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2011年12月

2011年12月22日 (木)

「セレンディピティ」とは


Legowk 01


◆「レゴ」を大人向け研修に持ち込む

私が行っている研修でお客様から強く支持をいただいているのが『キャリアダイナミクスゲーム』(通称:レゴブロックゲーム)です。

これは「仕事を成すとは何か」「キャリアを形づくっていくとはどういうことか」を比喩(メタファー)を用いて学んでいくゲームプログラムです。自分の能力資産(知識、技能、人脈、コンピテンシーなど:これをレゴブロックで置き換える)を増やしながら、時には減らしながら(自己研鑽を怠って、一度習得した能力資産を陳腐化させ死なせてしまうこともある)、それで何を作品づくり(=仕事・プロジェクト)していくかを、20代から50代までのステージを経ながら、動的・自律的にキャリアをシミュレーションしていくものです。

Legowk 02職業人向けのキャリア開発研修にレゴを使うという発想はどこから得たか───それはまったく偶然のことでした。

子どもの環境教育を行っているとあるNPOが、チームワーク力を養成するための演習としてレゴを使っている場にたまたま居合わせたのです。そのときは単に「あぁ、玩具もそういう使い方ができるんだなー」程度の受け止めだったのですが、その日以来、大人向けにも何か展開が可能なんじゃないかという考えがどんどん膨らみ、8年前に新規開発のプログラムとして完成させました。毎年、改良を重ねて現在に至っています。


あのときのNPOでのレゴとの出合いは、偶然だったのか、それとも必然だったのか……。

いま振り返ると、それは「必然」だったように思えます。まさに自分にとって、大きな「セレンディピティ」でした。




◆執念がチャンス感度を鋭くする。


「チャンスは心構えした者の下に微笑む」。
“Chance favors the prepared mind.”

                                  ――――ルイ・パスツール(細菌学者)


科学の世界での偉大な発明・発見というのは、偶発の出来事がきっかけとなることが多いといいます。例えば、A液をあろうことかまったく実験に関係のないB液のビーカーに偶然落としてしまった。すると、そこで思わぬ物質が発見された!とか、そんなような偶発です。

ですが、それは本当に偶発なのでしょうか? 「いや違う。そういったチャンスは自分が呼び込んだものなのだ!」―――こう主張するのが細菌学者パスツールです。ノーベル賞を受賞する科学者たちの多くは、この言葉を身で読んでいます。

2002年にノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生も自著『物理屋になりたかったんだよ』の中でこう書いています。


「たしかにわたしたちは幸運だった。でも、あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえるか捕まえられないかは、ちゃんと準備をしていたかいなかったの差ではないか、と」。


私はこれを次のように解釈しています。
世の中には、実はチャンスがいっぱい溢れている。目に見えないだけで、そこにもあるしここにもある。それは例えば、この空間に無数に行き交う電波のようなものです。電波は目に見えませんが、ひとたび、ラジオのスイッチを入れれば、いろいろな放送局からの音声が受信できる。感度のよいラジオなら、少しチューニングダイヤルを回しただけでいろいろと音が入ってくる。逆に感度の悪いラジオだと、ほとんど何も受信できないか、不明瞭な音声でしか聴くことができない。

一つの仕事に執念を持って取り組んでいる人は、その仕事課題に対する感度がいやおうなしに鋭敏になってきます。すると、チャンスをさまざまに受信しやすい状態になる。逆に、漫然と過ごしている人は、いっこうに感度が上がらない。だから、チャンスはそこかしこにありながら、それらを素通りさせるだけで何も起こらない。性質(たち)の悪い人になると、「自分にはいっこうに運がないのさ」と天を恨んだりする。


◆偶然をとらえて幸福に変える力は鍛えられる
こうしたチャンスを鋭くつかみ取る能力を表す単語が「セレンディピティ(serendipity)」です。「セレンディピティ」は、オックスフォード『現代英英辞典』にも載っている単語ですが、まだ簡潔に言い表す訳語がありません。

東京理科大学の宮永博史教授は、『成功者の絶対法則 セレンディピティ』の中で、セレンディピティを「偶然をとらえて幸福に変える力」としています。「ただの偶然」をどう幸福に導き、「単なる思いつき」をどう「優れたひらめき」に変えることができたのか、古今東西の科学研究の現場や事業の現場での事例を集めて説明してくれています。

