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2008年10月

2008年10月13日 (月)

結果とプロセス―――どちらが大事か?

今年も日米ともにプロ野球のリーグ戦が終わりました。
そしてそれぞれの国では、
日本シリーズ、ワールドシリーズのチャンピオンシップをかけ
トーナメント戦が始まっています。

今年の記録といえば、米シアトルマリナーズ・イチロー選手の8年連続200安打や、
読売巨人軍の13ゲーム差をひっくり返しての優勝などいろいろありました。

また、記録より記憶に残るといえば、
オリックスバッファローズ・清原和博選手の引退でしょう。

いずれにしても、勝ち負けという結果を厳しく問われる仕事に生きる
プロスポーツ選手たちの働き様・生き様は
私たちホワイトカラー族にもさまざまなことを考えさせてくれます。
今日は、「結果とプロセス」をテーマに書きたいと思います。

* * * * * * *

働いていく上で、そして自分をつくる上で、
「結果」と「プロセス」のどちらが大事か?―――これは難しい問題です。
結論から言えば、どちらも欠くことはできない大事なものです。

しかし、「真に人をつくるのは」と問われれば、プロセスだと思います。
結果は確かに人を自信づけ、歓喜をもたらしてくれます。
しかし、その一方で、人を惑わしたり陥れたりもします。
「結果はウソを言うときがあるが、プロセスはウソを言わない」
言い換えてもいいかもしれません。

このあたり、イチロー選手の語録には
深く噛みしめるべき内容がありますので、いくつか紹介します。
(イチロー選手のコメントは、いずれも日本経済新聞紙上で掲載されたもの)

・「結果とプロセスは優劣つけられるものではない。
 結果が大事というのはこの世界でこれなくしてはいけない、
 野球を続けるのに必要だから。
 プロセスが必要なのは野球選手としてではなく、人間をつくるうえで必要と思う」―――。

これは一般のサラリーパーソンについてもまったく同じことが当てはまります。

会社員であれば組織から与えられた事業目標、業務目標があり、
それを成果として個々が達成することで、会社が存続でき、給料ももらうことができる。
また、自分の能力よりも少し上の目標を立て、それを達成することで自分は成長する。

ただ、そうした結果を出すことが絶対化すると、
周囲との調和を図らない働き方や不正な手段を用いた達成方法を生み出す温床となる。
また、働く側にとっては、それが続くと、早晩、消耗してしまう。
結果至上主義は多くの問題をはらんでいます。

イチロー選手はこうも言います。

・「負けには理由がありますからね。
 たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはない」。


・「本当の力が備わっていないと思われる状況で何かを成し遂げたときの気持ちと、
 しっかり力を蓄えて結果を出したときの気持ちは違う」―――。

これはつまり、結果が出た(=勝った・記録を残した)からといって
有頂天になるな、結果はウソを言うときがあるぞ、
というイチロー選手独自の自戒の言葉です。

プロセスが準備不足であったり、多少甘かったりしたときでも、
何かしら結果が出てしまうときがときにあります。
そうしたときの結果は要注意です。
そこで天狗になってしまうと、次に思わぬ落とし穴にはまってしまうことが往々にして起こります。
結果におごることなく、足らなかったプロセス、甘かったプロセスを見直し、
次に向け気を引き締めてスタートすることが必要です。


こう考えてくると、「結果」をめぐる問題点は、どうやら二つありそうです。
一つは、「結果を出せ!」とか「結果を出さなくてはならない」といった強要や自縛がはたらくと、
結果主義はマイナスの面が強く出る。

もう一つは、たまたま「結果が出てしまう」ことで、本人に慢心が起こる。
この点に気をつければ、「結果を出すこと」は働く上で重要な意識になるでしょう。

むしろ、結果を求めないプロセスは、惰性や無責任を生みます。
また、結果が出ることによってこそ、それまでのプロセスが真に報われることになります。

要は、結果とプロセスはクルマの両輪であって、
どちらを欠いてもうまく前に進むことはできません。
そして、駆動輪になるのは、言うまでもなく、
日々こつこつと努力を重ねるというプロセスのほうです。

2008年10月 5日 (日)

芯のある「これでいい」という行き方

<秋・小淵沢発>
A

今年も初秋の小淵沢に来て、仕事をしています。
(難航している次の著作原稿もいよいよ仕上げ段階です)
先週は秋雨前線の停滞と台風の影響で雨模様が続いていましたが、
台風の通過以降、すばらしい晴天が続き、空の高さを感じます。
陽が指すと、俄然、小金色に輝く田んぼの風景が雄大に迫ってきます。

◆「テコ」が肥大化し、その逆利き力によって振り回される
さて、私が滞在している部屋のテレビは、先週から、
米国議会の金融安定化法案否決を発端とする金融市場の混乱のニュースを
しきりに報じています。

『メディア論』を著したマクルーハンは、メディアを「身体の拡張」と言い表しました。
例えば新聞やラジオは耳の拡張であり
テレビは目の拡張といった具合です。
この論を敷衍して言えば、
科学技術は人間の諸機能を拡張する。
そして欲望も拡張する
――――そう考えられます。

そして、ついに人間は禁断の果実である
「カネがカネを生むシステム」に手をつけ、
膨張する金欲をみずから統御できなくなってしまっているように思えます。

確かに「テコ」は便利な道具ですが、
その蜜の味をしめると、「テコ」を用いることが中毒になり、
「テコ」をどんどん肥大させていく回路に入る。
そして、今度は逆利きしたテコの力によって人間が振り回されることになる。

