d)農ある暮らし ~いのちを育む・いのちをいただく Feed

2013年10月19日 (土)

稲刈りとハザ掛け そしてレンゲの種まき

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4月末に田植えをしてから、はや5ヶ月半。無事、稲刈りです。
タビ(足袋)を履き、鎌を持っていざ出陣。

商業用の米はたいてい、機械で脱穀、乾燥、精米に回されますが、
この「田んぼの学校」では、まずハザ掛けにして2週間ほど乾燥させます。
機械による大量・効率化生産ではないことをじっくりやるのが楽しくもあります。
「時間の流れにゆだねる」「待つことを覚える」ことは、
大人にとってもよい気づきの機会となります。

ただ、すべて手作業でやっていると、逆に、
農業の方々にとっての機械化・効率化(+農薬使用)の必要性も強く感じます。

そして、稲を刈った後の田んぼには、レンゲの種を播きます。
レンゲは空気中の窒素を取り込んで根に蓄える性質をもっています。
春の田植え前にそのレンゲを土に鋤込むことで地力を回復させる肥料になるのと、
除草の効果も期待できると教わりました。

また、レンゲが満開の春の田園風景は私たちの目に癒やしを与えてくれますし、、
ミツバチ(と養蜂業)にとっても恵みとなります。
古人が伝える自然農法はほんとうに無駄がありません。

稲刈り後の田んぼには、米粒がたくさん落ちます。
スズメたちがたくさん寄ってきて、小鳥たちも肥ゆる秋到来です。

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2013年5月 2日 (木)

苗床づくりと種まき


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ゴールデンウィークが始まりました。
私は地元の田んぼにいます。


Tanemaki00 「田んぼの学校」は毎年、無農薬栽培です。なので、いま時期の田んぼの雑草はすごい生命力です。ただ雑草といってもちゃんと名のある野草です。レンゲにナズナ、ホトケノザ、ヨモギなど。間近で観察するといろんなものが花を咲かせています。風に小きざみに揺れるカタバミの可憐な黄色の花、オオイヌノフグリの花のすがすがしく繊細な青色のグラデーション、トキワハゼのミクロアートな造形の花……。
かれらは根っこをしっかり張って伸びたい放題、もう、ぼーぼー状態です。近くには除草剤がまかれている農家の商業用耕作地があるので、ひと目で比較できるのですが、その雑草の生い茂る状態は大違いです。

こうした雑草を根っこから手で刈る作業はそれはもう大変です。ですが、こうした作業を経験すれば、農家が除草剤を使うことも十分に理解ができます。

* * * * *

きょうは水路そうじも行いました。
この田んぼは湧水箇所から水を引いています。水路はコンクリートですが、それでもところどころに水草が生え、さまざまな生き物を囲っています。そうした生態系に極力インパクトを与えないように、引っ掛かった人工物(ビニール袋や空き缶など)を丁寧に取り除いていきます。ザリガニやオタマジャクシ、カワニナ(ホタルの幼虫の餌になる)など、私にとっては何十年ぶり
かの手にとっての観察となりました
「田んぼの学校」は親子での参加も多いのですが、子どもたちにこうした原体験をさせておくことはきわめて大事なことだと思います。


Tanemaki03 そして午後からは苗床づくりと種まき。各自が自宅で芽を出させた種籾(たねもみ)を持ち寄り、苗床にまきました。芽と根が伸び、稲が10センチくらいまで生長したら、水を張った田んぼに手で植えることになります。それが6月中旬の予定です。

土と草の香りを満喫し、さまざまな生命(いのち)
触れた日でした。
「春(はる)」は、新しい生命が湧き出でようと「張る(はる)」、田畑を耕して開く「墾る(はる)」、また陽光がきらきらと輝く「晴る(はる)」などからきているそうです。田んぼに出ると、そんないろんな「はる」を鋭敏に感じ取ることができます。同時に、自分自身が生き物として本来もっているエネルギーも自然と呼ばれて、からだの内側から張ってくる状態も感じ取ることができます。農の作業はそうしたからだを蘇生させる力をもっています。



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2013年4月17日 (水)

種籾の準備 ~一粒から生まれる力

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 私は「徴農制」という言葉を、丹羽宇一郎(伊藤忠商事元会長、前中国大使)さんが話題にしているときに初めて知りました。調べてみると、徴農制は過去の人類社会のなかでさまざまに試行されているようです。ただ、体制側の思想的な操作がはたらくことが多く、歴史的に成功した例は少ないようです。
 ですが、「徴」という国民を召し出す制度ではなく、「農」の体験を広く人びとがすることはとても大事なことだと思います。

 「農」の営み───それは、いのちを育み、いのちをいただくことです。
 いのちの不思議さを知り、いのちの尊さを知ることです。
 自然を耕すことは、自分を耕すこと。

 みずからがつくり出す現代文明でありながら、皮肉にもその激流にさらわれ、もはや自分たちがどこにむかうのかをコントロールできなくなった私たちにとって、「農」こそが本来の人間らしさを取り戻すための唯一の矯正機能かもしれません。

 さて、私はこの春から地元の有志が主宰する『田んぼの学校』に入学しました。一から稲作を習おうと思っています。その様子をこのブログでも綴っていきたいと思います。

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 6月の田植えを前に、「種籾(たねもみ)」の準備をします。米は、言うまでもなく普段みているあの米粒が種です。「ご飯茶わんに米粒を残しちゃだめよ」とよく母親に言われました。1粒の米を育てるとそこから何粒くらい収穫できるかご存じですか?───調査によると500粒くらい(多いものでは1000粒)だそうです。1粒の米はそれほどの繁殖力を宿しているのです。ですから1粒の米も残せないという気持ちになりますね。

 種籾は当然、生命力の強いものを選別しなくてはなりません。その方法が「塩水選」です。ある濃度の塩水(水200gに対し塩16g)に種籾を浸して、沈んだものがよい種籾となるそうです。つまり、中身が重く詰まったものが生命力もあるということですね。古人の知恵はシンプルです。

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 そうして選別した種籾を水洗いして水に浸ける。すると数日で発芽するそうです。今回の作業はここまで。種から芽を出すことの観察、実に小学校以来です。

 さぁ、この種籾の選別・発芽から、約半年間の「いのちを育み いのちをいただく」ことの旅が始まります。

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