私は「理解」を売っています ~情報は理解されてこそ力を生む
人は、自分自身だけで変わることは難しい。
確かに、自分を変えていく主体はまぎれもなく自分なのですが、
人が変わるには、触媒が要る。
触媒とは、人との出会いであったり、本との出会いであったり。
そんな意味で、きょうは私の人生・キャリアのコースを変えた最大級の触媒の1冊―――
Richard Saul Wurman著『Information Anxiety』 (1989年刊行)
(翻訳本:『情報選択の時代』松岡正剛訳)を取り上げます。
1992年、私はビジネスジャーナリズムの端っくれとして、ビジネス雑誌の記者をしていた。
記者生活丸3年を過ぎ、年齢も30歳。
仕事盛り、生意気盛り、
自分の名刺には「日経:NIKKEI」の文字もあって取材アポは易々と取れ、
向かうところ怖いものなしで、ガンガン取材に出歩き、記事を書いていました。
そんな折、ワーマンのこの著作に出会った。
ワーマンは、自身を“Information Architect”(情報建築家)として名乗っている。
それが第一に新鮮でした。
紙面にはこんな単語があった―――
“INFORMATION EXPLOSION” (情報爆発)
“INFORMATION ANXIETY” (情報不安症)
“UNDERSTANDING BUSINESS” (理解ビジネス)
そして、こんな一節―――
「毎週発行される1冊の『ニューヨーク・タイムズ』には、
17世紀の英国を生きた平均的な人が、
一生のあいだに出会うよりもたくさんの情報がつまっている」。
「私がフィラデルフィアに住んでいた子供のころ、父はこう教えてくれた。
エンサイクロペディア・ブリタニカの内容を暗記する必要はない。
そこに書かれている内容を見つけだす方法を身につければいいんだ」。
「私が、1エーカーは4万3560平方フィートだ、と言ったとしよう。
これは事実として正しい。
しかし、1エーカーがどのくらいのものかは伝わらない。
これに対して、1エーカーとは、エンドゾーンを除いた
アメリカンフットボールのフィールドと同じくらいの広さだ、と言ったとしよう。
これなら、正確さという点では劣るが、聞き手に理解させることには成功している」。
さらに極めつけは、紙面で紹介されている一つの図。
イェール大学のエドワード・タフテ教授が描いた『ナポレオンの行進』というチャートです。
(→現在、このサイトで詳細図が見ることができる)
このチャートには次のような説明が付けられている。
「上の線図は、歴史と地理的な要素が混じっためずらしい地図だ。
これはナポレオンの軍隊のモスクワ遠征の往路とフランスへの帰路を示したものである。
グレーの部分はモスクワへの道筋、黒は帰路を表す。
線の厚みは旅の間の各地における軍隊の人数を示す。
ここには人員の消耗度がはっきりと表れている。
いちばん下には気温が記録されており、帰路の冬の気候が実際にどんなに苛酷だったかがうかがえる」。
このチャートを最初に見たとき、私は息をのんで固まってしまったことを覚えている。
ナポレオンのモスクワ遠征が、無謀で過酷な出来事であったことは知っていたが、
その状況を、どんな文章より、また、どんな写真より、この図は鮮明に表している。
表しているというより、私たちに具体的な“理解”を与える。
(写真が与えるのは、“印象”であって、“理解”ではない)
* * * * *
私はこの本を読んでからというもの、「情報」というものに非常にセンシティブになりました。
出版社で雑誌の編集という情報ビジネスに携わっていながら、
実は、「情報」のことを深く考えずにやっていたことを自覚した。
当時は、ともかく、面白いネタを刈り取ってきて、文章に書き起こし、
写真を添えれば、それなりに読まれる記事になり、雑誌になったのです。
「情報商品は鮮度と切り口さ」と、幼稚な哲学で悦に入っていたのかもしれません。
情報の本義は、「情報の受け手に力を与えることだ」とワーマンは言う。
力を与えるためには、その情報が“理解”されなければならない。
情報量が爆発する(増大する、ではない!)時代にあって、
情報をつくり出す人間はごまんといるが、
情報を理解させようとする人間は、一気に少なくなる。
「これから自分が採るべき方向は、情報を“理解させる仕事”や。
情報をつくり出すのは猫も杓子もやれる時代になる。
けど、情報を理解させることは誰もがやれる仕事ではない」―――
自分の針路が変わった一瞬でした。
93年-94年は、まさに、ワーマンの言った情報爆発が現実として感じられた。
パソコンでは、Macintosh が「ClassicⅡ」から、
「LCシリーズ」「Centrisシリーズ」、そして「Quadraシリーズ」として展開され、
ハードディスク容量も目まぐるしく増加していく。
そして94年には、ブラウザの『Netscape Navigator』がリリースされ、
現在のように、ワールドワイドウェブから、無尽蔵ともいえる情報が
机上のPC画面に投影される状況になった。
まさに、一般人の誰もが、情報のつくり手となって、それをネットに放てる時代、
結果、情報量が爆発する時代に突入した。
ボイジャー社は『エキスパンドブック』を発刊し、PC画面で読む電子書籍が普通になった。
(私は、ビートルズの『A Hard Days Night』を買って何度も観た)
また、アラン・ケイほか著『マルチメディア』(浜野保樹訳、岩波書店)というタイトルの本も出され、
今では、「なんだ、マルチメディアか」ですが、
当時は、言葉も新しかったし、予見に富み、時代の熱を帯びた内容で
これにも多くの刺激を受けました。
* * * * *
そして私は、94-95年と「情報の視覚化」を研究テーマに、米国に留学した。
留学先に選んだのは、
ドイツの機能主義的デザイン運動「バウハウス」の教育思想の流れを汲む
シカゴのイリノイ工科大学院「インスティチュート・オブ・デザイン」。
私がやっていたのは、例えば、
日経朝刊の一面記事を1枚の図に表すとどうなるか。
あるいは、
あいまいなコンセプトを、どう具体的な理解イメージに置き換えることができるか。
例えば、フランスの哲学者ベルグソンの言葉に、
「生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある」(『創造的進化』より)
がありますが、これを私なりに図化したのが下です。
私は、この本との出会いで、
「情報のつくり屋」から、
「情報の理解促し人」へと、キャリアのコースを変えた。
今では、さらに考えを進化させ、分野を絞り込んで
「働くとは何か?の理解促し人」→「働くとは何か?の翻訳人」を
自身の職業の定義としている。
あなたは「何を売ってるのですか?」と問われれば、
「私は“理解”を売っています」と答えるだろうし、
願わくば、その理解を通して、
働くことへの「力を与えたい」、「光を与えたい」と勝手に思っている。
【関連リンク】
○リチャード・ソール・ワーマンのサイト
http://www.wurman.com/
○ワーマンの仕事のひとつ『Understanding Healthcare』
http://www.understandinghealthcare.com/toc.php4
○エドワード・タフテのサイト
http://www.edwardtufte.com/tufte/index
○情報デザイナーとして活躍する一人、ナイジェル・ホームズのサイト
http://www.nigelholmes.com/