職業倫理の原点:『ヒポクラテスの宣誓』
昨今、民間企業、公的機関の別を問わず
不正・不祥事、犯罪的営利行為、非倫理的行為などのニュースが絶えることがない。
その原因は、
組織ぐるみのものもあれば、
一従業員や一管理者、一経営者によるものもある。
しかしいずれにしても、その根本は、
一職業人の中の
職業倫理欠落(あるいは欠陥)にあるといえるでしょう。
“倫理”などという抹香くさいテーマは
いまどきはやらないわけですが、
私は職業訓練・キャリア教育に携わる身の上でもあり
あえて声高に仕事上で折々に触れています。
なぜなら、誰しも働く上でこの倫理の問題を避けて通ってはいけないのは
「倫理を誓う」ことが
「プロフェッショナル」の原義でもあるからです。
◆プロフェッショナルとは“宣誓する人”
「プロフェッショナル」という言葉は、現在では多義に拡大され
いささか大安売りされている感がありますが、
もともと「プロ」と呼べる職業は極めて限定的でした。
ジョアン・キウーラ著『仕事の裏切り』(原題:The working Life)によると、
プロフェッショナルという言葉は、もともと
“profess”=宗教に入信する人の「宣誓」からきていて、
やがてそこから、厳かな公約や誓いを伴うような職業をプロフェッショナルと呼ぶようになったといいます。
中世に存在した数少ないプロフェッショナルは、
聖職者や学者、法律家、医者だったわけですが、
彼らの仕事の特徴は、
仕事における(個人や組合・協会の)自律性と
私欲のない社会奉仕精神・公約の精神です。
プロフェッショナルの仕事は無報酬を理想とし、
「お金をもらう仕事をする」のではなく、
仕事をするために必要な経費を補填してもらうという意識が原則だったのです。
したがって、社会学者のタルコット・パーソンズはわずか50年前の著書で
「(こうしたプロフェッショナルの厳格な定義に照らすと)
企業管理者は決してプロになれない」と主張しました。
なぜなら、企業におけるビジネスマンは、
基本的に利己的行動に走らざるをえないからです。
□ □ □ □ □ □ □ □ □
◆我欲を排し、利他を誓う『ヒポクラテスの宣誓』
欧米の医学会では、
今でも、医師になるときに『ヒポクラテスの宣誓』を行なうしきたりを残していると聞きます。
ヒポクラテスは、紀元前400年ころに活躍した人で、
ソクラテスやプラトンと同世代のギリシャの偉人の一人です。
「人生は短く、学芸は永し。
好機は過ぎ去りやすく、経験は過ち多く、決断は困難である」
との有名な言葉は、彼のものです。
ヒポクラテスは、当時の医術の発展に多大な貢献をしただけでなく、
後世の医の倫理の礎を築きました。
彼は多くの著書を残しましたが、『ヒポクラテスの宣誓』は、
その中の、通常、「誓い」と表題された短文を指します。
彼はその中に、医師の戒律・倫理を明言しています。
全文はここに示しませんが、
ネット検索をすれば、どこかに掲示されていると思いますので
それを一度参照されることをお勧めします。
『ヒポクラテスの宣誓』は、要は、
冒頭、医神であるアポロン、アスクレピオスらに誓いを立てる文面からはじまり、
医を志す際の師弟の誓い、
そして医師として、患者第一とする利他的で我欲を排する誓いをするものです。
現代の資本主義下におけるビジネスで、
利益追求が悪だとか、利己主義が悪だとかを言うつもりは私にはまったくありません。
ただ、プロフェッショナルを標榜する人たちはもちろん、
すべての働き手たちが、『ヒポクラテスの宣誓』にも似た
おおいなるヒューマニズムに基づいた仕事倫理、信条を思い描き、誓うことを
基盤行為としてやってほしいと願うのみです。
◆精神のない専門人と心情のない享楽人
しかしながら、人間が我欲を抑えて
功利主義や保身主義にみずから抗することは、時代を越えて難しいことのようです。
孟子は、
「義を後にして利を先にするを為さば、奪わずんばあかず」
(義を後回しにして、まず利益を追い求めるということになると、
結局、人は他人のものを奪いつくさないと満足しなくなる)
と古くに説いていますし、
また、マックス・ヴェーバーは、
1905年の大著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾において
資本主義の興隆で跋扈し、うぬぼれるのは
「精神のない専門人と心情のない享楽人」であると予見しています。
しかも、ヴェーバーはこれら2種の人間たちを
“ニヒツ”(=無なるもの)と言い放っているところが、切れ味のある点です。
精神のない専門人が、プロフェッショナルとして多量になりすぎると
ビジネスは単なる「利益追求ゲーム」と成り下がり
夢と志に燃えてやっている人々が面白くなくなるばかりか、
経済が本来、“経世済民”として持っている
「民を救う」という使命・目的が喪失されてしまいます。
だから、私は、みずからのキャリア教育事業のプログラムの中で
『ヒポクラテスの宣誓』を引用し、
クラスで多少のディスカッションをするようにしています。
そして、何よりも、
まっとうな仕事の倫理・思想・哲学を持った経営者や働き手が
若い世代のロールモデルとして社会や各組織で活躍し、
高い道徳観を持つことがカッコイイのだという暗黙の認識を浸透させることこそ
嫌な潮流を変える大きな力になるものだと思います。
「プロフェッショナル」の原義は、“profess”(=宣誓する)。
プロが宣誓をなくしたとき、それは単なる「○○屋」でしかないのです。
【参考文献】
・ジョアン・キウーラ『仕事の裏切り』(中嶋愛訳・金井壽宏監修)翔泳社
・ヒポクラテス『ヒポクラテス全集 第1巻』(大槻真一郎編集・翻訳責任)エンタプライズ