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2010年9月20日 (月)

「Design Thinking」という人財教育 〈上〉


Risona01 
リゾナーレ(山梨県・小淵沢町)にて



先日「こうきしん」さんのブログを拝見していたら、
今年から桑沢デザイン研究所が新しいコースを開校したという記事に遭遇した。
そのコースの名は、
『STRAMD スーパー戦略デザイン経営専攻』。
グラフィックデザイン界では大御所的な存在の中西元男さんや内田繁さんが
中心となって開設したという。

触れこみとしては、デザイン学校がつくったニュービジネススクールだ。
ビジネス・経営の教育は何もMBAを与える経営学大学院に限ったことではない。
アート・デザインの分野から経営を学ばせることもおおいにありである。
経営学の教育にどっぷり浸かった人間たちがマネジメントを占有するのではなく、
アート・デザインをバックグランドにした人間たちがマネジメント層に進出してくることで、
ビジネス・経営は新しい展開をみせるだろうし、現況の偏った流れを修正できる可能性も出てくる。

ダニエル・ピンクは、2005年に出した著書
『ハイコンセプト~「新しいこと」を考え出す人の時代』
(原題:“A Whole New Mind”)でまさにそのことを論じていて、今後、
アートやデザインの感覚・能力を持った者こそがビジネス現場で重要な役割を演じると主張する。

彼の論点を少しだけ引き出すと、
「情報の時代」はすでに「コンセプトの時代」に入っており、
この時代には左脳主導ではなく、右脳主導の資質を身につけることが重要である。
それを「6つの感性」としてまとめると;

 1)機能だけなく「デザイン」
 2)論議よりは「物語」
 3)個別よりも「全体の調和」
 4)論理ではなく「共感」
 5)まじめだけでなく「遊び心」
 6)モノよりも「生きがい」

……確かに、これらは経済・経営・商学系の教育では直接教えない要素ばかりだ。
その一方、これらはアート・デザイン系の教育とは直接的に馴染みやすいものである。

デザインとは、狭義には「意匠」(=装飾的考案)であるが、
いまではその意味が相当に広がりをみせている。
ちなみに1989年「デザインイヤー基本構想」に記された定義は次のようなものである。

 「 『デザイン』とは、人間の創造力、構想力をもって生活、産業、環境に働きかけ、
 その改善を図る営みと要約できます。
 つまり、人間の幸せという大きな目的のもとに、想像力、構想力を駆使し、
 私たちの周囲に働きかけ、
 様々な関係を調整する行為を総称して『デザイン』と呼んでいます。
 従って、『デザイン』は、私たちの日常生活を支える基本的な思想であると同時に、
 生活を基軸として技術、産業、地域、社会、国際社会を結ぶ重要なきずなとしての役割を
 果たすことが期待されているといえましょう」 
                        (「89年デザインイヤー基本構想」デザインイヤー・フォーラム事務局編)

デザインを上のような営みととらえれば、
デザインはもはやデザイナー、アーティスト、建築家だけの専門作業ではない。
1人1人のビジネスパーソン、1人1人の経営者、1社1社の企業が行うべき創造的挑戦である。

そうした流れも踏まえ、いよいよデザイン学校の中にビジネススクールができた。
(中西元男さんと桑沢デザイン研究所には賞賛を送りたいと思います)
中西さんは、開校記念のシンポジウムで「4つの人」を挙げた。


 市場のメカニズム
   ↑
 ・「数の人」 (売上、利益、規模メリット…)
 ・「理の人」 (理念、政策方針、行動指針…)
 ・「目の人」 (美、文化、感性価値…)
 ・「愛の人」 (人間愛、地球愛…ユニバーサル、エコロジー、サステナブルデザイン…)
   ↓
 社会のメカニズム


現状、ビジネス・経営は「数の人」が支配する世界となっている。
それに対し、中西さんは、本課程で「理の人・目の人・愛の人」を育て、
ビジネス界に輩出していきたい旨を語っている。
カリキュラムをみると、その強い狙いと意志をもって開校したことがよく伝わってくる。

私個人は、たまたま、2つの大学院(ビジネススクールとデザインスクール)を
経験しているので複眼的に見られるのだが、
現状のMBA教育は「数の人」養成のための偏りのあるプログラムだと思う。

リーマンショックの原因となったマネー資本主義の暴走や環境問題の深刻化を考えるにつけ、
誰しもが、このまま「数の人」にグローバル経済のマネジメントを任せていいのか、
という疑心暗鬼がある。
だからそのカウンター勢力として「理の人・目の人・愛の人」の台頭が
ビジネス・経営をどう変えていくことができるのか、私たちが期待を抱くのはその点だ。

しかし、ことはそう簡単ではないかもしれない。
ビジネスは基本的に「陣取り合戦」であり、
そこを貫くのは経済原理(損か得か)である。
ここで皆は、生きるか・生き残れないかの戦いをやっている。

一方、アート・デザインは「表現活動」であり、
そこにあるのは個々の主観的な美の価値である。
美しいか・美しくないかが問われるものの、
美しくなくとも生き残ることはできる(むしろ美しさ追求は生き残りに負担をかける)。

強力で明快な経済原理に比べ、個々の主観的な美的価値はいかにも脆弱であいまいだ。
「美でメシが食えるか」と言われてしまえば黙することしかできない。
しかし、私たちは美(善を行うことも美に含まれる)を取り戻さねばならない時に来ている。

もとより中西さんは「4つの人」として区分けしたが、
これは一人の人間が内包する4要素でもある。
数の価値に偏重した私たち現代人の一人一人が、その内に、
理の価値、美の価値、愛の価値を増幅させ、
トータルなバランスを取ることができるのか、それが問われていると言ってもよい。

ふり返ってみれば、松下幸之助や本田宗一郎など超一級の経営者は、
数の人であるのみならず、理の人、美の人、愛の人であった。
私たちの理想は、一人の人間が、その内で数・理・美・愛の価値を統合させながら、
「善」を行う志向と能力を備えた人である。
そんな人を育む教育とはとても難しいものだ。

この桑沢デザイン研究所の『STRAMD スーパー戦略デザイン経営専攻』には先行例がある。
米国スタンフォード大学の『d.school』である。
(国内では東京大学に『i.school』というのが開設された)
次回記事はこの『d.school』について詳しく書こうと思う。

 

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