転職は会社への裏切りか!?
●新著発売!●
いよいよ新著が書店に並び始めました。
おかげさまで、版元様(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の営業の方々のご努力や、書店様の協力によって、いい場所に置いていただいています。
出版不況とはいえ、日々刊行されてくる単行本の量は過剰ぎみですから、あの一等地の棚に平積みされるのは、ほんとうにごく一部のタイトルなんですね。
今回の私の本とて、動きが悪ければ、一冊を棚刺しにして、あとは返本という現実も覚悟せねばなりません。
いずれにしても、「いい内容の本を書いたんだから、自然と売れるだろう」は、
書き手の勝手な思いであって、
いまは「読まれるための努力や仕掛け」が不可欠な時代です。
私も今回いろいろな方の応援で押し上げてもらっています。
ディスカヴァーの干場社長にも、社長室ブログでエールをいただいています。
(→こちら)
*店舗写真は「TUTAYA ROPPONGI」
お店に撮影許可をいただいています
●元の会社社長のもとへご挨拶●
さて、きょうの本題「転職は裏切りか!?」への前振り話題です―――
きょう、新著を携えて、私が最初に就職したプラス株式会社に行ってきました。
要件は、今泉公二社長への面会です。
私のプラス勤務時代は大学上がりたての一商品開発部員。で、今泉社長は当時、商品開発本部長。
組織内の役職としてはかなり差があるのですが、当時からよく面倒をみていただきました。
私は、結局3年でプラスを去るわけですが、
私の転職目的がある夢に根差したものであることを理解くださり、
「修行して、いつでも帰って来い」というような感じで送り出してくれました。
ちなみに、私の当時の直属の上司(商品開発部長)は、岩田彰一郎さんで
その後、アスクル株式会社を立ち上げられました。
今泉社長にしても、岩田アスクル社長にしても、
いまだに私が本を出すたびに喜んでくれ、励ましてくれます。
いまだに、いい関係が保持されています。
人間関係が個人レベルで結ばれていれば、
転職は特段支障になることはありません。
もし、転職で関係が途切れてしまうのであれば、
その関係は、単に仕事上の結びつき、労使の契約上の関係だったのでしょう。
現状の私の仕事と、プラスやアスクルの事業とは接点がありませんが、
常に私は目に見えない絆引力でプラスという会社をある距離で周回しています。
もし具体的な仕事面できっかけができるや否や、恩返しをするスタンバイはいつでもできています。
転職して出た会社と自分との関係は、こういう感じでいいのだと思います。
◆「永遠の誓い」か「一時の目的共有」か
私は、人と人、もしくは人と組織との関係において二つのタイプがあると考えます。
それは、
・「永遠の誓い」関係と
・「一時(いっとき)の目的共有」関係です。
結婚は前者の典型で、
自分と学校とは後者の関係に属します(人生のある期間、修学目的を共有するという解釈)。
転職に何か会社への裏切り行為のようなネガティブなイメージが付きまとっているのは、
戦後の高度経済成長期から慣行としてきた終身雇用制の下で、
労使間が暗黙のうちに
結婚にも似た「永遠の誓い」関係を前提にしてきたからなのでしょう。
つまりそこでは、別れは約束破りであり、悪であるという意識が芽生えるわけです。
ですが、世は平成に入り、会社と働く個人の関係が変わり始めました。
会社も終身雇用を言わなくなり、ヒトは流動するものと認識が変わってきました。
現在のビジネス社会では、会社とその従業員は、
ある期間、事業目的を共有して利益活動をするという関係でとらえる部分が大きくなりました。
ですから、ある目的を終え、次の目的が互いに共有できなくなれば、
ヒトがそこを去っていくのはやむかたなしと肯定的な流れになっています。
IBMやアクセンチュア、リクルートといった企業は
人財輩出企業として有名で、転職者が多い。
そしてその企業OBOGたちは、有形無形、直接間接に
自分たちが巣立った会社と関係を持ちながら、業界全体を育てている事実があります。
彼らの意識においては、個人と企業の関係は、「永遠の契りを結ぶ男女」関係というよりも、
「学生と学び舎(学校)」の関係に近いのでしょう。
在学中はその学び舎で一生懸命勉学に励み、いったんは卒業しても母校として懐かしみ、
恩義を感じる。そんな感じの関係です。
私が元の会社のプラスに戻っていけるのは、そういう感覚がはたらいているからです。
「よい転職」というのは、会社への「裏切り」ではなく、「巣立ち」です。
転職後も、元の会社や元の上司・仲間たちと良好な関係を維持することは全く可能なことです。
その会社に恩返しできることもたくさんあるでしょう。
ですから、自分の目的がはっきりしているのであれば、
転職に罪悪感は不要です。