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2011年4月

2011年4月30日 (土)

3つの「助ける」~援助・互助・自助

Koinob 2011 


私たちは今回の震災で多くの「助ける姿」・「助ける精神」をみた。

街角には多くの人が義援金箱を持って声をからした。
義援金はメディアを通しても、そして海外からも集まった。
お金だけではなく、生活物資も全国・世界から届けられた。
そして救出・救援・復興・再建のための労働力もさまざまな形で提供されている。
こうした被災者・被災地を「援助」するためのものが
広範に迅速に寄せられるのをみるにつけ、人の行為の有難さをあらためて感ずる。

同時に私たちは、被災者の方々が互いに支え合い、勇気づけ合う姿を数多く目撃した。
世知辛くなった現代社会、人づきあいが淡泊になったと言われる地域社会で、
「いや、人同士のつながりや絆はいまだ健在だった」と感じることができた。
「互助」の精神は日本人のなかに、そして国境を越えて人類のなかに、
きちんと生き続けているのだ。

さて、気がかりなのは「自助」だ。
確かに、地震から1カ月半が経って、
たくましくみずからの人生を立て直そうとする人びとの物語を
私たちはテレビなどのマスメディアを通してひとつひとつ知ることができる。
しかし、いまだ多くの人は無為にしか過ごしようのない日々を送っているのが現実だろう。
立て直そうとする意志もある、身体もある、技術もある……しかし、
土地が汚染されていて作付けができない農家。
同様に、酪農家や漁師の人たち。

仮に作物ができたとしても、風評という力によってお客がつくかどうか。

「自らを助けよう」にも、仕事がかなわないのではどうにも立ち行かない。
「援助」もきた。「互助」もある。
しかし「自助」がくじけてしまっては、真の再生復興はない。

私たちは、例えば発展途上国への支援のあり方で次のようなことをすでに知っている。
―――彼らが真に必要なのは、
「お金」ではなく「お金を稼ぎ自立するための手段」であることを。

「自助」の根本は、仕事をすること。
そして「自助の精神」の根本は、仕事をやることに意味と喜びを見出すことだ。
今日の社会において、人は仕事を通じて、
生活の糧を得、自分の身体と精神をつくり、協働し、他者や社会に貢献していく。
そしてその過程がまさに「自らを助ける」ことにほかならない。

生きる意欲を持った者なら誰しも、援助だけで生きていくのをよしとしないだろうし、
互助だけで生きていくことにもどこか限界を感じるだろう。
(援助・互助は無論大事なものであるが)
私たちは最終的に、自助の力を湧き起こして、一人一人立ち上がりたいのである。

被災地外の人間にとって、募金や生活物資提供など外側からの支援はいろいろとできる。
しかし同時に、
自助という個人の内面の力に関し、いったいどんなことができるのだろう。

私自身が持っている答えのひとつは「言葉と観念」を差し出すことである。
ここでいう言葉は、「がんばろう」「つながろう」といったような励ましの合言葉というより、
肚にずしんと据わる観念(やさしく言えば“心持ち”)を含んだ強い言葉のことだ。
そうした「強い観念・強い言葉」は、人の内面に「強い力」を生む。
例えば、私は苦しいときに次のような言葉で自らを助けてきた。

 ○「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」。
 ○「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい」。

                          ―――アラン『幸福論』 (白井健三郎訳、集英社文庫)


 ○「人生の幸福は、

  困難に出会うことが少ないとか、全くないかということにあるのではなくて、
  むしろあらゆる困難と戦って輝かしい勝利をおさめることにある。
  力というものは、弱点にうち勝つ習練から生じるのである」。

                       ―――ヒルティ『眠られぬ夜のために』 (草間平作訳、岩波文庫)


 ○「高い山の美しさは 深い谷がつくる」。

                                      ―――加島祥造『LIFE』 (PARCO出版)


 ○「(挑むべき苦痛がないとしたら)徳、勇気、強壮、剛毅、果断などを

  われわれの間で誰が尊敬するであろうか。
  人は軽薄の友である歓喜や、快楽や、笑いや、冗談によって幸福なのではない。
  むしろ、しばしば、悲しみの中にあって、剛毅と不屈によって幸福なのだ」。

                                       ―――モンテーニュ『エセー』 (原二郎訳、岩波文庫)


他人からの援助はとても有難い。

互いが励まし合うことも素晴らしい。
しかし問題は、一人家に帰り、一人部屋で考え、一人眠る段になって、
一人立ち上がる気力と行動を起こせるかだ。
一人っきりになって、結局、意気消沈してしまい、
何もできずじまいの日々を送ることは往々にしてある。
援助や互助が真に報いられるためには、それが自助と結びつかねばならないのだ。
だからこそ、自助が最も大事である。

その自助の精神を呼び覚ますために、私は強い言葉を送りたい。
そして平時から強い観念を教育プログラムを通じて広げていくのが
自らの仕事の重大な役目だとも感じている。

日本が真にこの震災を乗り越えたという証は、
経済がもとの状態に戻ったとか、町が再建されたとかいう以上に、
日本人の自助の精神が強くなったかどうかにある。

最後に。
昨晩のプロ野球、東北楽天イーグルスの地元仙台での第一戦。
勝利の試合の後で、嶋基宏選手が球場のファンの前で御礼の言葉を述べた。

 ―――「この1カ月半で分かったことがあります。
 それは誰かのために戦える人間は強いということです。
 今この時を乗り越えた先には、もっと強い自分と未来が待っているはずです」。

とても強い観念を含んだ、とても強い言葉であった。
私たちはこういう言葉を肚で聞いて自助の力を養っていく。
そしてこういった言葉を体現する個人が増えてくることによって、
社会全体が自助力を増していく。
もちろんその自助力は、経済力や文化力につながっていく。

震災後1カ月半が経ち、日本人は見事な援助、互助の姿を見せた。
以降は、私たち一人一人の自助が試されることになる。



*【参考図】
「3つの助」をイメージ的に表すと次のようになる……

3jo image 


 



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