結果とプロセス―――どちらが大事か?
今年も日米ともにプロ野球のリーグ戦が終わりました。
そしてそれぞれの国では、
日本シリーズ、ワールドシリーズのチャンピオンシップをかけ
トーナメント戦が始まっています。
今年の記録といえば、米シアトルマリナーズ・イチロー選手の8年連続200安打や、
読売巨人軍の13ゲーム差をひっくり返しての優勝などいろいろありました。
また、記録より記憶に残るといえば、
オリックスバッファローズ・清原和博選手の引退でしょう。
いずれにしても、勝ち負けという結果を厳しく問われる仕事に生きる
プロスポーツ選手たちの働き様・生き様は
私たちホワイトカラー族にもさまざまなことを考えさせてくれます。
今日は、「結果とプロセス」をテーマに書きたいと思います。
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働いていく上で、そして自分をつくる上で、
「結果」と「プロセス」のどちらが大事か?―――これは難しい問題です。
結論から言えば、どちらも欠くことはできない大事なものです。
しかし、「真に人をつくるのは」と問われれば、プロセスだと思います。
結果は確かに人を自信づけ、歓喜をもたらしてくれます。
しかし、その一方で、人を惑わしたり陥れたりもします。
「結果はウソを言うときがあるが、プロセスはウソを言わない」と
言い換えてもいいかもしれません。
このあたり、イチロー選手の語録には
深く噛みしめるべき内容がありますので、いくつか紹介します。
(イチロー選手のコメントは、いずれも日本経済新聞紙上で掲載されたもの)
・「結果とプロセスは優劣つけられるものではない。
結果が大事というのはこの世界でこれなくしてはいけない、
野球を続けるのに必要だから。
プロセスが必要なのは野球選手としてではなく、人間をつくるうえで必要と思う」―――。
これは一般のサラリーパーソンについてもまったく同じことが当てはまります。
会社員であれば組織から与えられた事業目標、業務目標があり、
それを成果として個々が達成することで、会社が存続でき、給料ももらうことができる。
また、自分の能力よりも少し上の目標を立て、それを達成することで自分は成長する。
ただ、そうした結果を出すことが絶対化すると、
周囲との調和を図らない働き方や不正な手段を用いた達成方法を生み出す温床となる。
また、働く側にとっては、それが続くと、早晩、消耗してしまう。
結果至上主義は多くの問題をはらんでいます。
イチロー選手はこうも言います。
・「負けには理由がありますからね。
たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはない」。
・「本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、
しっかり力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う」―――。
これはつまり、結果が出た(=勝った・記録を残した)からといって
有頂天になるな、結果はウソを言うときがあるぞ、
というイチロー選手独自の自戒の言葉です。
プロセスが準備不足であったり、多少甘かったりしたときでも、
何かしら結果が出てしまうときがときにあります。
そうしたときの結果は要注意です。
そこで天狗になってしまうと、次に思わぬ落とし穴にはまってしまうことが往々にして起こります。
結果におごることなく、足らなかったプロセス、甘かったプロセスを見直し、
次に向け気を引き締めてスタートすることが必要です。
こう考えてくると、「結果」をめぐる問題点は、どうやら二つありそうです。
一つは、「結果を出せ!」とか「結果を出さなくてはならない」といった強要や自縛がはたらくと、
結果主義はマイナスの面が強く出る。
もう一つは、たまたま「結果が出てしまう」ことで、本人に慢心が起こる。
この点に気をつければ、「結果を出すこと」は働く上で重要な意識になるでしょう。
むしろ、結果を求めないプロセスは、惰性や無責任を生みます。
また、結果が出ることによってこそ、それまでのプロセスが真に報われることになります。
要は、結果とプロセスはクルマの両輪であって、
どちらを欠いてもうまく前に進むことはできません。
そして、駆動輪になるのは、言うまでもなく、
日々こつこつと努力を重ねるというプロセスのほうです。