのではなく、描けないから忙しいだけだ」
とのフレーズを紹介しています。
また、関連するコンセプトとして、
ノーベル経済学者ハーバード・A・サイモンの
『計画のグレシャムの法則』もあげられます。
これはご存知「悪貨は良貨を駆逐する」という
有名なグレシャムの法則をサイモンが応用したもので、
「ルーチンな仕事はノン・ルーチン(創造的)な仕事を駆逐する」
というものです。
“忙しさ”―――-これは、けっこうな問題です。