また、セレンディピティを「偶察力」(=偶然に際しての察知力で何かを発見する能力)と紹介しているのは、セレンディピティ研究者の澤泉重一さんです。澤泉さんは、人生には「やってくる偶然」だけではなく、「迎えに行く偶然」があるといいます。

後者は意図的に変化をつくり出して、そこで偶然に出会おうとする場合のものです。その際、事前に仮説をいろいろと持っておけば、何かに気づく確率が高くなる。基本的に有能な科学者たちは、こうした習慣を身につけ、歴史上の成果を出してきたのではないかと、彼は分析しています。

さらに、パデュー大学のラルフ・ブレイ教授によれば、セレンディピティに遭遇するチャンスを増やす心構えとして、「心の準備ができている状態、探究意欲が強く・異常なことを認識してそれを追求できる心、独立心が強くかつ容易に落胆させられない心、どちらかというとある目的を達成することに熱中できる心」といいます(澤泉重一著『セレンディピティの探究』より)。

いずれにしても大事なことは、セレンディピティは「能力」という意味合いを含んでいることです。これは、能力だから強めることができるという発想にもつながります。単に「棚からボタ餅」でぼーっと幸運を待っている状態ではないのです。


Xmas illm 11
Have a Happy Holiday Week  2011 !                              (兵庫県・神戸にて)




2011年12月 9日 (金)

留め書き〈026〉~王国一賢い男か・王国一ハンサムな男か


Fln lv 01


悪神のささやき───


「ひとつ訊こう。いま魔法の杖があって、おまえさんは、
“王国一賢い男” にもなれるし、
“王国一ハンサムな男” にもなれる。
さぁ、どちらを選ぶかね?

ふふん、わたしなら、どっちを選ぶかだって?
そりゃ当然だろう。“王国一ハンサムな男”さ。

この世には、知性を理解する頭を持った人間よりも、
目を持っている人間の方がはるかに多いからね」。


                                         * * * * *

この悪神のささやきは、
『仕事と幸福、そして人生について』
(ジョシュア・ハルバースタム著、桜田直美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
のなかで紹介されているウィリアム・ハズリット(19世紀英国の批評家)の
下の言葉を焼き直したものである。


「王国一賢い男になるよりも、王国一ハンサムな男になるほうが魅力的だ。
なぜなら、知性を理解する洞察力を持っている人間よりも、
目を持っている人間の方がはるかに多いからである」。


道を究めれば究めるほど、そこは細く深い世界になっていく。
必然、その世界を評価できる人間は少なくなる。

道を究めようとする者の最大の誘惑は、
「多くの人間に認められたい」という欲求かもしれない。

しかし、そうした欲求を満たしたいなら、道を究めるよりほかの術をとったほうがいい。
「大衆から人気を得る」というのは、また別のところの才能なのだ。

                                       * * * * *

江戸時代の文人、大田南畝(おおた・なんぼ)は、 『浮世絵類考』 の中で、
浮世絵師、東洲斎写楽についてこんな記述をしている。


「あまりに真を画かんとて
あらぬさまにかきなせしかば
長く世に行われず 一両年にして止む」


……あまりに本質を描こうと、あってはならないように描いたので、
長く活動できずに、1、2年でやめてしまった、と。

東洲斎写楽。寛政6(1794)年、豪華な雲母摺りの「役者大首絵28枚」を出版して、
浮世絵界に衝撃デビューした彼は、翌年までに140点を超える浮世絵版画を制作したものの、
その後、忽然と姿を消した。

Syarak cp東洲斎写楽のあの大胆な構図の「役者大首絵」は、現代でこそ、高い美術的価値が付いている(残念ながら最初に高い価値を与えたのは海外の国であるが)

ご存じのように、写楽の絵は、描き方がいびつ(歪)で、
あまりに歌舞伎役者の特徴をとらえすぎていた。
このことは、歌舞伎興行側・役者側からすれば好ましくないことだった。

彼らは「大スターのブロマイドなんだから、もっと忠実に、もっと恰好よく」を望んだ。
同時に、観客である庶民からもその絵は人気が出なかった。
お気に入りの役者のデフォルメされた絵など買いたいと思わなかったからだ。

版元の蔦屋重三郎は才能の目利きだったかもしれないが、
版元も商売でやっている以上、当然、多く売れるように仕向ける。
写楽に「もっと写実的に描けないか」と圧力をかけたことは容易に想像できる。

