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2011年1月 2日 (日)

仕事とは「IN→THRU→OUT」の価値創造である


前回の記事で、

私たちは動植物の生命をいただきながら自分たちの生命を維持し、
個々さまざまに仕事を成すことができる、と書いた。
きょうはここから話を展開し、
仕事とは何か、そしてこの世界をつくりだすものは何か、について考えてみたい。

◆仕事とは「IN→THRU→OUT」の価値創造である
「仕事とは何か」の定義についてはさまざまに行うことができるが、
私はここで、「INPUT/THROUGHPUT(以下THRUPUT)/OUTPUT」の3語でそれを考える。
下図はそれを表したものである。


Introut01 


端的には、
「仕事とは、何かをINPUT(入力)し、THRUPUT(処理・加工)し、
何かをOUTPUT(出力)する価値創造である」と言える。

詳しく説明しよう。
まず、私たちが自分の仕事を振り返るとき、
それはさまざまなもののINPUTによってなされていることがわかるだろう。
例えば私がこの記事を書くにあたって、
他の人の著作や、他の人が整理した情報を吸収している。
他の人の著作は、さらに言うと、誰かが編集・製本・刊行・販売してくれたもので
間接的にそれらの人たちの知識や労働も取り込んでいることになる。
また、私はこうした自己啓発的な記事を書くにあたり、
自分に啓発を与えてくれたさまざまな人間の精神エネルギーも受けている。
さらには、世の中の流れを感受して、
こんなような内容の記事が必要だろうと思って書いている。
そして、当然ながら、こうした執筆仕事をするには
よく考え、よく動けるための健康な身体がいる。そのためによく食べる。
食べるとはすなわち 動植物の生命を摂取するということだ。

このように私たちが行う仕事は、まずINPUTすることから始まる。
何をINPUTするかといえば、知的な素材、精神的な素材、物的な素材である。
それは例えば、
 ・他者が行った仕事(作品・サービス等)
 ・他者の想い
 ・環境(自然・世の中)からの啓示
 ・(生産のための)原材料
 ・動植物の生命  
……といったものである。

次に、こうしてINPUTしたものを私たちは、
もろもろの能力、自らの価値観を基にした意志、そして身体を用いて
処理し、新しい価値を生み出そうとする―――これがTHRUPUTの過程である。
このTHRUPUTは個々それぞれが持つ、いわば価値創造回路のはたらきによるもので、
仮にまったく同じものがINPUTされたとしても、
人によってTHRUPUTとその後のOUTPUTは異なる。

さて、そうした「能力×意志×身体」による固有の価値創造回路を経て、
私たちはOUTPUTを行う。
何をOUTPUTするかといえば、知的な成果、精神的な成果、物的な成果である。
それは例えば、
 ・自分が行う仕事(作品・サービス等)
 ・自分の想い
 ・自分の人格
 ・自分の身体     
……といったものである。

OUTPUTするものは、目に見える具体的なものに留まらない。
優れた芸術作品にはその作者の執念や美意識がいやおうなしに宿る。
また一般的なビジネスパーソンでも、作成した企画書や報告文書の行間からは
そのときの意気込みやら、あるいは逆に手抜き加減やらが滲み出てしまう。
私たちは知らずのうちに自分の想いもOUTPUTしているのだ。
さらにいえば、何十年という時間をかけ、私たちは仕事を通して
自分自身という“人格”をもOUTPUTしているといえる。

このように仕事を「IN→THRU→OUT」の流れでみたとき、
仕事を改めて定義するとすれば次のようになる。

仕事とは、
知的/精神的/物的な素材を取り込み〈INPUT〉、
能力・意志・身体を用いて新しい価値を生み出し〈THRUPUT〉、
知的/精神的/物的な成果としてかたちづくる〈OUTPUT〉、
価値創造である。

さらにここで一点加えておけば、
価値創造には「正」と「負」と2つの領域があることだ。
「正の価値創造」は、善や真、美、徳に通じるもので、
逆に、「負の価値創造」は、悪や偽、醜、不徳に通じる。
人は誰しも正の価値創造をやるわけではない。
負の価値創造をやる人もやはりたくさんいるのだ。


◆壮大に連鎖する「IN→THRU→OUT」の価値創造

さて、こうした一人が行う一つの仕事(=価値創造)は、それ単独で成されるわけではない。
先ほど触れたように、
自分が行う仕事はさまざまな他者が行った仕事を取り込んで成されるものである。
そしてまた、自分が出した成果は、今度は他者が仕事を行うときのINPUTになる。
例えば、私のOUTPUTであるこの原稿を読んだ人が、
それを思考のヒントや企画の材料としてINPUTし、何かの仕事を成すときがあるように。
そんな連鎖を表したのが下図である。


Introut02 


私たちは意識するしないにかかわらず、
他者のOUTPUTが自分のINPUTとなり、また自分のOUTPUTが他者のINPUTとなっている。
この連鎖のイメージを巨視的に発展させていくと下図のようになる。


