「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか
長野県・軽井沢にて
◆「永遠の誓い」か「一時の目的共有」か
私も転職経験があるのでわかりますが、現職業務の合間に転職活動を行うとき、そして転職先と採用の話がまとまり、いざ上司に「転職をしたいのですが…」と切り出すとき、特別な緊張感に覆われます。どことなく、後ろめたいような。その会社、その職場の上司・同僚に世話になったと感じていればいるほど、「これは裏切りなのだろうか」と思えてきます。それはなぜなのでしょう……?
人と人、もしくは人と組織との協働関係において、私は次の2つのタイプを考えます。それは───、
・「永遠の誓い」関係
・「一時(いっとき)の目的共有」関係
男女の結婚は前者の典型で、自分と学校とは後者の関係に属します(人生のある期間、修学目的を共有するという解釈)。
転職に何か会社への裏切り行為のようなネガティブなイメージが付きまとっているのは、戦後の高度経済成長期から慣行としてきた終身雇用制の下で、労使間が暗黙のうちに結婚にも似た「永遠の誓い」関係を前提にしてきたからなのでしょう。つまりそこでは、別れは約束破りであり、悪であるという意識が芽生えるわけです。
ですが、世は平成に入り、会社と働く個人の関係が変わり始めました。会社も終身雇用を言わなくなり、ヒトは流動するものと認識が変わってきました。現在のビジネス社会では、会社とその従業員は、ある期間、事業目的を共有して利益活動をするという関係でとらえる部分が大きくなりました。
ですから、ある目的を終え、次の目的が互いに共有できなくなれば、ヒトがそこを去っていくのはやむかたなしと肯定的な流れになっています。
◆転職後も良好な関係は維持できる
IBMやアクセンチュア、リクルートといった企業は人財輩出企業として有名で、転職者が多い。そしてその企業OBOGたちは、有形無形、直接間接に自分たちが巣立った会社と関係を持ちながら、業界全体を育てている事実があります。彼らの意識においては、個人と企業の関係は、「永遠の契りを結ぶ男女」関係というよりも、「学生と学び舎(学校)」の関係に近いのでしょう。在学中はその学び舎で一生懸命勉学に励み、いったんは卒業しても母校として懐かしみ、恩義を感じる。そんな感じの関係です。
日本のプロ野球チームから米大リーグチームに移籍した松井秀喜選手やダルビッシュ有選手は、はたして裏切り者でしょうか。プロサッカーで言えば、中村俊輔選手や香川真司選手は裏切り者でしょうか。能力と意志ある者が、自身の可能性を最大限に開花させるために、働く舞台を変えるということは、会社員の世界も同じです。
「よい転職」というのは、会社への「裏切り」ではなく、「巣立ち」です。
転職後も、元の会社や元の上司・仲間たちと良好な関係を維持することは全く可能なことです。私自身もまったくそうしています。
その会社を出てからも、そこに恩返しできることもたくさんあるでしょう。ですから、自分の目的がはっきりしているのであれば、堂々と自分の夢を語り、そこを巣立ってくればいいんです。転職に罪悪感を抱く必要はないと思います。
軽井沢・雲場池