事実、「役者大首絵28枚」以降の写楽の絵はごく普通のものとなり、
明らかに生気を失くし、陳腐なものに堕ちていく。

写楽は非凡なる絵の才能を持ち、非凡なる絵を描いた。
無念なるかな、同時代の大衆はそれを評価できなかった。

写楽ほどの才能をもってすれば、
大衆好みのわかりやすい絵をちょこちょこと描いて、食っていくこともできたかもしれない。
しかし、それは自分をだますことになるという気持ちが強かったのだろう。

写楽のその後の人生は詳しくわかっていないが、
一説には、人知れず画業の道を貫き生涯を終えたとも。

                                         * * * * *
Md cap
アメリカの音楽産業は1960年代からオーディオ製品の普及に伴って、一気に拡大を見せる。
音楽レコードはもはや一部の金持ちの趣味品ではなくなり、大衆商品になりつつあった。その起爆剤になったのが、ロック音楽の台頭である。

1940年代からジャズ音楽界入りし、円熟の技が冴えるマイルス・デイビスもその渦中にいた。
以下は、『マイルス・デイビス自叙伝〈2〉』

 (マイルス・デイビス/クインシー・トループ著、中山康樹訳、宝島社文庫)
からの抜粋である。


1969年は、ロックやファンクのレコードが飛ぶように売れた年で、
そのすべてが、40万人が集まったウッドストックに象徴されていた。
一つのコンサートにあんなに人が集まると誰だっておかしくなるが、
レコード会社やプロデューサーは特にそうだった。

彼らの頭にあるのは、どうしたら常にこれだけの人にレコードが売れるか、
これまで売っていなかったとしたら、
どうやったら売れるようになるかだけだった。

オレの新しいレコードは、出るたびに6万枚くらい売れていた。
それは以前なら十分な数字だったが、この新しい状況となっては、
オレに支払いを続けるには十分なものじゃないと思われていた。

1970年に『フィルモア・イースト』で、
スティーブ・ミラーというお粗末な野郎の前座をしたことがあった。
オレは、くだらないレコードを1、2枚出してヒットさせたというだけで、
オレ達が前座をやらされることにむかっ腹を立てていた。
だから、わざと遅れて行って、奴が最初に出なければならないようにしてやった。
で、オレ達が演奏する段になったら、会場全体を大ノリにさせてやった。


『フィルモア』に出ていたころ、ロックのミュージシャンのほとんどが、
音楽についてまったく知らないことに気づいた。
勉強したわけでもなく、他のスタイルじゃ演奏できず、楽譜を読むなんて問題外だった。
そのくせ大衆が聴きたがっている、ある種のサウンドを持っているのは確かで、
人気もあればレコードの売り上げもすごかった。
自分達が何をしているのか理解していなくても、
彼らはこれだけたくさんの人々に訴えかけて、レコードを大量に売っている。
だから、オレにできないわけがないし、
オレならもっとうまくできなきゃおかしいと考えはじめた。


オレには創造的な時期ってものが、いつだってあるんだ。
「イン・ア・サイレント・ウェイ」から始まった数年間は、
1枚1枚のレコードで、まったく違うことをやっていた。
どの音楽も、すべて前よりも変わっていたし、誰も聴いたことがないことをやっていた。

だから、ほとんどの批評家連中が手を焼いたわけだ。
連中は分類するのが好きで、わかりやすいように、
自分の頭のどこか決まった場所に押し込んでしまう。
だからしょっちゅう変化するものは嫌われるんだ。
何が起きているのか一所懸命理解しなきゃならないし、
そんなこと連中はしたがらない。

オレがどんどん変化しはじめると、やってることがわからなくて、
連中はこき下ろしはじめやがった。
だがオレには、批評家が重要だったことなんか一度もない。

やり続けてきたことを、そのままかまわずにやり続けるだけだった。
今だってオレの関心は、ミュージシャンとして成長すること以外にないんだ。


1971年には、ダウンビート誌でジャズマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれて、
バンドもグループ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
オレはトランペット部門でも1位になった。

オレだって賞をもらってうれしいのは事実だが、
特別大喜びするような類のものじゃないってことも確かだ。
音楽の中味と賞は、関係ない。


(1986年に)オレはホンダのバイクコマーシャルにも出たが、
そのたった一つのコマーシャルが、オレの名前を広めるという意味では
今までにやったどんなことよりも大きな効果があった。

