「よく生きろ。それが最大の復讐だ」を超えて
“Live well. It is the greatest revenge.”
(よく生きろ。それが最大の復讐だ)
───どこで書き留めたか、誰が言ったかは忘れてしまったが、かなり昔の手帳に記して以来、私の心のなかにどすんと居座っている言葉の一つである。
人間の行動エネルギーで、復讐心や怨念、もっと言い方を和らげれば、見返し心や反骨心から出るエネルギーは馬鹿にならないほどの大きさで持続する。このエネルギーは、ときに人を暴走させるし、ときに成長させもする。
私自身、これまでの人生を振り返ってみると、実はこの「リベンジ心」によるエネルギーを主たる源泉にしてやってきたのかとも思える。
幼少期から実家は経済苦の連続で、夜中に借金取りが怒鳴り声を立てて来るような状態だったので、お金持ちの家庭から「あそことはあまり付き合わないように」と言われ、子ども心に「なにクソ!」と思って勉強したのを思い出す。また、生来ひどく痩せているために身体コンプレックスがあり、それを打ち消すために自分が秀でたものを何か見つけようと懸命だった。20代終わりには過酷な大失恋をし、その悔しさを晴らすためにがむしゃらに仕事をした。41歳で独立起業をしてからは、米粒のような事業に対し、外側だけの判断で無視や軽視があり、あるいは少し成功でもしようものなら嫉妬も妨害も受ける。それによって「いまに見ていろ!」の反骨心でここまで頑張ってきたように思う。
そんな過程において、冒頭の「よく生きることが最大のリベンジである」という言葉は、ある意味、私を正しく鼓舞してくれた。だから、この言葉には感謝している。
……ところが昨年あたりだろうか、この言葉を読み返したときに、以前ほどの力強さを感じないことに気がついた。「リベンジ(復讐)」という語彙が、自分の気持ちにしっくりこないのだ。そして、今年の元旦を迎え、なにげなく岡本太郎さんの本を再読していたら、こんな一文に目が止まった。なるほどそうかと、自分の気持ちの変化に合点(がてん)がいった。
「人生は、他人を負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない」。
───岡本太郎『強く生きる言葉』
いや、まさにそのとおり! すでに私のなかには、過去の些細な出来事のわだかまりやら引っ掛かりやらはすっかり削げてしまっているのだ。岡本流に表現すれば、もはや自分は「他人に復讐しようなんてケチくさいちっぽけな」理由で、日々の仕事に打ち込んでいるわけではない。私は見返し・復讐といった次元から解放され、もっと大きな開いた理由を持って働いている。そう合点がいったとき、なにかすっと抜けた気持ちになり、これも何か一つの成長なのだなと思った。
喩えて言うなら、石炭という復讐心を燃やして、黒煙を上げながら地べたをズリズリと進んでいた小さな機関車が、いまや、太陽からの光(=大きな開いた目的)を燦々(さんさん)と受け、それを無尽蔵のエネルギーに変えて自由に大空を飛ぶ飛行機に変身したかの成長だ。
「成長」を考えるとき、人にはいろいろな成長がある。できなかったことができるようになる。これは腕前(技術)が上がった成長である。見えなかったものが見えてくる。これは観(もののとらえ方)が深まった成長である。そして、不自由だった自分を自由にできる。これは境涯(自分がいる次元)が高まった成長である。私もこの歳になると、2番目、3番目の成長を感じられることが特にうれしい。