100年後、自分のヴァイオリンに会ってみたい
「私が生み落としたのはまだヴァイオリンの赤ちゃん。
それこそタイムマシンがあれば、
100年後、これがどんなふうになっているか会いにいってみたい」。
先日、あるテレビ番組でヴァイオリン製作職人が紹介されていた。
現在、イタリアに工房を構えるその方は、菊田浩さん。
菊田さんは、NHKのエンジニアを辞めて、
突然、ヴァイオリン製作の世界に飛び込んだという異色の経歴である。
それまで楽器や音楽にはまったく縁がなかったという。
それで食っていけるとも何ともわからない状況で、
大きなリスクを負い、職人の道に入ってしまう、その潔さには共感が持てる。
しかしながら、菊田さんはその後修業を積み重ね、見事、
「ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン製作コンクール」(ポーランド)や
「チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン製作部門」(ロシア)など、
その世界最高峰のコンクールで優勝を飾るほどの実力者になってしまった。
冒頭は、(正確ではないかもしれないが)番組中に菊田さんが語った言葉だ。
「100年後、自作のヴァイオリンに会ってみたい」とは、
何とも想いが豊かに滲み出ている表現である。
名器「ストラディバリウス」がそうであるように、
ヴァイオリンは製作者の手を離れ、
幾世代にも渡り、人の手で奏でられ手直しをされてこそ成熟が始まる。
(「ストラディバリウス」はおおよそ300年もの)
ヴァイオリン製作の名職人といえども、
みずから手を施せるのは形をつくるまで。
どれだけ精緻につくろうと、出来たては音色も若く、未完成品なのだ。
長い時間と人の手がなければ、名器にはなれないのである。
だからこそ、我が子を100年の旅に出す親の気持ちが菊池さんに湧いてくるのだろう。
───100年の時間単位で自分の仕事を考えられる。
これは何と素晴らしいことだろう! なおかつ、
───自分の創造物が100年の時間単位で人の手と耳と目を楽しませる。
これほどの仕事の喜びがあるだろうか。
私は、菊田さんを世界最高峰のコンクールで優勝したからといって「成功者」と呼びたくない。
自分が死んでも、自分のつくりあげたものが生き残って人びとを喜ばせていく。
そしてそのことを想い浮かべることができる。
その意味で、彼を最高の「幸せ者」と呼びたい。
きっとご本人もそうであるにちがいない。