« 上司をマネジメントする〈5〉~「Big Picture」を共有せよ | メイン | 地・風・火・水―――能・観・志・人 »

2010年5月14日 (金)

留め書き〈010〉 ~「平安」という状態

Tome010 
    平安とは静止した状態ではない。
    二輪の自転車は前進することで安定する。


若者は、内向き志向で「おこもり消費」。
働き盛りは、疲れから身を守るためにいろいろな「癒し」探し。
リタイヤ組は、悠々自適な「趣味暮らし」。

誰しも、自分の心身、自分の生活に「平安」が必要である。
で、その「平安」って何だろう---?

安全地帯にこもって好きなことに時間を費やすのが平安だろうか?
種々のグッズやサービスで癒されるのが平安だろうか?
残りの人生を気楽に趣味に充てるのが平安だろうか?

もちろんそれらが悪いわけではない。
(私だって、そうするときがたくさんある)
しかしそれらから得られるのは、小さな平安・か弱い平安だろう。

人が、泰然自若と「自分の人生、これでよし」と肚が据えられるのは、
何か大きな目的の下に邁進しているとき、奮闘しているときだ。
苦労や障害は多いが、そこには大きな平安・図太い平安がある。

自転車は止まったとたん不安定になる。
ぐんぐん漕いで前に進んでこそ安定するものだ。
筋肉を使うしんどさと心地よさ、
向かい風を受けるしんどさと心地よさ、
そして景色が変わる面白さ。
力強く前進しようとする自転車の上でこそ、私は平安を感じる。


「毎日が休日というのは、地獄の実際的な定義である」
---誰かがそんな言葉を残していた。

「私は来客の応対ばかりしていると疲れる。仕事をすると元気になる」
---と言ったのはパブロ・ピカソだ。

また精神分析学者のフロイトは長生きするための秘訣をいくつかあげたが、
そのうちのひとつは、
---「朝起きて、やるべき仕事を持っていること」だ。

これらは単に仕事好き人間の言葉ではない。
ここで言っている仕事とは、必ずしも有給の職業・生業を指さない。
使命(文字通り、自分の命を使って行う)的なことがらを指している。

ほんとうの平安は、使命的な挑戦課題を見つけ、動いている最中にある。

そしてその挑戦課題に向かう自分を応援してくれる家族、仲間、同志がいれば、
なおいっそう平安は強まる。

悩みや困りごとがないから平安なのではない。
のんびりラクだから平安なのではない。
夢、志、使命という坂を上ることによって平安なのだ


 

過去の記事を一覧する

Related Site

Link