◆「効率的な人生」・・・とは何か気持ち悪い
私が企業勤めを辞めたのは5年前。
最後の会社は国内最大手の一角のIT企業でしたが、
そこでは、日々、管理職として、
利益追求、生産性向上、効率性追求、シナジー、レバレッジ、スピードなどを
一種、信仰のように「是」であり、「善」であると思い込み、
自身でも行動し、もちろん部下にも推奨していました。

ところが、自分個人の仕事を始めてからは、あの日々のことを
「なーんだかなー・・・」と思い出す心境に変わりました。

今の私は、
利益追求?・・・んんー、利益は“ツイキュー”するもの?
そう思うと仕事がギスギスする。利益は一生懸命やった後のゴホウビと思えばいい。

生産性?効率性?・・・今の自分は働くことと生きることがかなり重なっているので、
「生産性の高い人生」・「効率的な人生」って何か気持ち悪い。

シナジー?レバレッジ?スピード?・・・今の自分の仕事は、
1本1本、手作り醸造のワインを売っているのと同じ。
シナジーを生かしたワイン製造、レバレッジの利いたワイン製造、
スピード製造のワインなどを目指そうとは思わない。

Photo 私は今、作家の司馬遼太郎さんが生前におっしゃっていた
「知足」(足るを知る)という言葉をしみじみ感じています。
私は世に言う成功者でもありませんし、
羽振りよく儲けているわけでもありませんが、
自分の働き様、生き様に対し、「これでいい」という腹の据わりがあります。

過剰にテコを用いずとも、今の等身大の行き方の中から、
十分に成長や納得、自信を得ることができると感じています。

◆「無印良品」的行き方
「これでいい」という行き方に関し、少し唐突な材料を引き合いに出します。
それは「無印良品」です。

私は「無印良品」的な行き方に非常に共感を覚えます。
なぜかといえば、 「無印良品」こそ、
「これでいい」を意志をもって体現しているブランドだからです。

その見方は、グラフィックデザイナー・原研哉さんの
著書『デザインのデザイン』(岩波書店)で得ました。

原さんの論旨をかいつまむと、

・突出した個性や美意識を主張するブランドでは
 「これがいい」「これじゃなきゃいけない」というような強い嗜好性を誘発する。

・しかし、無印良品は逆の方向を目指している。
 すなわち、「これがいい」ではなく「これでいい」という満足感のうちで
 最高レベルのものをユーザーに与えること。


・「これがいい」という嗜好を鮮明に示す態度は「個性」という価値観とともに
 いつしか必要以上に尊ばれるようになった。
 しかし、「が」は時として執着を生み、不協和音を発生させる。
 結局のところ人類は「が」で走ってきて行き詰まりをみせている。

・僕らは今日、「で」の中にはたらいている「抑制」や「譲歩」、あるいは
 「一歩引いた理性」を評価すべきである。
 「で」は「が」よりも一歩高度な自由の形態ではないだろうか。

そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること
 それが無印良品のヴィジョンである。


・無印良品は、「素」あるいは「簡素さ」の中に新しい価値観や美意識を生み出す。
 それは「省略」というより、「究極のデザイン」を志向している。

・また、無印良品の思想は、いわゆる「安価」に帰するものではない。
 それゆえ、最低価格ではなく、豊かな低コスト、
 最も賢い低価格帯を実現していくことを目指す。

◆マッチョゲーム・チキンレースからの離脱
私自身は厭世家でもありませんし、自由資本主義の否定者でもありません。
むしろ、ビジネスを楽しむ人種です。
そして、こと創造性に関しては貪欲です。
常に自分の事業のサービス開発には情熱を燃やしています。

ただ、何でもカネとモノの量的尺度に還元するゲームからは
おさらばしようとしているだけです。
そして実際、カネやモノを追うマッチョゲーム、チキンレースから離れて
すごく気がラクになりました。

保有株をすべて売り払ってからは、株価に気をもむことはありません。
年収がサラリーマン時代に比べてどうだとか、
去年と比べてどうだとかはいっさい考えません。
仕事が1ヶ月なかったとしても、焦ることもしません。
他人の成功話や儲け話を聞いても、嫉妬することもありません。
自家用車が12年目を迎えても、まだ乗り続けようと思います・・・などなど

もっぱら考えるのは、
もっと顧客に満足してもらえる教育プログラムは何なのか、
もっと意味のある啓発コンテンツを著せないか、
もっとサービス自体がよきメッセージ性を発することはできないか、
などです。

そして、それらが、ある値段で世の中のどなたかに買っていただける。
そして、値段ではなく、コンテンツやサービスの内容自体で顧客とつながり合い、
その輪が広がっていく。
そして、その輪の一人一人に自分が助けてもらいながら事業を続けることができる。
お客様から「ありがとう」を言っていただき、
私も「ありがとうございます」と言える。

――――そんな「これでいい」という行き方が今の私です。

芯のある「これでいい」という行き方を
人類の一人一人が自覚をもって実践すれば、
世の中の随分のことが解決するように思います。

それにしても、八ヶ岳の南麓に広がる黄金の絨毯は、
全世界を巡る金融危機などどこ吹く風で、
頭を垂れた稲穂がカサカサと音を立てながら揺れています。

B

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