留め書き〈027〉~効率化の中で「即席もの」になるな
悪神のささやき───
人間というのは実に勤勉な動物であることよ。
太陽の巡りで1年に1回しか収穫できない作物を
ハウスをこしらえて2回の収穫にしてみたり、
工場の中に水を流し、電灯を点けて10回にしてみたり。
24時間365日は動かないけれども、回転数を上げることでそれを何倍にも使う。
人間たちはそうして現在を圧縮することに成功したわけだな。
いや、それにしても、
パーソナルコンピュータの処理速度をどんどん上げていった先には、
自分たちが“ラクでヒマができる”生活があるはずじゃなかったのかい?
これまで1日かけてやっていた作業が半日になり、2時間になり、1時間になった。
そりゃめでたいことだが、はて、そこで浮いた時間は何処へ行った……?
さ、そこに置いてあるワインとチーズを食わせてもらうことにしようか。
ほほぉ、「10倍効率もの」か。
10年熟成のワインを1年でこしらえ、
10か月熟成のチーズを1カ月でこしらえたものなんだな。
いや人間の知恵は素晴らしい。
さぞ美味(うま)いにちがいない……。
* * * * * *
私たちはスピードを上げること、回転数を上げることで、
有限の時間に対し、生産性向上・効率というものを手に入れた。
だからこそ、戦後の日本は、人口増加にも対応できる消費財の量を供給することができ、
また、低価格を実現させて、国内外に売り、国富を獲得してきた。
時間を効率化して使うこと自体は問題ではない。むしろ奨励されるべきことだろう。
しかし、そこには常に「即席文化」を助長する力がはたらく。
そしてもっとも恐るべきは、
人間が時間を使うのではなく、時間に人間が使われるようになることだ。
高速回転しながら量をこなす生活は、はたして濃密に豊かなものなのか。
それとは真逆で、スカスカになっていやしないか。
高校生のとき、初めてラブレターを書いた。
何度も何度も推敲して書いた手紙を投函したその刹那から、
「明日届くのかな、あさって届くのかな」、
1日経てば、「きょう見てるかな、まだ未配達かな」、
2日経てば、「きょう見てるかな、彼女のお母さんが怪しんでいないかな」
などと、ヤキモキ思いを巡らせたものだ。
90年代初め、私はアップルの「マッキントッシュQuadra」を買って使っていた。
当時の写真画像処理ソフト「Photo Shop」は、今からするととても非力で、
ちょっとしたレタッチ処理でも、5分や10分、30分、ときには数時間を要した。
画面には、例の腕時計のアイコンが針を回しているのが映るだけで、
処理がいつ終わるのかは、まさにパソコンのみぞ知る、だった。
うまく処理してくれればいいが、辛抱強く待ったあげくに、
マシンがフリーズすることもざらだった。
けれど、その待っている時間は、過熱した頭を鎮めるのにちょうどいい小休止で、
熱いコーヒーをすすりながら過ごしたものだ。
すると、別のデザインアイデアや思考がふぅーっと湧いてきて、
結果的にそれがとても創造的な時間になるのだった。
うちの実家は三重県の片田舎にある。
地域の足として近鉄電車の支線が走っている。
運行本数は1時間に3本程度だ。だから1本を逃すと待ち時間が長い。
だが、子どものころを振り返るに、電車の待ち時間が長いと感じたことは少ない。
私は、いつも駅のホームから西に連なる鈴鹿山脈の稜線を飽きずに眺めていた。
山脈の稜線はギザギザに富んでいて形状が面白い。
日の入り時刻ともなればとても美しいシルエットを見せてくれた。
……「待つ」。
その時間が実は豊かな何かを育んでいたと感じるのは、私だけだろうか。
私たちは「待つ」ことを我慢しなくなった。
忙しいとは、心を亡くすと書く。
試しに、過去1年、3年、5年を振り返ってみてほしい。
高速回転で動き、量をこなしてきたけれど、そこに心はなかった……(愕然)
なんてことになりはしないだろうか。
私の人生時間の主人は、私である。
2012年も明けてすでに2週間が経った。この分でいくと、
間もなく進入学の春が来て、夏が始まり、気がつけば秋になっているだろう。
時間に使われないためには、
1日、1日、心をしっかり置き留めて進んでいくことである。
心を置き留めるとは、
スピードや効率化の流れに受動的に巻き込まれるのではなく、
立ち止まるべきときは、焦らずに立ち止まり、
待つべきときは、辛抱強く待ち、
1つ1つのやるべきことを「これでいいのだ」という自信のもとに、
自分の心のペースで動かしていくことだ。
そして5年、10年の時間レンジでどっしりと構えられる肚を持つことだ。
1日1日の中身をきちんと詰めていけば、
未来には相応のきちんとした果実が成るように人生はできている。
私は、効率的に作られたワインやチーズを食したいとは思わない。
よいものを食べたければ、1年待つことをするし、
10年かかるのであれば、それを楽しみに10年待つ。
そして何より大事なことは、
自分もひとつの生産物だとすれば、自分自身が即席ものにならないことだ。
「未来について一番よいことは、それが1日1日とやってくること」
“The best thing about the future is that it only comes one day at a time.”
───エイブラハム・リンカーン(第16代アメリカ合衆国大統領)