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2009年1月29日 (木)

“自由”であることの負荷

Img_0166_2【沖縄発】
先週末から沖縄・本島に短期滞在しています。

昨年3月末に「春の仕事キャンプ」を張って以来、10か月ぶりの沖縄です。
今回も休み半分、仕事半分・・・といいますか、
私の場合、
「仕事と遊び」、あるいは「働くことと休むこと」の境目はなく、両者が和合している『ライフワーク・ブレンド』の状態なので、
まぁ、気が向けば仕事をするし、
ときに気が向けば観光するし、
また、その出かけた足で、移住場所の土地探しもやるといった
“行き当たりばっ旅”な過ごし方をしています。

先週末から、沖縄は数日間、寒い日が続きました。
ですが、月曜日からようやく気温が上がり始め、
昨日、今日は20度Cを超えてきて、
薄着でもいいような陽気になっています。

そしてすでに始まった「桜祭り」。
写真は、本島北部にある今帰仁城址で撮った1枚です。

* * * * * * *

さて、日本人にとって、沖縄といえば、今では観光地としての顔が濃くなっていますが、
忘れてならないのは、沖縄が“祈りの地”であることでしょう。
沖縄平和記念公園、ひめゆりの塔に出向くたびに
戦争に駆り出され、命を散らしていった若い男女のことが想い出されます。
(合掌)

狂気の中で狂気を強要された時代、
当時の青年たちに「自由」などというものはなかった。

さて、それから、約60年以上が経ち、世は平成ニッポンの時代。
現在の私たちには、自由が溢れるほどあります。
これは過去の人びとが苦労して獲得してくれた賜物なのですが、
そんな歴史的認識や恩などは、ほとんどの人の頭から抜け、
「自由であること」が空っぽになり、重荷にすらなっているように思えます。

「やりたいことがわからない」、
「どう生きたいか特に希望はない」、
「とりあえずこの会社に入ったが、あとは何となく生きている」
・・・などなど、
目の前には自由という大海原があるにもかかわらず、
漕ぎ出すことができない(しない)で、浜辺でうろちょろしている場合が多いのです。

ピーター・ドラッカーは次のように言います。
「自由は楽しいものではない。それは選択の責任である。楽しいどころか重荷である」。
(『ドラッカー365の金言』より)

また、エーリッヒ・フロムもこう指摘しました。
「(近代人は)個人を束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、
個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、感覚的な諸能力の表現という
積極的な意味における自由は、まだ獲得していない。
・・・かれは自由の重荷からのがれて新しい依存と従属を求めるか、
あるいは、人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの
二者択一に迫られる」。

(『自由からの逃走』より)

学びたいものは何でも学ぶことができる、
なりたいものには何でもなることができる
(もちろん、そうなる努力と運をつかんでのことですが)
――――こういう自由な環境下にありながら、
なぜ、私たちはそれを敬遠してしまうのでしょうか。

その大きな理由の一つは、自由には危険やら責任やら判断やらが伴うので、
そのために大きなエネルギーを湧かせる必要があるからでしょう。
人は、自由そのものを敬遠しているのではなく、
それに付随する危険や責任、判断、エネルギーを湧かすことに対して、
面倒がり、怖がっていると考えられます。

選ばなくてすむといった状況のほうが、基本的にラクなのです。
確かに、日常生活や仕事生活で、大小のあらゆることに対して、
事細かに判断をしなくてはならないとしたら、面倒でたまりません。
多くのことが、自動的に制限的に決められて流れていくことも場合により望ましくあります。

しかし、人生に決定的な影響を与える職業選択において、
その自由を敬遠するのは、一つの怠慢や臆病にほかならないでしょう。

今の日本は、平和と経済的繁栄の代償として、
個々の人間の生きる力の脆弱さを招いてきました。
この脆弱化の進行は決して見過ごすことのできない問題です。

また、この脆弱化の別の現れ方として、
昨今のマネーゲーム的資本主義の暴走もあります。
「市場は自由の下でこそ最善に機能する」という黄金律を誰もが安易に信じ込んだ結果、
市場は実物経済を離れ、マネーがマネーを膨らませるという野放図に陥った。

こうした自由の履き違えが起こるのも
根源的には、欲望を自制できない個々の人間の脆弱さにあります。

「~からの自由」に甘えることは簡単ですが、
「~への自由」を獲得することは何とむずかしいことか。

フロムの指摘が、いまなお鮮明に私たちに投げかけられています。

私は人財教育という分野をライフワークにしようと決めましたが、
私が目指す教育は、一般によく言われる
「キャリアデザイン研修」とか「就労意識教育」などという
薄っぺらいものでありたくはない。

働く観や生きる力を、どのようにしてたくましくできるかという
人間づくり(ひいてはそれが国づくり・世界づくりにつながる)の視点にもぐって
やりたいと考えています。

---こういう心持ちに自分をリセットできることが、
沖縄の地で得ることの最大のものかもしれません。

Img_0269

*沖縄平和記念公園の高台から春の海を望む

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