留め書き〈017-018〉~身で読む・心で読む
「多読・速読」を自慢したがる人がいる。
私は一人、「身読・心読」できればよいと思っている。
多読・速読が悪いわけではない。
多読・速読して情報を得ればよいだけの本も多い。
ただ、多読・速読を自慢する人は、
何か読書を身を飾るアクセサリーのように考えているのだろう。
それらをじゃらじゃら付けて、街を歩きたいのだろう。
読書のほんとうの意義は、読書量にあらず、読書術にあらず、
どれだけ「身で読めたか・心で読んだか」にある。
それは一人静かな作業である。
あえてさらに言えば、
その読書で得た栄養を、自分の行動・表現・仕事に変換して他者に指し示すこと
───これこそが、私の考える「よき読書人」の姿である。
人びとは外に溢れる知識の摘み取りに忙しい。
内なる大地を耕すことをほったらかしにして。