黒人も白人もプエルトルコ人もアジア人も子供も、
オレが何をやってきたかをまったく知らない、
オレの名前すら聞いたこともなかった連中が、

通りで話しかけてくるようになった。
チクショー、なんてこった! これだけの音楽をやり、たくさんの人々を喜ばせて、
世界中に知られた後に、オレを人々の心に一番強く印象づけたのが、
たった一つのコマーシャルだったなんて、クソッ。

今この国でやるべきことは、テレビに出ることだ。
そうすれば、すばらしい絵画を描いたり、
すばらしい音楽を作ったり、すばらしい本を書いたり、
すばらしいダンサーである誰よりも、広く知られて尊敬されるんだからな。

あの経験は、才能もなく、たいしたこともできない奴が、
テレビや映画に出ているというだけで、
スクリーンに現れない天才よりも、はるかに称えられ尊敬されるってことを
教えてくれた。


* * * * *

再度、悪神がささやく───


「道を究めるなんていう高尚な生き方もなるほどけっこうだ。
しかし、賢くたって、深い世界を知ったところで、食えなきゃしょうがない。
食えなきゃ敗者だ。
大衆にモテることさ。食うのがラクになるってもんだ。

もう一度訊こう。
おまえさんは、“王国一賢い男”にも、“王国一ハンサムな男”にもなれる。
さぁ、どちらを選ぶかね?」……



Fln lv 02



2011年12月 5日 (月)

働く“自由”があることの負荷


Izu sst 01
中伊豆・修善寺にて



私は「プロフェッショナルシップ」(一個のプロであるための就労基盤意識)を醸成するための研修を企業現場で行っています。それは“先端”を感じ取る仕事でもあるので、とても面白く、刺激的に、そして、ときに悲観の波に襲われながら、でも楽観の意志を失わずにやっています。

何の先端かと言えば、情報や技術の先端ではありません。いまの時代に働く人たちの「心持ち」の先端です。私の行う研修プログラムは、働く意味や仕事の価値、個人と組織の在り方、を受講者に考えさせる内容ですので、必然、彼らが内省し言葉に落としたものを私は受け取ります。

顧客は主に大企業や地方自治体で、受講者はその従業員・公務員です。現代の日本の経済を牽引し、消費スタイルを形づくり、文化をつくる、いわば先導の人たちが、いま、こころの内でどう働くこと・生きることについて考えているか、それを知ることは、流行という表層の波を知ることではなく、底流を知ることになるので、中長期にこの国がどの方向に変わっていくのかを感じ取ることができます。


◆「あこがれるものが特にない」


さてそれで、きょうは最近の研修現場から感じることを1点書きます。

研修プログラムの中で私は『あこがれモデルを探せ』というワークをやっています。これは世の中を広く見渡してみて、

  ・「あの商品の発想っていいな/あのサービスを見習いたい」とか、
  ・「ああいった事業を打ち立ててみたい」
  ・「あの人の仕事はすごい/ああいうワークスタイルが恰好いい」、
  ・「あの会社のやり方は素晴らしい/あの組織から学べることがありそうだ」

といった模範や理想としたい事例を挙げてもらい、その挙げたモデルに関し、具体的にどういう点にあこがれるのかを書く。そしてそれを現実の自分の仕事や生活にどう応用できそうかを考えるものです。

私の研修では、最終的に、自分の仕事がどんな意味につながっているか、自分の働く組織が社会的にどんな存在意義をもっているか、その上で、自分は職業を通して何をしたいか、何者になりたいかを考えさせるわけですが、それをいきなり問うても頭が回らないので、こうした補助ワークから始め、自身の興味・関心や、想い・志向性をあぶり出していくわけです。

……さて、補助ワークとはいえ、これがなかなか書けないのです。

一応、ワークシートには3つのモデルを書く欄を用意していますが、がんばってようやく1つ書ける人、そしてついに1つも書けない人が、合わせて全体の2割~3割は出るでしょうか。本人たちは不真面目にやっているふうでもなく、ヒントを出して思考を促しても、「いや、ほんとに、思い浮かばないんです」と当惑した表情をみせます。

「じゃ、尊敬する人は誰かいますか?」と訊くと、「あぁ、それじゃ、お父さん」と言う。「お父さんのどんな点を尊敬しますか?」と訊くと、「たくましいところ」と答える。「そのお父さんの尊敬する点を自分の働き方にどう取り入れられそう?」───「う、うーん。。。自分もたくましく家族を養っていきたい」と、そんな調子です。この答え自体は無垢な気持ちから出たもので悪いとは言いません。問題は、意欲を具体的に起こす思考ができなくなっていることです。

