「プリズン・ドッグ」:受刑者更生プログラム
この「触発のカチッ!」と名づけたカテゴリーでは
私が生業としている人事・組織、人財教育、企業研修などとは違う分野
から受けた啓発材料・触発出来事を書いているのだが、
ここ最近、NHK番組が多い。で、きょうもたまたまNHK番組から。
ハイビジョン特集 『プリズン・ドッグ~僕に生きる力をくれた犬~』 を観た。
もちろん一視聴者として十分にじーんとくる番組だったが、
一職業人の目線からも十分に得るところが多い番組だった。
それはひとつに、教育方法の発想を広げてくれたこと。
もうひとつに、教育の目的は「自ら学ぶ力を育んでやること」という原点を強く再確認できたこと。
この番組のNHKの説明文はこうなっている;
「“犬と暮らす刑務所”がアメリカにある。
マクラーレン青少年刑務所を舞台に、犬の世話を初めて任され、
次第に人間らしい感情を取り戻していく受刑者の3ヶ月のドラマを追う」―――
この刑務所では、
捨てられたり虐待されたりした犬を受刑者たちがトレーニングして
(つまり捨て犬や虐待された犬は、それこそ人間や外界を極端に怖がって、
そのままでは飼い犬になれない状態にある)
新しい飼い主に引き渡すというプログラムを行っている。
青少年受刑者は、最初、1匹の犬を手渡される。
犬は怯えているだけだ。
挙動は異常だし、もちろんこちらの言うことなどきくはずもない。
しかし、受刑者たちは、その犬に自分の境遇を重ね合わせる。
受刑者は犬と辛抱強く触れあっていく過程で、
忍耐や、相手の気持ちに立つことや、信頼すること、相互が通じ合うときの喜びなどを
自然な形で感じ取っていく。
(こうやって言葉に落とすと野暮ったいのですが、映像では受刑者たちの微妙な表情がそれをにじみ映していました)
どの受刑者のどの犬も数カ月もすれば立派に飼い犬にして大丈夫なようにまで生まれ変わるもので、
犬たちは新しい飼い主(一般人の家庭)に引き取られていく。
(その引き渡しのときの別れのシーンが、番組上、クライマックスシーンなわけですが、
まぁ私は素直に目を赤くしました)
で、ここがアメリカ人のいいところなのだが、
新しく引き取り親になる一般の人(その家族の父とか子供たち)が、
ここまで育てあげてくれた受刑者に、直接肩をたたいたり、握手したりしながら、
「(ファーストネームを呼んで)いい仕事をしたね」「ほんとうに感謝しているよ」
なーんていう言葉を真正面からかけてやる。
受刑者にとっては、犬との交流もさることながら、
こうした最終的に人から感謝されることが決定的に重要な出来事になる。
そして、マクラーレン青少年刑務所では、さらにおまけの手間を運営側がかけている。
もらわれていった犬たちがその後どうしているかというので、
引き取り親からホームビデオの撮影テープを送ってもらい受刑者たちで視聴会を行うのだ。
受刑者たちの視聴するその表情たるや……
(あぁ、ここもまた、お涙クライマックス)
受刑者たちの更生心をさらにひと押しするここまでの手間、
この更生プログラムを走らせる施設、その背景にあるアメリカ社会の強い意思というものを感じた。
そのかいあって、マクラーレン青少年刑務所では、
このプログラムを受けた受刑者の再犯率は今のところゼロだと言う。
私もこれまでは、
疾病者のセラピー(療法)として、動物を飼育するとか植物を育てるなどのことは知っていたが、
受刑者の更生プログラムとして、犬を育てさせるという方法は知らなかった。
ネットで検索してみると、いわゆる 「プリズン・ドッグ・プログラム」 として
欧米を中心にいろいろな取り組みがなされているようである。
この番組を観て、この「プリズン・ドッグ・プログラム」が
教育(更生させるのもひとつの教育)プログラムとして再確認させてくれたのは次の3点。
○educationは「教育」というより、やはり「啓育」である。啓(ひら)き育むこと。
○「自学」「自助」「自立」……自ら学び、自らを助け、自ら立つ。
個々の人間のこうした力を啓き育む方法はいかようにでもある。
そして、この啓き育むことは、親、大人、社会の責務であるし、
自然の発露としてなされなければならない。
○(犬にせよ人間にせよ)心がつながる経験が最上の学びである