「計画された即興」
(鎌倉にて-1-)
昨日、昼食をとりながら何気にテレビを点けたら、
ちょうどNHK(衛星第二)で興味深い番組に当たった。
米国の映画監督ジョン・フォード(1894-1973)の魅力を追ったドキュメンタリー作品
『映画の巨人 ジョン・フォード』です。
彼はアカデミー賞史上ただ一人「監督賞」を4度受賞している伝説の監督です。
彼に影響を受けたマーティン・スコセッシ監督やスティーブン・スピルバーグ監督、
クリント・イーストウッド監督をはじめ、
ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ジェームズ・スチュワートら大御所俳優が、
フォード映画の魅力と、撮影現場でのエピソードをさまざまに語っていきます。
それらが実にうまく作ってあります。(おまけにナレーションはオーソン・ウェルズ)
加えて、フォード監督のインタビュー映像(すごくイイ!というか彼自身の荒くれキャラがイイ!)も
すごく楽しめるものでした。
で、その中で、フォード監督は徹底的に「テイク1主義」だったという箇所が出てきます。
通常、監督の多くは、その場面のカットを数回撮って最終的に一番いいものを映画に使いますが、
フォード監督は、ほとんど「テイク1」を使ったということです。
彼は「テイク1」の何が起こるか分からない展開と緊張感こそが
結果的に一番いい画を生み出すという確信をもっていました。
「テイク2」以降は、緊張感がなくなり、役者も予定調和的になってくるからダメだというのです。
フォード映画で主役を何度も演じたジェームズ・スチュワートは次のようなことをコメントしていました。
彼はリハーサルと呼べるものをやらない監督だった。
一度セリフの読み合わせを静かにやる程度で、すぐにもう「テイク1」に入ってしまう。
「テイク1」は、言ってみれば“planned improvisation”=「計画された即興」を役者に強いる。
しかし、それこそがフォード映画の魅力をつくりだしたのではないかと。
(以上、番組を流し観てますのでおおまかな内容の掴みです)
私はこの“planned improvisation”=「計画された即興」という言葉を耳にしたとたん、
(ニュアンス的には「意図のもとの即興」としたほうがいいかもしれない)
米・スタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授が提唱したキャリア理論
『プランド・ハプンスタンス(planned happenstance)理論』が頭の中でリンクしました。
キャリアや人生は100%コントロールできるものではない。
揺らぎながら、ときに偶発的な状況を意図的につくりだし、それに対応しながら、
何かしら能動的な軌跡を描いて進んでいくものである。
(そういったことは、これまでも下のブログ記事で触れてきました)
○構え・撃て!狙え!
○偶発を必然化する力―――秋の読書4冊
まさにキャリア・人生は、「計画された即興」であると思います。
キャリア・人生途上での毎日の行いは「テイク1」の連続です。
(失敗したからといって、テイク2、テイク3はない)
(もちろん、失敗を取り返すチャンスは如何様にでもある。だがそれはあくまでテイク1として再挑戦することになる)
ここでのミソは、
キャリア・人生は、「計画された即興」であっていいのだということです。
単に、キャリア・人生は「即興」だ、と言ってしまうとそれは漂流リスクを負い過ぎる。
“計画された”が重要な箇所です。
この場合の“計画された”とは、
文字通り「計画・設計」であるにこしたことはありませんが、
もっとおおまかにとらえてよく、例えば、
・キャリア・人生について、方向性をもつ
・ 〃 想いを抱く
・ 〃 おおいなる意図をもつ
・ 〃 譲れない信条をもつ
・ 〃 自分のワークスタイル/ライフスタイルを追求する
・ 〃 気持ちの入るコンセプトを打ち出す
・ 〃 ライフワークテーマを掲げる
・ 〃 理想像を描く
・ 〃 あこがれモデルをもつ
・ 〃 献身できる分野を決める
こうした中で私たちは、ある意味、一日一日、一年一年を即興的に働き、生きていく。
しかし、おぼろげながらでも、“計画された”ものがあれば、
5年10年をかけて、その方向に進んでいける。
そして、ある時点で自分の来し方を振り返ったとき、納得感をもって
「自分の職業人生はこれでよかったのだ」「自分はこう生きたかったのだ」と思うことができれば、
それが、ほかでもない自分自身の「幸せのキャリア」を獲得したことになる。
(鎌倉にて-2-)