ちなみに、彼らの年次は入社3年目から5年目、20代後半とお考えください。担当仕事はすでに一人前かそれ以上にできるように育ってはいるものの、「あこがれモデル」を想い抱くことに関しては、ある割合が、こうなってしまう現実があります。私は8年前からこの種の研修ワークを取り入れていますが、「あこがれが特にない/うまく抱けない」という割合は増えている傾向にあると感じています。


◆2年間の兵役が自由への意識を目覚めさせる

「あこがれる」という気持ちは、意欲を湧き起こし、意欲に方向性を与え、他の様子から学ぶ(「学ぶ」は「真似る」を由来とする説もある)という点で、とても大事なものです。あこがれを起こせない個人が増えるということは、そのまま、社会全体の意欲の減退、方向性の喪失、学ぶ思考力の脆弱化につながっていきます。

私たちは何にあこがれてもいいし、そのあこがれを目指すことで自分の力を引き出し、何になってもいい、という自由を手にしています。しかし、その自由の中で私たちはますます浮遊の度を強めています。

私がかつて企業で管理職をやっていたとき、部下に韓国人の男性がいました。彼はともかく20代の時間を惜しむように、会社内外でいろいろなことに挑戦をしていました。彼にいろいろと話を聞くと、そうした意欲は兵役中に芽生えたと言います。ご存じのとおり、韓国は徴兵制を敷いています。男性は一般的に20代のうちに約2年間の兵役義務につきます。

能力も知識も感情も形成盛りの20代に2年間の服務生活。ある種の自由が奪われた状態が個々の人間に与える影響は小さいはずがありません。彼は兵役中、むさぼるように読書をし、服務を終えたら何をしようこれをしようと想いが溢れたそうです。


◆自由を敬遠する底には怠惰や臆病がある

幸いにも日本には徴兵制はありません。自分の人生の時間は100%自分が自由に使えます。しかし逆に、そうした有り余る自由に対して、私たちは戸惑ったり、敬遠したり、負担に感じたりと、どうも具合がよくないのです。


「あこがれるものは特にない」、「やりたいことがわからない」、「会社の中で与えられた仕事をとりあえずきちんとやるだけ」、「そういえば働く目的って考えたことがない」……。目の前には自由という大海原があるにもかかわらず、漕ぎ出すことができないで浜辺で逡巡している場合が多いのです。

ピーター・ドラッカーは次のように言います───


「自由は楽しいものではない。
それは選択の責任である。楽しいどころか重荷である」。

(『ドラッカー365の金言』)


また、エーリッヒ・フロムもこう指摘しました───

「(近代人は)個人を束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していない。

……かれは自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは、人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる」。 
(『自由からの逃走』)


学びたいものは何でも学ぶことができる、なりたいものには何でもなることができる(もちろん、そうなる努力と運があってのことですが)───こういう自由な環境下にありながら、なぜ、私たちはそれを敬遠してしまうのでしょうか。

その大きな理由の一つは、自由には危険やら責任やら、判断やらが伴うので、そのために大きなエネルギーを湧かせる必要があるからでしょう。

人は、自由そのものを敬遠しているのではなく、それに付随する危険や責任、判断、エネルギーを湧かすことに対して、面倒がり、怖がっていると考えられます。

選ばなくてすむといった状況のほうが、基本的にラクなのです。確かに、日常生活や仕事生活で、大小のあらゆることに対して、事細かに判断をしなくてはならないとしたら、面倒でたまりません。多くのことが、自動的に制限的に決められて流れていくことも場合により望ましくあります。

しかし、人生に決定的な影響を与える職業選択と、日々の仕事の創造において、その自由を敬遠するのは、一つの怠慢や臆病にほかならないでしょう。

丸山真男は強く言います───

「アメリカのある社会学者が『自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である』といっておりますが……(中略)。

自由は置き物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。

その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過せたら、物事の判断などは人にあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持主などにとっては、はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう」。
(『日本の思想』)



私が研修を通して接している層は、大企業の従業員や公務員であり、はっきり言えば、いろいろな意味で“守られた層”の人たちです。

守られているがゆえに、その分、安心して十全に自己を開き、仕事を開いて、日本をぐいぐいと牽引していってほしいと願いたいところです。フロムの表現を借りれば、「人間の独自性と個性にもとづいて積極的に」自由を活かしてほしい。しかし、現実は、「自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求める」傾向が強まっています。


