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2008年5月22日 (木)

創造拠点としての田舎

【信州・小淵沢発】


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八ヶ岳中央農業実践学校から初夏の八ヶ岳を望む

5月の連休明けから、高原は本格的な緑の季節に入る。

このころになると私は山に行きたくなってしようがない。

山の空気に身を浸して、そのまま身も心も溶かしてしまいたいと思うのです。


去年は軽井沢に滞在して、いくつかの仕事を片付けましたが、

今年は小淵沢と蓼科に拠点を押さえました。

春の沖縄で仕込んだ単行本の企画が進み、

今回はその本文の執筆に勤しみたいと思います。


滞在宿の窓を開けると、新緑薫る爽やかな風と音が遠慮がちに

部屋の中にあふれてくる。

BGMは特に必要ありませんが、私は時々、

PCのハードディスクに落としてあるヨーヨー・マのバッハを流します。

旧ソビエトの指揮者・ロストロポーヴィチは、

「バッハの音楽は、まるで草木をみるようだ」と語りましたが、

まさに今、そのことがよくわかります。


◆「複眼」を持った生活

私も会社勤め時代の最後は、

東京の湾岸エリア・豊洲の高層ビルで働いていました。

オフィスフロアからは遠くにレインボーブリッジを見渡すことができ、

また業界特性から最新のIT情報に囲まれながら、

戦略を練り、交渉ゲームをし、数々のパーティーにも顔を出し、

さも、カッコヨク、ビジネスパーソンをしていました。


しかし、そんな会社人生活をやめ、独立して5年。

今では、そんなカッコイイ仕事場環境ではなくなりました。


自宅オフィスのある東京・調布は、田んぼの中にあり、

ちょうど今時期は、カエルの鳴き声とともに仕事をしていますし、

今回のように山に仕事キャンプに出れば、

山の陽射しや雨、枝葉のざわめきとともに仕事をしています。


しかし、仕事の分野が特段変わったわけではありません。

豊洲にいたころも人財育成分野の仕事ですし、今もその分野の仕事です。

こうして郊外や田舎に仕事場を移してやっているものの

顧客のほとんどは首都圏にいて、営業や研修実施があればそこに出向きます。

仕事の意識も競争の中心地である東京に向いています。

それはそれで、私にとって、緊張感のある気持ちのいいものです。


ただ、それが常態化すると、気持ち悪くなるんでしょうね。

息が詰まってくる。


東京(都会)は、「刺戟と効率のスピード」・「処理と競争」の世界です。

一方、田舎(地方)は、

「退屈と自然のリズム」・「思索と耕作」の世界です。

(退屈とはポジティブな意味で使っています)


今の私は、この2つを適宜組み合わせながら働くことで

カッコヨクはないけれど、

平静で快活な生活を手にすることができています。

(完成型にはまだほど遠いですが)


「東京で仕事を発散し、田舎で仕事を仕込む」――――この2種類の生活が、

私に「複眼」を持たせ、ものが立体的によく観えてくるんだと思います。


東京だけの生活は単眼的で見失うものが多い。

だから、山や島にこもって、仕事の思索と耕作をする機会を持つ。


◆田舎こそ「鍛錬・創造・攻めの場」

一般的に田舎は、都会で疲れた心身の癒しの場、消費レジャーの場、

あるいはリタイヤ後の安住の場としてみられることが多い。

しかし、私にとっての田舎は、

思考鍛錬の場であり、創造の場であり、

現役の仕事をバリバリやる攻めの拠点でもあります。


喧騒とした都会に縛られることなく、

田舎のたおやかさ、おおらかさを取り込む生活。

また、田舎の保守風土に引き込まれることなく、

都会の変化刺戟を受け取る生活。

私のハイブリッド・ライフはまだまだ始まったばかりです。

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