留め書き〈023〉~悪神のささやき
「人生の幸福なんてもんは、“鈍感さ”で決まるのさ。
この世は鋭い人間ほど不幸を味わうように出来ているだろう。
だから幸せになりたかったら、ゆめゆめ鋭い人間にならないことだね。
幸福は絶対量じゃなく、充足度だからさ。
高いものを求めれば求めるほど、現実との差で苦しみが増す。
十の者が、殊勝にも百を求めるところから不幸は始まるんだ。
十の者が、六か七で満足していれば、それはもう幸福そのものさ。
野心にしても、向上心にしても、程々に留めておくのが賢い生き方ってもんだ」。
* * * * *
アリやミツバチ、そして人間の社会には、 『2:8(ニ・ハチ)の法則』なるものがあって、
真面目に働く者が2割・テキトーに働く者が8割で社会が回っていくらしい。
ちなみに、アリの巣から2割の働き蟻を取り除くとどうなるか?───
すると不思議なことに、真面目な働き蟻が2割現れて巣全体が存続していくという。
……じゃ、いつまでもしぶとく、
テキトー組に居座っていたほうがラクに生きられる、そう考えたくもなる。
確かに、会社組織を見渡してみても、
問題意識が鋭敏で、仕事ができる人間にはどんどん仕事が集まってくる。
そのために、仕事で身体を壊すのは決まって、鋭敏なできる社員だ。
会社のテキトー族が過労で倒れることなど聞いたことがない。
組織内でヘタに向上意欲をもち、成長だ、変革だなとど責任感を背負って頑張るより、
叱られない程度・クビにならない程度に鈍くテキトーに立ち回る側にいたほうが
シアワセなサラリーマンライフを送れる───これが組織の中の処世術なのかもしれない。
“テキトー”という言葉が悪ければ、”ホドホド(程々)”という表現でもいいのだが、
いずれにせよ「ホドホドは身を助ける」という生き方が勝利を得ている現象を
私たちは少なからず目にする。
しかし、実際のところ、
「あいつは適当にやっていつもラクをする人間だ」とか
「うちの部長は保身的で何もせず、ただ部下を厳しく働かせるだけの上司だ」とか、
他人にそういうレッテルを貼って、人と自分を分断させることはあまり建設的ではない。
むしろ、これは「己心の対話」としてとらえたい。
『2:8の法則』の
「2」の方に回る生き方か、
「8」に回る生き方か。
「鋭く・上を目指して」の行動を起こすのか
「鈍く・テキトーに」の行動で流すのか───。
私たち一人一人は、
心の内で常にその綱引きをしながら一瞬一瞬、一日一日、一年一年を生きている。
私たちは誰しも、「強い自分」と「弱い自分」、
「打ち勝とうする心」と「流される心」の2つをもっているのだ。
そして、その両者の綱引きが、10年、20年という時間単位を経て、
各々の人生コース・生き方の模様が独自のものとして固まっていく。
→ 悪神のささやき 〈後編〉に続く
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