◆個々が内面を掘り起こすことでしか世の中は善く変わらない

私はここで、日本のサラリーマンが「仕事を怠けている」と言っているのでありません。「自由を活かすことを怠けている」のではないかと言っているのです。

私たちはそれこそ残業の日々です。うつ病が社会問題化するほど、ストレスもさまざまに抱えています。その面ではよく働いています。 しかし、私たちが気づかねばならないのは、その働き過ぎは、フロムの指摘する“自由の重荷から逃れた新しい依存と従属”によって引き起こされているものではないかということです。


私たちは、自分の仕事の在り方を決める自由を手にしています。そして、組織の在り方、事業の在り方、資本主義の在り方も自分たちで決められる自由を持っています。しかし、その正しい解を見つけ出し、実現するには相当の努力が要るので、それは遠まわしにしたり、誰かがやってくれるだろうことを期待して、とりあえず目先の自己の利益確保だけを考えて、現状体制に依存と従属をするわけです。

多少の愚痴や問題はあるけれど、その依存と従属の仕事で、毎月、お給料が振り込まれ、なんとなく生活が回っていくのであれば、ことさらに自由を使いこなす必要もない。まさに丸山の言う「アームチェア」的な居心地に身を置くことができれば、そこから立ち上がりたくなくなる状態が生まれる───私には、「あこがれモデル」を探せなくなった社員たちの姿をそこに見るような気がします。

かといって、私はこうしたことを批評するだけで終わりたくはありません。私の目の前には、そうした問題の解決に身を投げる大海原が広がっています。ですから私は、守られた環境のサラリーマン生活にピリオドを打ち、独立して教育事業への道を歩み始めました。自分の自由をもっと活かしてみようと思ったのです。

「世の中を悪い方向に変えるにはマス情報で事足りるが、世の中を善い方向に変えるには1人1人の内面を掘り起こしていかなければならない」───これは私が大手出版社に勤めて得た最大の収穫です。

そうしていまは、日本の企業・自治体の第一線で働く1人1人と、学びの場を通して対話や思索を交える仕事をやっています。目下の課題の一つは、「あこがれを抱けなくなりつつある若年層社員に、どうすれば思考の刺激を与えられるのか」。そもそも『あこがれモデルを探せ』は、働く目的を考える補助ワークでしたが、その補助ワークの補助ワークが必要になってきたという状況です。しかしそれもやりがいのある仕事です。

いまの仕事は、日本のサラリーパーソンの「心持ちの先端を感じ取る」仕事ですが、同時に、教育を通して、そうした人たちの「心持ちの先端をつくる仕事」でもあります。


Tamagawa sst 02
多摩川から夕暮れの富士山を望む



2011年12月 2日 (金)

留め書き〈025〉~100%当たる未来透視術


Tome025



自分の未来を確実に予見する方法!?
───自分でそのとおりに現実をつくってしまうこと!




ずっと以前、仕事で親しく付き合わせていただいた方で
プロ並みに手相占いができるSさんがいた。

Sさんは、占う側は「断定的にものを言ってはいけない」ということをよく口にしていた。
それは、占いがはずれたときに自分の信頼をなくすということではなく、
「相手に呪縛をかけてしまう」からだと言う。
占い師はよくよく、占う相手が、
自分の人生に対し受け身な人間なのか主体的な人間なのかを感じ取って、

伝える内容や言い方を選ばなければならない。
自分の人生の方向性は、占い師が決めることではなくて、自分が決めることだからだ。

自分の未来を確実に予見したいのであれば、
自分で理想とする姿を描き、
そのとおりに現実を押し進めていくことだ。

そのために「自分はこうする!」「自分はこうなる!」と周囲に宣言してしまう。
自分に逃げ道をなくして、ひたすら有言実行を目指す。
かくして予見は的中する。


そう腹をくくったなら、手相をみてもらったらいい。

手相はちゃんとその方向に変わっているはずである。




********
奈良にて「せんとくん」と初対面。
よくよく見ると、けっこうよくデザインされているキャラクターで、
「ゆるキャラ」のカテゴリーに入れられてしまうと、制作者側にとっては少々不本意なのかも。
(いや、逆に、喜んでいたりして)


Sentokun



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