ヒルティ『幸福論』
世の中に出ているいろいろな本には、
いろいろな効用があります。
働いていくため・生きていくために、
基本的な栄養(例えばタンパク質)を与えてくれる知識・技能本もあれば、
いっときのゾクゾク感やワクワク感(例えばビタミン)を与えてくれる
文芸小説や趣味雑誌などもあります。
また、たるんだ心に喝(かつ)を入れてくれる
(スパイスとか強壮剤のような)立志伝とか歴史小説もあります。
そんな中、このブログでは、
働く私たちにとって“滋養”になる本を紹介しています。
生涯の長きにわたって働くうえで、
私たちには基礎心力を増すための薬膳本みたいなものが必要です。
内容は地味だけれども、まさに滋味で滋養がある本、
仕事人生の途上で幾度もページを開きなおし、
そのときの自分の状況にそって、
いつも何か新しい知恵とエネルギーを湧かすことのできる本―――
きょうもその類の名著ですが、前回に続いて三大幸福論のひとつ
ヒルティの『幸福論』(草間平作訳、岩波文庫)
を取り上げます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カール・ヒルティ(1833-1909年)は、法学者であり、政治家であり、
また歴史家、思想家でもありました。
ともかく、範疇を超えた19世紀の「スイスの聖人」と呼ばれる人です。
彼が晩年に書き上げたこの『幸福論』は、
まさに精神の巨人が、
後世の人びとに残した遺言といった感があります。
岩波文庫の翻訳版で3巻に分かれており、
かなりの分量があるのですが、
どのページを開いても、何かしら心にフックし、
行をかみ締めて読むほどに、じわり効いてくる箇所がいくつも見つかります。
(私の『幸福論』の紙面はマーカー線と付箋だらけです)
正直言うと、私は学生時代に一度この本を手にしましたが、
第一部(1巻め)で読むのが続かなくなったと記憶しています。
理由は、いま振り返ると2つありそうです。
1つめに、内容が「教条的」過ぎて毛嫌いしたから
2つめに、そのころは本当の苦労知らず、挫折知らずだったから。
まず、確かにこの本は、キリスト教の宗教的倫理的著作です。
ヒルティは、この本を通して、
神の偉大さや、信仰心・罪の意識の重大さを気づかせようとしています。
したがって、紙面には、
「神」とか「罪」とか「宗教」「聖書」などの文字が頻出します。
だからといって、それだけでこの本から遠ざかっているとすれば、
それは非常にもったいないことです。
人類のひとつ大きな資産から目を閉じているわけですから。
この本に書いてあることは、極めて普遍的で包容力があります。
私は(決してヒルティはそう望まないでしょうが)、
「神」を「大宇宙を貫く摂理・叡智」と置き換えて読ませてもらいました。
すると、何かわだかまりが解けたようで、
自分なりにさまざまなものが汲み取れるようになりました。
また、この本は、
生きるうえで、逆説的だけれども、
苦難や試練、不遇、不安等があればこそ、幸福を勝ち取り得る、
否、
大いなる目的の下に苦難や試練を乗り越えることが幸福そのものである
という思想が基底となっています。
したがって、現在・過去において、
何かしらの苦難や試練、失敗、挫折、修羅場などをある程度経験していないと
この本の言っていることは、心の琴線に触れてきません。
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ですから私は、この本を、
自分が何かしらネガティブな状況に陥ったときに読むものとして
お勧めしたいと思っています。
「先が見えない」、「もうガマンの限界だ」、
「どこかへ逃げ出したい」、「なぜ、事が裏目裏目に出るんだ」、
「この世には神も仏もない。自分にはとかく運がないんだ・・・」、
「なぜ、あんな輩ばかりが世間で成功していくのか」などなど――――
そんなときに開けるといいかもしれません。
イケイケドンドンで、調子のいいときは、
別の景気のいい軽快な本を選べばいいと思います。
さて、私が選ぶ
ヒルティの思想をよく表していると思われる言葉は、
例えば次のようなものです。
・「真の仕事ならどんなものであっても必ず、
真面目にそれに没頭すれば、間もなく興味がわいてくるという性質を
もっている。人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、
創造と成功のよろこびである」。
・「まず何よりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。
仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、
結局一番むずかしいことなのだ。
一度ペンをとって最初の一線を引くか、あるいは
鍬を握って一打ちするかすれば、それでもう事柄は
ずっと容易になっているのである」。
・「働きの徳は、働く人だけが真に楽しみと休養の味わいを知りうる
ことである。先に働いていない休息は、
食欲のない食事と同じく楽しみのないものだ」。
・「人生における真の成功、すなわち、人間としての最高の完成と、
真に有用な活動とに到達することは、
しばしば外面的な不成功をも必然的に伴うものである」。
・「絶えず成功するということは、ただ臆病者にとってのみ必要である」。
・「人格の深み、また、われわれが多くの人にすぐ気づく
ゆったりした気風、これは立派に不幸に堪えてきた人にのみ
そなわるもので・・・(中略)・・・不幸のうちにどのような力が、
どんなに深い内的幸福が、ひそんでいるかを自ら経験しなかった者には、
その本当の意味は絶対に分かりはしない」。
・「これとは反対に、いわゆる不断の幸福をもつ人たちは、
必ずどこかちっぽけな、平凡な感じがつきまとうものだ。
・・・彼らはこのお守り(幸福)を失いはすまいかと、
いつもびくびく暮らしている。
ところが、不幸になれた人は、
最後には気高い落ち着きを得て、苦難に直面しても元気を失わず、
しばしば進んで苦難を迎えようとさえ望むようになる」。
・「悪い日がなかったら、たいていの人は決してまじめな
思想に到達することはないであろう」。
・「すぐれた文学、同様にまた、ほんものの芸術はすべて、
苦悩から(情熱からではなく)生まれる。
苦悩がなければ、深さを欠くことになる」。
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「疲れの時代」、「迷い・惑いの時代」にあって、
世の中のあちこちで、「癒し」が求められています。
しかし「癒し」は、疲れ・迷い・惑いに対する根本解決には
なりません(当面の対症療法的な効果はあります)。
根本的な解決は、いい言葉が見つかりませんが、
「叱咤激励」にこそあると思います。
ヒルティは、この本を通し、厳父・慈父のような存在です。
現代社会は、子供や若い世代を叱咤激励する父性の存在を著しく欠いています。
自分がネガティブな状況に陥っているとき、ともすると、
「癒し」などという甘やかしと紙一重のところに逃げ込んで、
そこに留まる人がいます。
そうではなく、そういうときこそ、
ヒルティのような厳父の一言を吸収して、
たくましく立ち上がる生命力を湧かせねばなりません。
ここの分岐点は、生きていく上で、非常に大きな一点でありますが、
ここだけは、他の誰でもない
自分自身が引き受けなくてはならない一点です。
私もそういうときに、幾度か、この本に助けられてきました。