Introut03 


この世界は、無数の個々が無限様に成す
「IN→THRU→OUT」の価値創造連鎖による壮大な織りものである。
―――こう考えたとき、
この壮大な織りものをつくる一本一本の経糸(たていと)・緯糸(よこいと)は
まさしく私たち一人一人が成す一つ一つの仕事にほかならない。

何か良書に触れてその一文を企画書に盛り込む。
そしてそれを読んだチームが建設的なアイデアにたどり着き、それを実行する。
そんな日頃の些細な「正の価値創造連鎖」がこの世界を織り成しているのだ。

同時に、メディアに流れる悲観的な分析・冷笑的な意見に影響され、
自分もまた悲観・冷笑的な発言を周囲にしてしまう。
すると周囲も悲観・冷笑的な気分になる。
そんな日頃の些細な「負の価値創造連鎖」がこの世界を織り上げているのだ。

「この世の中は自分一人が変えるには大き過ぎる」と誰しも思う。
しかし、この世の中は、結局のところ、
一人の人間の些細な「IN→THRU→OUT」の価値創造によってつくられている。
これは厳然たる事実として認識してよいものだ。


◆「よい仕事」の思想~仕事の中の祈り

西岡常一さんは1300年ぶりといわれる法隆寺の昭和の大修理を取り仕切った
宮大工の棟梁である。彼は言う―――

  
「五重塔の軒を見られたらわかりますけど、
  きちんと天に向かって一直線になっていますのや。
  千三百年たってもその姿に乱れがないんです。
  おんぼろになって建っているというんやないんですからな。

  しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。
  塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、
  鉋をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。
  これが檜の命の長さです。

  こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。
  千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。
  ・・・生きてきただけの耐用年数に木を生かして使うというのは、
  自然に対する人間の当然の義務でっせ」。 
                              ―――『木のいのち木のこころ 天』より

また、もう一人、染織作家で人間国宝の志村ふくみさんがいる。
淡いピンクの桜色を布地に染めたいときに、桜の木の皮をはいで樹液を採るのだが、
春の時期のいよいよ花を咲かせようとするタイミングの桜の木でないと、
あのピンク色は出ないのだと彼女は言う。秋のころの桜の木ではダメらしい。

  「その植物のもっている生命の、まあいいましたら出自、生まれてくるところですね。
  桜の花ですとやはり花の咲く前に、花びらにいく色を木が蓄えてもっていた、
  その時期に切って染めれば色が出る。

  ……結局、花へいくいのちを私がいただいている、
  であったら裂(きれ)の中に花と同じようなものが咲かなければ、
  いただいたということのあかしが、、、。

  自然の恵みをだれがいただくかといえば、ほんとうは花が咲くのが自然なのに、

  私がいただくんだから、やはり私の中で裂の中で桜が咲いてほしい
  っていうような気持ちが、しぜんに湧いてきたんですね」。 
                             ―――梅原猛対談集『芸術の世界 上』より

◆いかなる仕事も自分一人ではできない

仕事という価値創造活動の入り口と出口には、
これまでみてきたように、INPUTとOUTPUTがある。
ものづくりの場合であれば、必ず、入り口には原材料となるモノがくる。
そして、その原材料が植物や動物など生きものであれば、
その生命をもらわなければならない。―――古い言葉で「殺生」だ。

そのときに、OUTPUTとして生み出すモノはどういうものでなくてはならないか、
そこにある種の痛みや祈り、感謝の念を抱いて仕事に取り組む人の姿を
この二人を通して感じることができる。
毎日の自分の仕事のINPUTは、決して自分一人で得られるものではなく、
他からのいろいろな貢献、努力、秩序、生命によって供給されている。


Intrpout04 

そんなことを思い含んでいけば、
自分が生きること、そして、自分が働くことで何かを生み出す場合、
他への恩返し、ありがとうの気持ちが自然と湧いてくる。
(日本人は「針供養」という道具にまで情をかける精神を持っている)

そして「正の価値」を創造することでそれらに報いたいと思う。
私はこれこそが「よい仕事」の原点だと思う。

昨今のビジネス社会では、
物事をうまくつくる、はやくつくる、儲かるようにつくることが、何かと尊ばれるが、
これらは「よい仕事」というよりも「長けた仕事」というべきものだ。
私は「長けた仕事」が悪いというつもりはない。言いたいのは、
私たちは今一度、「よい仕事」についてもっと振り返る必要があるということだ。
「よい仕事」とは、
真摯でまっとうな倫理観、礼節、道徳、ヒューマニズムに根ざした仕事をいう。
功利、効率、勝敗、序列は「長けた仕事」に属するものだ。

「よい仕事」が一つ一つ連鎖することで、着実に、
この世界は壮麗な織りものとして生成していく。
私たち一人一人がきょう行う「IN→THRU→OUT」の価値創造は
その一糸としてとても大事なことだと腹に据えたい。

 

 

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