« 仕事とは 価値創造:その3種類 | メイン | 楽観主義は身を救う »

2009年7月17日 (金)

価値創造回路の広がりと深み

前回の記事では、
仕事とはインプット→スループット→アウトプットのプロセスで
価値を創造していく行為だと言いました。
そして自分が持つもろもろの能力や意志は
その価値を創造する回路みたいなものだとも言いました。

きょうはその回路をさらに詳しくみていきます。

◆「みて」→「かんがえて」→「かく」の流れ
まず、価値創造回路を上から平面的にみたのが下図です。

01_2

自分の中の回路は、おおむね3つの部屋に分かれて広がっていると私はみます。
(といっても実際はこういう間仕切りはなく能力として渾然一体としています)

さて、上流では主に、これから仕事を成そうとするモノやコトの情報や状況を
自分の回路に取り込むための能力が使われます。

例えば、私たちが何かモノを加工する場合、まず、原材料になる素材を入手します。
そして、その素材の状態を「みたり」、「ふれたり」して、
どういう加工方法、工程がいいかの判断材料にします。
また、お客さんがどういうモノに仕上げてほしいかの要望を「きき」ます。

一方、自分が何か知的業務で情報を加工する場合には、
やはり素材となる基情報を「よんだり」「きいたり」して、
どういう情報にまとめていくかの材料にします。

このように、仕事という価値創造は、まず、認知や摂取、受信からスタートします。

次に、その自分が取り込んだものを「わかったり」、「かんがえたり」、
そして「きめたり」、「おぼえたり」するという中流過程があります。
わかりやすくいえば、理解や編集、決定、記憶のステップです。

そして、下流過程として、「かく」「いう」「だす」「つくる」などの、
製作、表現、発信があります。
ここで自分の回路から出されたものが、
アウトプットとして他人の目に触れる形になります。

なお、ここで上流、中流、下流といっていますが、
回路の中でさまざまな能力がはたらく流れは、上流から下流への単調な一方通行ではなく、複雑に行ったり来たりするのが常です。

◆「見る」と「観る」の深さの違い
以上が、自分の中の価値創造回路を上から平面的にみたものです。
では次に、この回路を斜めから眺め、立体的にとらえていきましょう。

02

この図のエッセンスは、
私たちの「みる」や「かんがえる」といった行為には深さがあるということです。

例えば、私たちが何かを「みる」場合、
単純に目に映る対象を「見る」こともあるし、
その目に映る対象の奥に、何かの原理や原則を「観る」こともあります。

例えば、普通人はリンゴが木から落ちるのを「見る」だけですが、
ニュートンはそこに万有引力を「観た」わけです。


同じように、単に情報を耳に入れるだけなら「知る」ですが、
それをみずからの経験や他者からの助言などと照らし合わせ高度な情報に精錬させれば、
それは「識る」「智る」になります。
情報はその接し方によって、データにも知識にも知恵・叡智にも変容します。

また、「かんがえる」にも深さがあります。
物事の表層をなぞるだけの「考える」もあれば、
その奥底の本質まで「なぜだ?なぜだ?」と探りを入れて洞察する「考える」もあります。

「つくる」も深みにさまざまあるものの代表格です。
安易に他を真似て「作る」レベルもあれば、
これまでにない独自の発想で「創る」レベルもあります。

また、職人の世界では、ものを加工する場合、
実に多くの技を状況に応じて使い分けします。

例えば、腕の立つ金属加工の職人たちの間では、鉄を「けずる」場合、
「削(けず)る」、「挽(ひ)く」、「切(き)る」、「剥(へず)る」、
「刳(く)る」、「刮(きさ)ぐ」、「揉(も)む」、「抉(えぐ)る」、
「浚(さら)う」、「舐(な)める」、「毟(むし)る」、「盗(ぬす)む」など、さまざまあります。


一般素人であれば、一緒くたで削ることしかできないことも、
職人は一段深いレベルで多種多様な能力を発揮し、「けずり分ける」のです。

◆「知る-わかる-できる-教える」のレベル差
さらには、上流・中流・下流といった部屋の壁をまたいだレベル差も考えられるでしょう。
「知る」→「わかる」→「できる」→「教える」がそのひとつです。

例えば、陶芸について何らかの能力があるといった場合、
焼きものの製法や歴史を「知る」というレベルが第1、
第2レベルは、なぜその製法がよいのかという化学的、実践的な裏づけまで「わかる」というものです。
そして、第3として、実際、自分でロクロを回して、窯で焼くことが「できる」レベルとなり、
第4に、それらすべてを他人に「教える」ことができるとなります。

03

◆自分の回路を広げるために
私たちは優れた仕事をしようと思えば、
自分の価値創造回路をふくらみをもったものにしなくてはなりません。

この回路は、これまでみてきたように平面的な広がりと立体的な深みを持っています。
ある仕事を成すために、能力を多種多様に組み合わせよう、
足りない能力があれば習得して自分に増やそうというのは、
回路の平面的な面積を広げようとする努力です。

また、能力を深い次元ではたらかせてみたいというのは、
回路に立体的な深みを出そうという努力です。

こうした、広がりへの張力、深みへの引力を自分に与えてくれる源泉は何でしょうか?

それこそが、働きがいであり、夢や志です。
人はその仕事の中に、充分な意味や意義、
無償でも楽しみたいとする興味・関心、使命感にも似た目的意識があれば、
自発的努力を惜しみません。

そのとき、誰に言われることもなく、自然と「見る」から「観る」へ、
「知ろうとする」から「識ろうとする」へ、
「ぼーっと聞く」から「研ぎ澄まして聴く」へ、
「文句の出ない程度に作る」から「他人があっと驚くほどのものを創り出す」へと
自分の中の価値創造回路を「縦・横・深」に膨らませることができるのです。

「好きこそものの上手なれ」とはまさにこのことを言い表したものでしょう。

私はこうも言えると思っています。
―――山(夢/志)高ければ裾野広し。山高ければ谷深し。

*詳細の議論は、拙著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』で。

過去の記事を一覧する

Related Site

Link